第2部 第11話「黒い影」前編
CH1
-ロイクの工房-
油と金属の匂いが工房に滞留していた。
作業台の上には分解された義腕とパワーユニットが並び、無造作に置かれた工具が鈍い光を返している。
ロイクは溶接ゴーグルを額へ押し上げ、ヴィクターの左腕に視線を落とした。
「……リミッター、外したな」
「……あぁ。久しぶりに、な」
ロイクは肘をつき、ユニットの接合部を確かめる。
「左のパワーユニットはどうだった?」
「出力を上げすぎだ。暴れ馬に乗ってる気分だった」
口の端をつり上げ、ロイクは工具をカチャリと置く。
「まあまあ、そう言うな。改造は楽しかったぜ」
「……そのおかげで、こうして生きている」
「命あっての物種ってやつだ。右腕の修理も進めとく」
「頼む。……普通に修理してくれ」
「えー? 出力、上げないのか?」
ヴィクターは短く息を吐いた。
「……普通に、だ」
ロイクは笑い声を漏らし、再び作業に取りかかる。
「そういや、ヴァイルが捕まったらしいな」
「あぁ。聞いている」
「昔から気に食わねぇ奴でよ。良心ってもんが欠片もねぇ。人を、道具としか見てねぇ」
「……ヴァイルを知っていたのか」
「ああ。よくな」
ロイクはレンチを回しながら続ける。
「昔、ミラージュにいた。技術員としてな」
「……そうだったのか」
一瞬、金属音が止まった。
ロイクの表情が、わずかに曇る。
「あいつが来てからだ。組織は変わっちまった。嫌な研究ばかり増えた。……それで嫌気がさして、辞めた。今はフリー、ついでにゴーストお抱えってわけだ」
手を止め、ロイクはちらりとヴィクターを見る。
「……多分だが、ミラージュはこの先、良い方向に向かうかもしれん」
「そうだと、いい」
短い応答のあと、再び工具の音が工房に広がった。
CH2
-ゴースト本部1階第1チームデスク-
モニターの淡い光が、静まり返った執務スペースを照らしていた。
カイルは椅子に身を預け、隣のヴィクターへ視線を向ける。
「ヴァイルの取り調べ、まだ続いているみたいだな」
ヴィクターは端末から目を上げず、短く応じた。
「そのようだ。……アシュフォード研究所の爆破テロ、動機は聞いたか」
「あぁ。マルコムとヴァイルは、同じ大学の同期だったらしい。
先に人格移植の研究論文を出されたことで、ヴァイルは激しく嫉妬した。
その鬱屈を晴らすために、“反人格移植”を掲げるプリタスに接近した。
信者としてじゃない。利用するための、道具としてだ」
ヴィクターがわずかに眉を寄せる。
「……思想に酔っていたわけじゃない、ということか」
「そうだ。復讐と研究のためなら、思想も信者も平気で踏み台にする。
その後はミラージュに移り、研究を非人道的な方向へねじ曲げた。
そして最後は、プリタスすら裏から操っていた」
ヴィクターは短く息を吐いた。
「……狡猾なだけじゃない。根から歪んでいる」
「だが、もう逮捕された」
そこで、ヴィクターは言葉を切った。
ふと、どこか遠くを見るように目を細める。
その瞳には、炎と瓦礫に覆われた過去の光景が、いまだ焼き付いたままだった。
しばらくして、思い出したように口を開く。
「そういえば……もう一つ。ノアが、気になることを言っていた」
カイルが顔を向ける。
「何だ?」
「俺たちがミラージュ本部に潜入していた頃、ノアを含む第5チームは別任務に出ていた。
市街地近郊で、“黒い影のような人影が暴れている”という通報があったらしい。
——警察が問題視したのは、見た目じゃない。
襲われた一般人に、致命傷はなかった。
その代わり、意識の混濁や人格の乖離が確認された。
被害の出方が、明らかに人格犯罪のそれだった。
通常の制圧では対応不能と判断され、強襲部隊として第5チームが投入された」
「黒い影……?」
「あぁ。現場に到着した隊員が接敵し、まず警告を出した。
だが、相手は一切応じず、一直線に突っ込んできた。
発砲しても止まらない。被弾してなお、距離を詰めてきたそうだ。
最終的に一斉射撃で倒したが、その瞬間——
姿かたちが、消えるように失われたという」
カイルの眉が、わずかに動く。
「……まさか、ミラージュがまた絡んでいるのか」
「いや、違うと思う」
ヴィクターは静かに首を振った。
「ノアの話を聞く限り、あれは兵器や強化人間の枠に収まらない。
人知を超えた存在——そう感じた、と言っていた」
カイルは短く息を吐き、視線を遠くへ流す。
「……嫌な胸騒ぎがするな」
***
夕暮れ。
市街地近郊は、濃い影と街灯の光が入り混じる、静かな時間帯にあった。
その静寂を切り裂くように、ゴースト本部へ低く重い警報音が鳴り響く。
赤い警告灯が回転し、壁と天井を交互に染め上げた。
「警告。未確認戦闘体反応。位置──本部より北西2キロ、市街地外縁部」
オペレーターの声が、スピーカー越しに鋭く響く。
カイルはデスクから立ち上がった。
「……噂をすれば、か」
すでに出動準備を整えた第5チームが、エントランスを駆け抜けていく。
重装備の足音が、床を低く震わせた。
「第5チーム、現場急行。目標は黒い影のような未確認個体。過去事例と同一と推定」
「……また、奴か」
ヴィクターが低く呟く。
その右肩から先は、まだ無かった。タラスク戦で失った義腕は修復中で、仮義手すら装着していない。残された左腕にのみ、簡易戦闘用の外装が取り付けられている。
次の瞬間、通信が割り込んだ。
『第5チームより要請。現場付近で複数の民間人被害を確認。現在交戦中。第1チームは直ちに応援を』
バニングの声が、間髪入れずに飛ぶ。
「第1、出動だ! 全員、2分以内に武装完了!」
カイルとヴィクターは視線を交わす。
言葉を交わす暇もなく、2人は同時に武器ロッカーへ駆け出した。
背後では、けたたましい警報が、なおも本部中に鳴り響いていた。
CH3
-市街地外縁部-
カイルとヴィクターが現場に到着したとき、すでに周囲は火線と硝煙に覆われていた。
夜の街路に、断続的な銃声と閃光が散る。
「第1チーム到着!」
カイルが無線へ叫ぶ。
道路の向こうでは、第5チームが遮蔽物に身を伏せ、黒い影へ一斉射撃を浴びせていた。
だが、その影はまったく怯まない。銃弾を受けながらも、ゆっくりと歩を進めてくる。
被弾した箇所は黒い靄のように揺らめき、次の瞬間には跡形もなく消えていた。
「……効いてないのか」
ヴィクターが歯噛みする。
そのとき、影が進行方向を変えた。
交差点脇――逃げ遅れた中年の男へ向け、一直線に突進する。
「やめろッ!」
カイルが駆け出す。だが、影の方が速かった。
黒い靄が渦を巻くように男を包み込み、男は声を上げる間もなく膝から崩れ落ちる。
瞳から光が失われ、虚ろな表情のまま地面に横たわった。
「……人格を……吸っているのか……?」
ヴィクターの声が、低く震える。
だが影は止まらない。
そのまま通りの先にいた若い女へ、滑るような速さで接近する。
悲鳴を上げた次の瞬間、女の身体は黒い靄に包まれ、糸の切れた人形のように倒れた。
カイルが駆け寄ろうとした刹那、影はさらに方向を変える。
路地から出てきた青年を捕らえた。
青年は必死にもがくが、抵抗は一瞬だった。
次の瞬間、力なく崩れ落ち、その瞳は虚空を映していた。
「3人も……!」
怒りに震える声とともに、カイルはTSRの柄に手をかける。
その瞬間――影がぴたりと動きを止め、正面からカイルを見据えた。




