第2部 第13話「真実(2)」前編
CH1
-アシュフォード研究所地下3階-
一同がカイルを押さえ、荒い呼吸が少しずつ整っていく。
地下室には、誰も動かぬ数秒の静寂が落ちた。
その沈黙を破ったのは、アリウスだった。
「……で、カイルがこの世界の人間ではないことと、黒い影はどう関係がある?」
低く抑えた声。
だが、その奥には明確な鋭さがあった。
マルコムは一瞬だけ目を伏せ、深く息を吸う。
「……本来、並行世界は決して交わってはならない。干渉は、互いの世界を壊す危険がある」
カイルはその先を待ちながらも、胸の奥のざわつきを抑えきれなかった。
視線は自然と拳へ落ち、爪が掌へ食い込む。
マルコムは続ける。
「……だが、別の世界から来たカイルが、この世界に存在している。
その一点――“カイル”という存在によって、二つの世界は交わってしまった」
アカネが、思わず息を呑む。
その視線はカイルへ向けられ、言葉にならない不安が瞳に滲んでいた。
「……そして、この世界に歪みが生じた」
マルコムの声が、さらに低く落ちる。
「世界は均衡を保とうとする。失われたバランスを取り戻すための“力”が働く……それが、あの黒い影だ」
カイルの脳裏に、冷たく絡みつく靄の感触が蘇る。
背筋が、無意識に震えた。
マルコムはゆっくりと視線を上げ、カイルをまっすぐに見据える。
「奴は――おそらくお前の人格を吸収するか、元の世界へ連れ戻すか……
いずれにせよ、この世界からお前を消すだろう。
……最悪の場合、私たちの記憶からお前に関する記憶そのものを消し去り、“お前がいなかった世界”として再構築する可能性もある」
「そんな……」
アカネが、目を見開いたまま呟く。
カイルは唇を固く結び、何も言えなかった。
***
アリウスは腕を組んだまま、マルコムをじっと見据えた。
「……で、奴を消滅させる手立てはあるのか?」
その問いに、室内の空気がわずかに重くなる。
マルコムは視線を落とし、ゆっくりと息を吐いた。
「……10年前、私は息子の墓を訪れていた」
唐突な告白に、視線が一斉に集まる。
アリウスはわずかに目を細め、カイルは眉を寄せる。
アカネは理由も分からぬまま、胸を締め付けられた。
マルコムの声は低く、どこか遠い。
「墓前に花を置いた、そのとき……微かな振動音が聞こえた。
廃棄したはずのパラレルマシンからだ」
誰も口を挟まない。
全員が、次の言葉を待っていた。
「そこから……黒い靄が、ゆらゆらと漏れ出していた。
形はまだ曖昧で、人とも獣ともつかぬ……だが、見た瞬間に分かった。あれは“歪み”の影だと」
カイルは無意識に拳を握り締める。
アカネの呼吸が浅くなり、ヴィクターが低く息を呑んだ。
「計測機器は一瞬だけ反応した。
その数値は……パラレルマシンの共鳴波と酷似していた」
スタンリーの眉が、わずかに動く。
「私は仮説を立てた。――黒い影は、並行世界の共鳴を糧として存在している」
沈黙が落ちる。
その言葉が、重く胸へ沈み込んだ。
「ならば、その共鳴波を乱せば、奴の存在を不安定化できるかもしれない」
マルコムは拳を握ったまま、続ける。
「そう考えて研究を始めた。廃棄済みのパラレルマシンのデータを解析し、共鳴波を乱す携行装置――ECHO Driveを開発した。
二つのTSRの共鳴を増幅する支援装置だ」
一度、言葉を切る。
視線が一同を巡った。
「ただし……この装置が真価を発揮するには条件がある。
ツェアビルドは、カイル……お前の“存在共鳴波”に干渉して現実に留まっている。
ならばそれを打ち消すには、同じDNAを持つ者が必要だ。
2人の存在共鳴波をTSRを介して同期させ、ECHO Driveで強制的に増幅する。
それが唯一、奴の波を逆流させ、消滅させる方法だ」
わずかな間ののち、付け加える。
「もっとも、これは私1人で成し得たものではない。
ロイクが水面下でミラージュ内部の信頼できる技術者を説得し、必要な部材と加工技術を確保してくれた。
20年……その年月をかけ、ようやく完成に漕ぎつけた装置だ」
アリウスの声が、静かに鋭くなる。
「……だが、完成していたなら、もっと早く動けたんじゃないのか?」
マルコムは静かに首を振った。
「いや。完成したのは、つい最近だ。
20年かけて理論を積み上げ、部材と技術を揃え、ようやく実戦投入の目処が立った」
「そして次に必要だったのが、カイルと同じDNAを持つ存在の確保だ。
……私は、パラレルマシンを再起動し、並行世界からその条件を満たす者を探し出すつもりだった。だが、その前に君が現れた」
カイルは息を詰めたまま、言葉を失う。
アカネは唇を強く噛み、ニーナは小さく目を伏せた。
ヴィクターは視線を逸らし、アリウスだけが黙ってマルコムを見据えている。
マルコムは一拍置き、静かに告げた。
「……私は奴を、ツェアビルドと命名した」
スタンリーが低く呟く。
「……妥当だな。ドイツ語で“現実を歪めた虚像”。
その在り方を、正確に表している」
マルコムはさらに続ける。
「ECHO Driveの起動条件は、すでに話した通りだ。
カイル自身と、カイルと同じDNAを持つ存在――その両方が必要になる」
カイルの表情が強張る。
アカネは驚きに目を見開いた。
「だから……アリウス、君が並行世界から来たことで条件がそろった」
マルコムの目に、わずかな光が宿る。
「ならば……ツェアビルドを消滅させられるかもしれない」
室内に、再び沈黙が落ちた。
それは重く、同時に確かな希望を孕んでいる。
アリウスは腕を組んだまま一歩前へ出る。
低く、しかし揺るがぬ声。
「……なら、やるしかないな。俺も力を貸す」
その言葉にマルコムが小さく頷き、バニングが鋭く命じる。
「よし、準備を急ぐぞ。全員、配置につけ!」
カイルは何も言わず、そのやり取りを見つめていた。
胸の奥に沈んだ重みだけが、消えずに残っていた。
CH2
-アシュフォード研究所1階会議室-
全員は重い足取りで1階の会議室へ戻った。
窓の外はすでに夕暮れの色に染まり、沈みゆく陽が机上の資料を朱に染めている。
椅子が軋む音と端末の操作音だけが、静まり返った室内に響いた。
ヴィクターが腕を組み、真っ直ぐにマルコムを見据える。
「次のツェアビルドの出現場所と日時は?」
マルコムは頷き、隣の満男へ視線を向けた。
「それは満男が観測している。……満男、頼めるか」
満男は端末を数度タップし、解析結果を表示する。
「分かった。……前々回の出現が1週間前、前回が今日。
この間隔から推測すると――次は5日後の17時03分だ」
わずかに首を振る。
「ただし、出現場所は特定できない。カイルの“周辺”としか言えん」
カイルは黙ったまま、拳を握り締めた。
マルコムが低い声で続ける。
「ならば、こちらから奴を呼び寄せる。
奴の存在定義――因子と呼べるものは3つある」
指を折るように、淡々と挙げた。
「1つ、発生源であるパラレルマシン。
2つ、歪みの中心人物であるカイル。
3つ、歪みが最初に現れた場所――アシュフォード研究所」
アカネが小さく息を呑む。
「つまり、この研究所でカイルがいる状態でパラレルマシンを起動すれば、
奴は必ずここに現れるはずだ」
アリウスが目を細め、短く確認する。
「そのときに、俺とカイルでECHO Driveを使い、ツェアビルドを消滅させる。……それでいいんだな?」
マルコムは力強く頷いた。
「その通りだ。それまでにECHO DriveをTSRへ組み込む。
これが――作戦の全容だ」
短い沈黙。
やがて、全員の視線がカイルとアリウスへ集まった。
5日後の17時03分。
この場所が、決戦の舞台となる。
その重みが、室内の空気を冷たく引き締めていた。
カイルは拳を膝の上で握り締め、深く顔を伏せていた。
視線は床へ落ちたまま、上がらない。
隣でアカネが、その横顔を見つめる。
何かを言いかけては唇を噛み、結局、言葉を飲み込んだ。
軽々しく触れてはならない空気が、会議室を覆っている。
その沈黙を破ったのは、アリウスだった。
「……カイル。まだ整理がつかないのか?」
肩が、わずかに揺れる。
「俺がこの世界に来なければ……ツェアビルドに飲み込まれた人たちも……無事だった。ノアだって……」
言葉は、途中で沈んだ。
重苦しい沈黙。
ヴィクターが眉をひそめ、ニーナは唇を噛む。
バニングは何か言いかけ、結局視線を落とした。
アリウスが短く息を吐き、立ち上がる。
「……はぁ?」
低い、呆れた声。
だがその奥に、はっきりとした怒りがあった。
「お前、今……“いなければ良かった”って言ったか? バカか?……いや、バカか?」
カイルが、ゆっくりと顔を上げる。
アリウスは一歩踏み出し、鋭い視線を突きつけた。
「お前、今何を見てる? ここに集まった人間は、何でここにいる?」
「……ツェアビルドを倒すため……」
声は小さい。
「違う!」
アリウスの声が、会議室に響いた。
「お前に生きて欲しいからだ! ……俺もだ!」
カイルは言葉を失い、拳をさらに握り締める。
アリウスは容赦なく続けた。
「答えろ、カイル。この人たちを見て……お前はどうしたい!」
「……この世界で……生きたい」
「声が小さい!」
「……この世界で、生きたい!」
「もっとだ!!」
カイルは立ち上がり、全員に向き直る。
「俺は――この世界で生きたい!!! みんな、力を貸してくれ!!」
その叫びが、重く沈んでいた空気を一気に払いのけた。
ヴィクターは無言で腕を組み直し、
バニングは小さく頷く。
ニーナの目に光が戻り、スタンリーがぽつりと呟いた。
「……アリウスって、体育会系だな」
小さな笑いが広がる。
だが、ただ1人――アカネだけは、眉をひそめたままだった。
カイルの瞳に、ほんの一瞬、別の影がよぎった。
その違和感が、胸の奥に静かに残っていた。




