第2部 第16話「決戦、ツェアビルド(1)」前編
CH1
-アシュフォード研究所屋上-
空は、ゆっくりと色を変えていった。
茜から紫へ、そして墨を流したような黒へ。世界そのものが、目に見えない何かに呑み込まれていくようだった。
研究所の屋上に、カイルとアリウスが並び立っている。
2人ともTSRを背負い、言葉もなく地平線を見据えていた。
遠くを渡る風の音だけが聞こえる。
時間さえ、ここでは足を止めているようだった。
その下、第1チームが待機する指令室では、ホログラムモニターに3機の監視ドローンが捉えた屋上の映像が映し出されていた。
無機質な電子音が低く鳴り、誰もが息を詰めてその光景を見守っている。
カイルが、ぽつりと呟いた。
「……静かだな」
「……そうだな」
アリウスは短く応じた。
視線を動かさないまま、静かに続ける。
「……答えは見つかったか。お前の帰る場所だ」
カイルはすぐには答えなかった。
一瞬だけ考え、迷いを断ち切るように口を開く。
「……あぁ」
短く頷き、彼は前を向いたまま言った。
「……俺は、必ず生きて……アカネのいる場所に帰る」
アリウスの口元が、わずかに緩む。
「……良い答えだ」
カイルは少し照れたように、声を落として付け加えた。
「……それに、アカネは最高の女性だ」
その瞬間だった。
『……すいませーん!』
無線越しに、スタンリーの軽い声が割り込む。
『そういうの、無線切ってから言って頂けますかー?』
「――えっ!?」
カイルが慌てて振り返った。
「み、みんな聞いてた!?」
『フルチャンネルオープンでーす!』
指令室に、必死に笑いを堪える空気が広がった。
モニターの前では誰もが視線を逸らし、肩を震わせている。
アカネは顔を赤くし、恥ずかしそうに視線を落とした。
屋上では、アリウスが口元を押さえ、笑いを噛み殺している。
その様子を見て、カイルは耳まで真っ赤にした。
「アリウス! 分かってて聞いたな!」
「……まぁ、いいじゃないか」
アリウスは肩をすくめた。
「お前の生きる意味と、帰る場所だ。宣言したところで、誰も異論はない」
「……いや、まぁ……そうなんだけど」
カイルは不貞腐れたように視線を逸らした。
短い沈黙が落ちる。
風が2人の間を抜け、屋上の空気を静かに冷ましていった。
やがてアリウスが前を向き、低く告げる。
「さあ、行くぞ。必ず生きて帰る」
「あぁ」
カイルも頷いた。
「必ず、生きて――アカネのいる場所に帰る」
2人の視線が、同じ未来を捉える。
そこには、揺るがぬ覚悟だけが宿っていた。
CH2
-アシュフォード研究所屋上-
指令室では、スタンリーがモニターに映るデータ波形の変動を注視していた。
隣ではマルコムが端末を見つめ、静かにタイムコードを読み上げる。
「……17時03分。パラレルマシン、起動する」
その瞬間、屋上奥に設置された装置――パラレルマシンが低く唸り始めた。
重い振動音が、建物をわずかに震わせる。
「カイル、TSRシステム、全稼働域で待機状態。ECHO Driveも起動準備に入る」
スタンリーの報告を受け、カイルは視線を前方へ据えた。
「出現した瞬間が勝負だ。迷わずECHO Driveを起動、クロスレゾナンスを叩き込む」
アリウスが低く呟く。
「……奴が、“前と同じ”だとは限らない」
視線は夕焼けの向こう、まだ何もない闇の空間へ向けられていた。
その瞳には、わずかな不安が滲んでいる。単なる警戒ではない。直感に近いものだった。
カイルの表情が、わずかに引き締まる。
そのときだった。
「来るぞ……!」
アリウスの声が鋭く響いた。
──空間が、ねじれた。
屋上の一角に黒い靄が生まれ、そこから何かが滲み出るように姿を現す。
以前にも見たことのある、あの異形。
だが――。
「……前と、様子が違う」
黒く塗りつぶされたような体表。
顔はカイルとアリウスに酷似しているが、そこに表情はなかった。ただの“面”のように、感情の気配だけが抜け落ちている。
「やることは同じだ。ECHO Driveを――!」
カイルが腰のデバイスへ手を伸ばしかけた、その瞬間。
──何かが揺れた。
「……っ!? 後ろだ、アリウス!」
カイルの声が走る。
アリウスが反射的に振り向いた。
風を裂く拳が、頬を掠めて通り過ぎる。
「なにっ──!」
姿勢を崩しながらも、アリウスは間一髪で距離を取った。
「……な、なんだと……」
思わず漏れた声は、カイルだけのものではなかった。
「……馬鹿な……」
指令室で、マルコムが呟く。
「なんで……なんでツェアビルドが、2体いるんだ……!」
カイルは目の前の光景を見つめたまま、言葉を失いかける。
屋上には、紅と蒼のTSRを構えた2人。
そして、その前に立つ――“影の双子”。
闇の中で、戦いの幕が静かに開こうとしていた。
「2体いようが、やることは同じだ!」
カイルが叫び、紫がかったTSRを両手に構えた。
共鳴波を流し込むと、装置が震え、金属音が鋭く空気を裂く。
「両方に、クロスレゾナンスを叩き込めばいいんだろ!」
その声に応えるように、アリウスも腰を落として構えた。
紅い閃光がTSRを包み、2人の間で微かな共振が生まれ始める。
だが――。
「来るぞ!」
アリウスの警告と同時に、ツェアビルドが動いた。
黒い靄を纏った2体の影が、音もなく滑るように距離を詰めてくる。
足音はない。ただ、空間そのものが歪みながら迫ってくるようだった。
1体はカイルへ。
もう1体はアリウスへ。
「チッ!」
カイルは咄嗟に地面を蹴り、横へ転がった。
刃のように振り下ろされた腕が、直前までいた空間を裂く。
反撃へ移ろうとした瞬間、背後に嫌な気配が走った。
「アリウス、右!」
「わかってる!」
アリウスが素早く回り込み、斜め後方から迫る影へ斬りかかる。
その瞬間、カイルも前へ飛び込み、2人のTSRが交差した。
だが――。
「くっ……!」
1体目のツェアビルドへ攻撃を仕掛けた瞬間、もう1体が横合いから滑り込んできた。
アリウスのTSRも、カイルの動線も、当然のように塞がれる。
2体の影は、こちらの行動をすべて読んでいるかのようだった。
アリウスが横蹴りを放つ。
鋭い回転とともに叩き込まれた足が、影の胸部へ直撃する。
――はずだった。
ツェアビルドは微動だにしない。
次の瞬間、振り上げられた腕が、アリウスの腹部を殴りつけた。
「ぐっ……!」
アリウスが吹き飛ばされる寸前、カイルが滑り込む。
自らのTSRでその腕を受け止めたが、装置が軋み、衝撃を押し返しきれない。
「アリウス、下がれ!」
「……すまん!」
2人は距離を取り、呼吸を整えた。
「……これでは、1体に集中してクロスレゾナンスを出そうにも、もう1体に防がれる……!」
アリウスが歯を食いしばって言う。
カイルも顔を歪め、TSRを握る手に力を込めた。
「畜生……読まれてる……!」
攻め手が見えない。
どちらか1体を狙えば、もう1体が必ず割り込む。
連携のわずかなズレさえ、見抜かれているようだった。
「こんな奴らに……!」
握るTSRが、わずかに震える。
――同じ攻撃は通じない。
ツェアビルドは明らかに進化していた。
しかも、2体で。
そして今、2人はじりじりと、確実に追い詰められていた。
***
ツェアビルドの1体――右側の個体が、突如として動きを止めた。
「……?」
カイルは身構えたまま、その変化を見極める。
ツェアビルドはわずかに頭を傾け、アリウスへ視線を向けていた。
黒く塗りつぶされた顔に表情はない。
それでも、どこか“語りかける”ような気配があった。
「……アリウス、アイツ……!」
カイルが横目で相棒を確認したときには、もう遅かった。
アリウスはツェアビルドと向き合ったまま、動かない。
その目は虚ろで、焦点が合っていなかった。
「止まったツェアビルドを叩くぞ! 一気に――」
言いかけたカイルの声に、返答はなかった。
「アリウス! どうした!」
沈黙だけが返る。
まるで意識を遠くへ引き離されたように、アリウスはその場に立ち尽くしていた。
カイルが駆け寄ろうとした、その瞬間。
アリウスがゆっくりと振り返り、カイルへ向けてTSRを構えた。
「……なにっ!? アリウス、なにをするんだ!」
目が合う。
だがそこに、いつもの光はなかった。
代わりにあったのは、何かに囚われたような重い影だった。
「俺は……アカネを……」
掠れた声だった。
残っていた自我が、薄氷のように崩れかけている。
「……正気を失っているのか? 目を覚ませ! アリウス!」
カイルの叫びは届かない。
次の瞬間、アリウスのTSRが振り下ろされた。
ガキィン!
カイルは咄嗟にそれを受け止める。
だが、その隙を逃さず、もう1体のツェアビルドが背後から迫っていた。
「くそっ!」
カイルは床を転がるようにして回避する。
しかし体勢を立て直す前に、左手側のツェアビルドが間合いを詰め、斬撃を放った。
それを受け止めた瞬間、横合いから再びアリウスのTSRが振るわれる。
――重い。
ただでさえ、2体を相手にして限界に近い戦況だった。
そこへ、アリウスまで敵に回っている。
カイルの動きは受け身に回り、足取りが少しずつ重くなっていく。
ツェアビルドの一撃をTSRで受け止めた瞬間、衝撃が肘まで痺れさせた。
「……アリウス……っ!」
混戦した戦場の中で、カイルの視界に一瞬だけアリウスの表情が映る。
そこにあったのは、怒りでも敵意でもない。
――絶望だった。
その感情が、鋭く胸を突き刺した。




