第2部 第18話「生きる意思」後編
―― 一瞬。
静止。
ツェアビルドは動けなかった。
交差した刃の内側に、敵の瞳が映る。
そこに浮かんでいたのは、歪んだ混乱と、わずかな苦悶だった。
そして――。
時間が解放される。
「ECHO Drive、起動可能です!」
オペレーターの声が響いた。
2人が同時に呟く。
「ECHO Drive、起動!」
TSRが紫に輝く。
電光のようにエネルギーが奔り、静寂が爆発へと転じた。
紫の波動が膨張し、やがて金色へと移ろうとした、その刹那。
「これが……真の……クロスレゾナンスだ!!」
叫びとともに、金色の光が爆裂の閃光へ変わる。
カイルとアリウスの声が重なった。
金色の奔流が、ツェアビルドを包み込む。
―― 一撃。
***
一撃が決まった、その瞬間。
すべてが暗転した。
――カイルが目を開ける。
そこは、眩い白の世界だった。
視界を埋め尽くす光。
輪郭のない空間が、静かに歪んでいる。
やがて、不気味な声が響いた。
ツェアビルド(遠く囁くように)
「オマエハ……コノセカイノニンゲンデハナイ……モドレ……」
声には感情がなかった。
ただ、世界の法則そのもののような、冷たい合理だけがある。
カイルはしばらく動かなかった。
だが胸の奥で、何かが揺らぎ始める。
「……俺は確かに、この世界の人間ではない」
静かな声だった。
だが、その重みは揺るがない。
「だが――俺は、この世界で共に生きたい人がいる。仲間がいる」
言葉が白い空間に広がる。
その決意が、光の中にわずかな温度を生んだ。
「俺は、この世界で生きるんだ……!」
宣言が響く。
やがて声が、静かに返ってきた。
ツェアビルド(間を置いて)
「ソウカ……。ナラバ……コノセカイデ……イキロ……」
さらに、続けて告げる。
「ブンキ……トジタ……。カンソクモ……セツゾクモ……フカノウニ……シタ」
その声は、ゆっくりと遠ざかっていく。
白の世界が崩れ、視界が反転した。
次の瞬間。
現実に、静寂が訪れていた。
ツェアビルドの姿は、光とともに消滅している。
同時に、空に穿たれていた裂け目も、音もなく閉じていった。
まるで、最初から何もなかったかのように。
屋上に残るのは、戦いの痕跡と深い沈黙だけだった。
カイルは膝をつき、荒い息を吐く。
「……終わったんだな」
TSRを地面に下ろし、ゆっくりと顔を上げた。
視界の先には、茜に染まり始めた空が広がっている。
世界が静かに、今日という1日を受け入れているようだった。
アリウスが隣に立つ。
「……やっぱり、お前は俺とは違うな。カイル」
夕焼けの光の中に、確かに刻まれていた。
指令室では、遅れて歓声が上がった。
だが、それは勝利の喜びと言うより、張り詰めていた恐怖がほどけた音に近かった。
誰もが生き残った者の名を呼び、そしてすぐに、
そこにノアの声がないことを思い出した。
CH2
-翌日、午前-
ツェアビルドに人格を吸収されていた一般人たちが、次々と目を覚ました。
戸惑いと混乱の声があがる。
周囲にいた医療スタッフが駆け寄り、素早く状態を確認していった。
「……問題ない。全員、記憶も行動も正常だ」
CIARの医師が静かに息を吐く。
張り詰めていた空気が、ようやく緩んだ。
***
アシュフォード研究所。
瓦礫の撤去作業の中、カイルは崩れたコンクリートを持ち上げていた。
その傍らで、アカネも黙々と手を動かしている。
ふと、カイルの視線が止まった。
崩落した隙間に、小さな花が咲いている。
彼はしゃがみ込み、指先でそっと触れた。
戦いの熱は、まだ体に残っている。
だが、その小さな温もりが確かに伝わった。
――守りたかった世界は、ここにある。
言葉にはしない。
アカネはそんな彼の横顔を見つめていた。
何も言わず、ただ静かに微笑む。
***
CIARの観察室。
アリウスは椅子に座り、頭部に装置を装着していた。
微細な振動とともに、モニターへ波形が描かれていく。
エミリーが淡々と告げる。
「異常な人格干渉や、記憶改竄の兆候はないわ」
アリウスは目を閉じ、低く笑った。
「問題はなさそうだな……。だが、俺がここに居続ける限り、“異物”であることは変わらない」
その声音には、自嘲と同時に、かすかな決意が混じっていた。
***
工房。
メンテナンス台に腰を下ろし、ヴィクターは義肢の点検を受けていた。
ロイクがレンチを回しながら、いつもの調子で口を開く。
「……お前の義肢、標準仕様じゃねえ。ずっと限界超えで動かしてる。心身どっちもな」
ヴィクターは視線を落としたまま、静かに返した。
「……半身を失った人間は、何を拠り所にすべきなんだろうな」
ロイクは工具を置き、苦笑する。
「欠けてるからこそ、人は誰かを必要とする。……それが義肢でも、仲間でもな」
そのとき、軽いノックが響いた。
エミリーが工房へ入ってくる。
「検査を終えたところよ。アリウスに異常はなかったわ」
数歩近づき、ヴィクターの様子を見る。
「……でも、あなたの様子も気になって」
ヴィクターはわずかに目を上げ、苦笑した。
「俺は検査対象じゃないはずだが」
エミリーは肩をすくめる。
「義肢も、心も。どちらも“無理をしている”のは同じだから」
ロイクがからかうように笑い、工具を回す音が工房に響く。
ヴィクターは何も言わなかった。
だが胸の奥には、ほんのわずかに重荷を分け合える手の感触が残っていた。
***
本部の訓練室。
窓の外には、澄んだ青空が広がっている。
壁際には、使い古された射撃標的が並んでいた。
ニーナは1人、椅子に腰掛けている。
膝の上には、ノアの形見の銃。
それはもはや、戦うためだけの道具ではない。
彼女にとっては、過去と向き合い、これからを生きるための“証”だった。
銃を見つめ、静かに呟く。
「ありがとう、兄さん……あなたのおかげで、あの人を救えたわ」
わずかに息を整え、続けた。
「たとえ私が“選ばれない”としても――それでも、この世界で……私は生きていける」
その声は穏やかだった。
揺るがぬ覚悟と、どこか救われたような優しさを宿して。
CH3
-翌日、午後-
陽差しが穏やかに降り注ぐ昼下がり。
アシュフォード研究所のロビーには、買い出し品の箱が積み上げられていた。
飲み物、菓子類、調理用品まで、一通り揃っている。
「……飲み物は、このくらいでいいかな」
カイルが最後のボトルを確かめ、箱に詰め直す。
横でアカネが腕を組み、軽く頷いた。
「まあ、こんなもんじゃない?」
少し離れた場所で、アキトがコンテナの蓋を閉める。
そのとき、自動ドアが静かな作動音を立てて開いた。
3人が振り返る。
アリウスが歩いてくる。
背に携えた紅のTSRが、わずかに発光していた。
その歩みは以前より落ち着いている。
だが、どこか影が残っていた。
カイルが声をかける。
「アリウス。どうだった? 精神干渉の影響は」
一拍ののち、短く返事が返る。
「問題ない」
カイルは小さく目を細めた。
「そうか。……良かったな」
「……あぁ」
沈黙が落ちる前に、カイルはアキトへ向き直った。
「そうだ、アキト」
「なに?」
「ちょっと、アリウスに稽古をつけてもらえ」
「え?」
アリウスの眉がわずかに動く。
「アキトは、大学を出たらゴースト志望なんだ。……少し揉んでやってくれないか」
アリウスはアキトを一瞥した。
その視線に、ほんの一瞬だけ別の感情がよぎる。
(そういえば、こっちの世界では弟だったな……)
やがて、アリウスは静かに頷いた。
「……わかった」
アキトは姿勢を正し、深く頭を下げる。
「お願いします!」
その声には、期待と緊張が混じっていた。
***
2人は南側の庭へ出た。
人工芝と模擬訓練機材が並ぶ一角。
柔らかな陽が、長い影を落としている。
カイルが一歩前に出て、腰からTSRを外した。
「アキト。これを使え。貸してやる」
放られたそれを、アキトは両手で受け止めた。
「……いいの?」
「今回だけな」
アキトがTSRの黒いグリップを握った瞬間、柄がわずかに温かく震える。
「……え?」
発光部が淡く光った。
蒼でも、紅でもない。
翡翠。
深い森の奥を思わせる、透き通った緑だった。
アリウスの目が細くなる。
「……色が変わった?」
カイルもわずかに眉を上げた。
だが、すぐに表情を引き締める。
「共鳴パターンだ。……人によって違う」
アキトはその光を見つめ、震える手で構えを取った。
「……本気を出していいんだよね?」
カイルは短く頷いた。
「……ああ。今回は、本気でやれ」
「……わかった!」
そのやり取りに、アリウスは一瞬だけ眉をひそめる。
(“本気でやれ”……?)
言葉の響きに、どこか試すような色が混じっていた。
アキトの表情にも、奇妙な集中が宿っている。
戦闘前とは思えないほど、澄んだ目だった。
アリウスは静かに構える。
TSRはまだ抜かない。
「始めるぞ」
次の瞬間。
アキトが動いた。
跳ねるような一歩。
地面を抉る加速。
姿が揺らぐ。
「っ……!」
左へ、次いで右へ。
TSRは振るわれない。
脚だけで間合いを翻弄し、芝が裂ける音だけが残った。
直進からの急反転。
跳躍。
空中で身体を捻り、上からのフェイント。
(この動き……)
だが――。
紅い閃光。
アリウスのTSRが抜かれる。
交錯するより早く、アキトの腕が逸らされた。
体勢が崩れる。
「っぐ……!」
アキトは地面を転がった。
すぐに立ち上がり、再び構える。
アリウスは淡々と告げた。
「脚は速い。反応も悪くない。だが動きが単調だ。力で押し切ろうとしすぎている」
アキトは唇を噛み、構えを解いた。
それを見ていたカイルが、わずかに笑う。
「アキトは昔から足が速かった。現役の陸上部だ。脚力はピカイチだよ。……だが腕はまだまだだ。俺も稽古はつけてきたがな」
アリウスはTSRを納め、短く息を吐いた。
「正直、驚いた。跳躍の質は常人のものじゃない。……素質はある。訓練を積めば、相当な使い手になる」
「そうか」
カイルが小さく笑う。
「……なら、先が楽しみだな」
アキトは手の中のTSRを見つめた。
翡翠の輝きが、まだ脈打っている。
その光は、彼の掌の奥で、確かに生きていた。




