第1部 第3話「彼の中にいたのは誰か(1)」後編
数時間後。
ゴースト本部に調査依頼が届く。
――違法な人格移植の可能性あり。
被害者:リチャード・ローウェル。要調査。
通知を受け取ったカイルは、薄い光が差し込むデスクに腰を下ろし、報告書を手に取った。
そこへ、端末を片手にしたスタンリーが入ってくる。
「またリング持ちか?」
カイルは資料から目を離さず、短く息を吐いた。
「……ろくな結末になった例がないからな」
皮肉めいた口調。
だが、その声には抑えきれない苛立ちと、不安が滲んでいた。
違法移植の現場には、ほぼ例外なく“誰かの犠牲”がある――その現実を、カイルは痛いほど知っている。
画面に映るリチャード・ローウェルの顔写真は、どこにでもいる中年男性のものだった。
だが、その背後には、まだ姿を見せていない“何か”が潜んでいる。
カイルは低く呟く。
「……さて、あんたは“誰”だった?」
その問いを胸に抱いたまま、彼とスタンリーは現場へ向かった。
高層階から見下ろす曇り空が、硝子越しに鈍く差し込んでいる。
薄暗い照明の下、現場保存テープの向こうにソファがひとつ、ぽつんと置かれていた。そこが、リチャード・ローウェルの最期の場所だった。
ソファの沈みと、床に散ったグラスの破片。
うっすらと残る紅茶の痕跡が、光を受けて浮かび上がる。
カイルは枕の縁に指を当て、わずかな圧痕を確かめるように目を細めた。
「首を……絞められたな」
声に出すというより、自分に言い聞かせるような呟きだった。
応接スペースでは、クララ・ローウェルが椅子に腰掛けていた。
整った身なりに、落ち着いた表情。だが、その悲しみはどこか舞台めいている。
「人格移植の痕跡があったことは、ご存知でしたか?」
「……そんなはずは……あの人が、そんなこと……」
涙を拭う仕草は丁寧だったが、頬に濡れた痕跡は残っていない。
「変わった様子は?」
「いいえ……いつも通りでした。午前中は書斎で仕事をしていて……特別なことは何も」
「最後に会ったのは?」
「事件の前、午前中です。私は外出していて……戻ったら、もう……」
クララは視線を落とし、短く息を吐いた。
だが、その声に震えはなかった。
一通り話を終え、カイルはスタンリーに目を向ける。
「どう思う?」
スタンリーは無表情のまま答えた。
「……用意された悲しみだ。芝居としては下手じゃないが、俺たち相手には通じない」
カイルは扉の方へ視線を移し、低く呟く。
「本当に“夫が死んだ”妻の目じゃない」
その違和感は、小さな棘のように、カイルの胸の奥へ静かに刺さっていた。
CH5
-ローウェル・エナジー本社ビル応接フロア-
リチャード・ローウェルが勤めていたエネルギー関連企業の本社は、ロウエル地区にそびえるガラス張りの高層ビルだった。
受付を通され、応接室へ案内される。そこで2人を迎えたのは、管理部の同僚ジェイソン・ミラーだった。痩せた体躯に、眼鏡越しの目は疲労の色を隠しきれていない。
「リチャードは……責任感のある男でした。誰にでも親切で、仕事も誠実。少し“良すぎる”くらいにね」
スタンリーがわずかに首を傾げる。
「良すぎる?」
ジェイソンは眼鏡を押し上げ、小さく息を吐いた。
「弟がいたんです。ダニエルという。若くして難病を患っていて……治療には、かなりの金がかかると聞いています。
リチャードは、その弟を支えるために必死でした。詳しいことまでは分かりませんが……誰かが“保険の話”をしていたのを、耳にしたことがあります」
カイルは、しばらく黙ったまま、それ以上言葉にしなかった。
2人は短く視線を交わす。
「……それが、誰かの目に“利用価値”として映ったとしたら?」
そう呟き、カイルは立ち上がって軽く頭を下げた。
「ありがとうございました。……もう一度、奥さんに話を聞いてみます」
応接室を出たあと、廊下でカイルが低く言う。
「難病の弟に、保険……偶然にしては、つながりすぎている」
曖昧だった事件の輪郭が、ようやく薄く、だが確かな線を描き始めていた。
CH6
-高級マンションのローウェル邸-
夕方の静かな空気の中、カイルとスタンリーは再びローウェル邸を訪れた。
だが、今回は先客がいた。
「こんにちは。イーサン・ブレイクと申します。リチャードの生命保険を担当している会社の者です」
玄関先で名刺を差し出したのは、整ったスーツ姿の若い男だった。
抑制された笑み、無駄のない仕草。営業職特有の柔らかさの奥に、どこか冷ややかな気配が潜んでいる。
「クララさんのご依頼でお話を伺いに来たのですが……ご一緒でも構いませんか?」
一瞬だけ、カイルがスタンリーと視線を交わす。
「ええ、もちろん」
呼び鈴を鳴らし、3人はクララに迎えられて中へ入った。
「先日はご足労をおかけしました……今日は、保険についてお話できればと」
イーサンはクララに向き直り、深く頭を下げる。
「まずは、ご主人のご冥福をお祈りいたします。……あのように苦しむ形で亡くなられるなんて」
その言葉に、カイルの眉がわずかに動いた。
イーサンは手にしたボールペンを、無意識のようにカチカチと鳴らす。
3人が腰を下ろすと、穏やかな照明に照らされたリビングに、微妙な緊張が流れた。
カイルはクララに向き直り、淡々と切り出す。
「ご主人は、かなり高額な生命保険に加入されていたようですね。記録では、1,000万ドルを超えている」
クララは目を伏せ、静かに頷いた。
「ええ……弟の治療費のこともあって、何度も見直していました。最後は……本人が手続きを」
声にわずかな震えはあったが、涙は見せない。
隣でイーサンがすぐに補足する。
「契約内容に問題はありません。条件も満たしており、保険金申請はすでに受理されています。来週中には振り込み予定です」
再び、ボールペンがカチカチと鳴った。
「早いですね」
スタンリーが口を挟む。
「不備がなければ、通常の処理です。ただ……もし自殺であれば、話は別でしたが」
言葉の合間に、またペンの音が響く。
カイルの眉が、もう一度だけ動いた。
(わざわざ、その言葉を強調するか……?
それに、不自然なほどペンを鳴らす。癖か、それとも――)
クララは何か言いかけたが、結局口を閉じ、イーサンの説明に身を委ねるように黙った。
カイルは視線を戻し、静かに告げる。
「ここまで手続きが整っていると、何かに備えていたようにも見えますね」
イーサンの返答は、淀みがなかった。
「リチャードさんは几帳面な方でした。万が一の事態に備えるのは、自然な判断だったのでしょう」
それ以上は踏み込まず、カイルは立ち上がる。
「ご協力ありがとうございました。また改めてご連絡します」
玄関を出た直後、スタンリーがぽつりと漏らした。
「……理想的すぎる流れだな」
カイルは小さく頷く。
「だからこそ、違和感が残る」
「どう思った?」
「……あいつ、どうして知っていた?」
冷たい風が頬をかすめる中、2人の疑念は、音もなく膨らみ続けていた。




