第1部 第5話「彼の中にいたのは誰か(3)」後編
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リチャードの肩が、ゆっくりと落ちた。
張り詰めていたものが切れ、押し殺していた声が漏れる。
「……どうしても、弟を助けたかったんだ。
ダニエルには、もう時間がなかった。医者からも、手術しかないと言われて……
だが、あまりにも高額で……俺には、あれしか方法がなかった……」
カイルは静かに頷いた。だが、その瞳から鋭さは消えない。
「弟を助けたい気持ちは理解できる。……だが、それが2人を殺した理由にはならない」
リチャードの顔が苦悶に歪む。
「分かっている……! 分かっていたさ……!
けど、何もせずに見殺しにするなんて……俺には、できなかった……!」
カイルは無言のまま、一枚のファイルを机に置いた。
「弟の件は調べさせてもらった。……高額な手術を受けても、生存率は五分五分だったそうだな」
リチャードは息を呑み、言葉を失う。
カイルは一拍置き、声を落とした。
「……ならば提案がある。まだ公表前だが、試験的に“冷凍保存装置”の運用が始まっている。医療技術が進めば、将来ダニエルを蘇生できる可能性はある」
リチャードの瞳が、揺れた。
「……そんなものが……本当に……?」
「既に手配は済んでいる」
カイルは淡々と告げる。
「……あんたのやったことに同情はしない。だが、その境遇には同情する」
リチャードは俯き、拳を強く握り締めた。
言葉はなかった。
沈黙を破るように、カイルが問いを投げる。
「……だが、一つだけ疑問がある。
なぜ弟の“人格”を移植しなかった?
合法では間に合わなかったとしても、違法でなら可能だったはずだ」
リチャードは苦しげに目を閉じた。
「……ダニエルが嫌がった。
この体でなければ自分じゃない、と……
この体で死ねるなら、それでいいと。
弟は……最後まで、自分自身であろうとしたんだ」
カイルの目が、細くなる。
「……皮肉な話だな。
弟は“自分の体で生きること”を選んだ。
それなのに……お前は“自分ではない体で生きること”を選んだ」
リチャードの頬を、深い悔恨が覆う。
「……分かってる……」
言葉は、最後まで形にならなかった。
CH2
-ゴースト本部1階第1チームデスク-
ゴースト本部、第1チームのデスク。
淡いブルーのホログラムが消え、室内にはカイルの落ち着いた報告の声だけが残った。
「……イーサン――正確にはリチャードが自白しました。
イーサン・ブレイクの人格はすでに消去されており、リチャードが成り代わっていた。
さらに、路上生活者ライアンの人格をリチャードの肉体に移植し、その後に殺害しています。
結果として……2人を殺したことになります」
バニングの表情に、深い影が落ちた。
「……そうか。よく、そこまで持ち込んだな」
短く息を吐き、低い声で続ける。
「……最初から虹彩リング検査ができていれば、もっと早く止められたかもしれん。
だが、確証のない段階で踏み込めば越権行為だ。
本人の同意がなければ、あれは“人格への介入”になる」
カイルは静かに頷き、報告を続けた。
「妻のクララも、犯行を知りながら隠蔽に加担していたことを認めました。共犯です。
……リチャードがイーサンに人格を移した際は、薬で眠らせ、移植装置に座らせた。
ライアンには“応じれば金と住居を与える”と持ちかけ、利用したそうです」
室内に、重苦しい沈黙が落ちる。
バニングは目を閉じ、しばらく何も言わなかった。
やがて、深く息を吐く。
「弟を救いたい一心だったとはいえ……
あまりにも、悲しい事件だな」
カイルの声には、わずかな苦味が滲んでいた。
「……はい。
人を救うために生まれた技術が、人を犠牲にする道具になってしまった」
だが次の瞬間、バニングは両手を叩き、空気を切り替える。
「よし! 事件は解決だ!」
大きな声で言い切り、口元を歪める。
「よくやったな、第1チーム!」
張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。
「今日は俺のおごりだ。飲みに行くぞ!」
スタンリーは肩をすくめ、
「断る理由はないな」とぼそり。
ニーナは小さく笑みを浮かべ、
ヴィクターも「……久々に悪くない提案だ」と低く呟いた。
「おぉ」
自然と声が重なり、
張りつめていた緊張は、ようやくほどけていった。
CH3
-バー・ターミナル・サード-
夜のバー。
アンバー色の照明がグラスを透かし、低く流れるジャズが店内を満たしていた。
奥のボックス席で、ゴースト第1チームが肩を並べている。
バニングがグラスを掲げた。
「よくやってくれた。
自白を引き出すのは極めて難しい事件だったが……お前たちは見事だった。誇りに思う。――乾杯」
グラスが触れ合い、氷の音が心地よく響く。
しばらくは雑談と笑いが続いたが、スタンリーがふと首をかしげた。
「でもさ……あの場面で“宝石が見つかって”“強盗が捕まった”って話、出来すぎじゃない?」
自然とヴィクターに視線が集まる。
ヴィクターはバニングに顔を向けた。
「……隊長。あの強盗は捕まったんですか?」
バニングは眉を上げ、首を横に振った。
「いや。そんな報告は受けていない」
「……え?」
ニーナが怪訝そうにカイルを見る。
カイルは無言でグラスを傾け、喉を潤すと、口元に薄く笑みを浮かべた。
「相手は狡猾で、しかもプライドが高い。
そういう人間を落とすには……こっちも多少、性格が悪くならないとな」
スタンリーが目を丸くする。
「え、どういうこと?」
ヴィクターが肩をすくめ、淡々と補足した。
「俺が報告したのは“宝石がイーサンの自宅から見つかった”って事実だけだ。
“強盗が捕まった”なんて、一言も言ってない」
「……あー」
スタンリーがようやく合点がいったように声を上げる。
ニーナは呆れたようにカイルを睨んだ。
「ほんっと、性格悪いわね」
カイルは肩をすくめつつ、ふっと真顔になる。
「でも、最後に決定打を出したのは間違いなくニーナの一言だったろ?
人のこと言える立場じゃないと思うけどな」
「……そういえば」
ニーナがわざとらしく目を細める。
「誰かが“ニーナは意地悪い”って言ってたわよね?」
ピタリ、と空気が止まった。
カイルとスタンリーが同時に固まり、顔色がみるみる青くなる。
「お、俺は言ってない!」
スタンリーが慌てて両手を振る。
「おいスタンリー! 余計なこと言うな!」
カイルが思わず声を荒げる。
その様子に、バニングとヴィクターが吹き出した。
笑い声が席に広がり、張り詰めていた緊張がほどけていく。
バニングは改めてグラスを掲げた。
「まあいい。事件は解決だ。
今夜くらいは、全部忘れろ。――乾杯!」
再びグラスがぶつかり合い、
笑い声は夜のジャズに溶けていった。




