第2部 第10話「死闘、タラスク(2)」後編
戦場に、わずかな静寂が訪れた。
押さえ込まれたタラスクの巨体が、徐々に力を失っていく。
だが、完全に沈黙したわけではなかった。
わずかに震える肩。その瞳に宿るのは、怒りでも敵意でもない。
「……殺してくれ……」
かすれた声が、戦場の空気を震わせた。
「もう……限界なんだ……終わらせてくれ……」
そこに虚勢も、抗いもない。
ただ、救いを乞う切実さだけが残っていた。
人格を何度も切り替えられ、他者の意志に縛られたまま戦わされる。
その果てに辿り着いた声だと、カイルは悟る。
奥歯を、強く噛み締めた。
(……ヴァイル……
お前は、人の魂を……玩具のように……)
胸の奥で怒りが鋭く凝縮し、やがて一点へと収束していく。
カイルはTSRを握り直し、低く呟いた。
「……アサルトモード、解放」
瞬間、TSRの基部が低く唸り、
外装がわずかに展開し、内臓された振動刃が露出する。
刃の輪郭が空気を裂くように震え、
刀身は灼熱を思わせる光を帯び、次の瞬間、赤熱したように脈動した。
「カイル……それを……」
ヴィクターが、思わず声を漏らす。
その光景に、義体の瞳すら大きく見開かれていた。
カイルは視線を落とし、
なお拘束されたままの巨体に向かって、静かに告げる。
「……わかった」
そこに、ためらいはなかった。
振動ブレードが赤い軌跡を描き、
重い空気を切り裂く。
次の瞬間――
鮮烈な閃光とともに、タラスクの首が宙を舞った。
巨体が膝から崩れ落ち、
床に響く重い音とともに、すべての動きが止まる。
その沈黙は、解放の静けさであり――
同時に、深い喪失を予感させるものでもあった。
***
タラスクが完全に沈黙した、その直後。
ヴィクターは短く息を吐き、わずかに膝を曲げた。
脚部サーボの回転数が一気に跳ね上がり、低い駆動音が床を震わせる。
「──ッ!」
次の瞬間、義体の脚が爆発的に弾け、ヴィクターの身体が一足飛びで上階の観測室へと跳躍した。
分厚い防弾ガラスが、義拳の一撃で粉砕される。
鋭利な破片が光を反射しながら、空間に散った。
カイルは思わず舌を打つ。
(……あれは、人間の脚力じゃないな)
自分には到底不可能な距離だ。
カイルは即座に判断し、ドアを蹴破って通路へ出る。
走りながら階段を探し、観測室へと向かった。
観測室では、突如現れたヴィクターの姿に、研究員たちが悲鳴を上げた。
蜘蛛の子を散らすように、次々と逃げ出していく。
だが──その中で、ただ1人。
微動だにしない男がいた。
ルシアン・ヴァイル。
その瞳には敗北の色が浮かんでいたが、不思議と揺らぎはない。
ヴィクターは、その姿を見据え、低く言い放つ。
「逃げなかったことだけは……褒めてやる」
ヴァイルの口元が、わずかに歪んだ。
「……私の最高傑作が敗れたのだ。
逃げも隠れもしないさ」
そこに皮肉も、恐怖もない。
あるのは、歪んだ矜持だけだった。
そのとき、息を切らせたカイルが観測室に飛び込んでくる。
ヴィクターは視線を逸らさぬまま、問いかけた。
「……自分の非を認める、ということだな?」
ヴァイルは、鼻で笑う。
「──自分の非だと? 馬鹿を言う。これは実験だ」
淡々と、言い切る。
「今回のタラスクは敗れた。
だが、次はもっと素晴らしい傑作を作る。
そのときは──また相手をしてもらおう」
その無慈悲な宣言に、ヴィクターの声が低く、鋭くなる。
「……お前は、人の命を……何だと思っている」
静かな言葉の奥で、確かな怒りが燃えていた。
それは、ゆっくりと距離を詰める足取りとなって表れる。
「……よくも、人の命を弄んでくれたな……」
カイルもまた、低い声で吐き捨てるように言い、ヴァイルへ歩み寄った。
その足音は、ヴィクターと呼応するかのように重く響く。
ヴァイルの瞳が、挑発するように細まった。
「人の命など──私にとっては道具にすぎん!」
その瞬間、2つの影が同時に動いた。
言葉ごと叩き潰すように、
ヴィクターの左拳が、義体の駆動音とともにヴァイルの右頬を抉る。
ほぼ同時に、カイルの右拳が反対側の頬を撃ち抜いた。
衝撃に、ヴァイルの身体がぐらりと揺れ、
次の瞬間、椅子ごと横倒しに崩れ落ちる。
その意識は、完全に闇へと沈んでいた。
CH2
-ミラージュ本部前-
慌ただしく調査を進めるゴースト職員たちが、施設内を行き交っていた。
ミラージュ本部前。
夕暮れの空を背に、戦いを終えた4人が並び立っている。
ヴィクターの義体の外装はところどころ焦げ付き、カイルのTSRも血と油にまみれていた。
しばらく沈黙していたヴィクターが、不意に口を開く。
「……さっきの戦いで、もう隠せなくなったな」
カイルが視線を向けると、ヴィクターは淡々と続けた。
「言わなかっただけだ。──俺は人間じゃない。
残っている“本物”は、脳の一部だけだ。
あとの身体は、全部機械だ」
カイルは、一瞬言葉を失う。
「20年前のアシュフォード研究所の爆破テロ……。
あのとき、俺も家族と一緒にいた。
気づいたら病院のベッドで、身体はほとんど残っていなかった。
……人格データを移され、“生かされた”。それが真実だ」
短い沈黙。
遠くで、エンジン音だけが低く響いている。
ヴィクターの声は低いが、そこに揺らぎはなかった。
「俺は、生きているのか死んでいるのか……今でも分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
ルシアン・ヴァイルが、家族を殺した。
そして、俺から“人間としての死”を奪ったのも、あの男だ」
その瞳には、怒りと諦念、そして揺るぎない決意が同居していた。
カイルはしばらく黙ったあと、小さく頷く。
「……これからも頼む、ヴィクター」
ヴィクターは目を細め、わずかに口元を緩めた。
カイルが続ける。
「……ところで、あの時の援護射撃。どうやって通信したんだ?」
スタンリーが腕を組み、静かに口を開いた。
「……ミラージュの実験棟は、想定以上に強固なシールドで通信が遮断されていた。
こちらからも、向こうからも、ほとんど声は届かない状態だった」
カイルが眉をひそめる。
スタンリーは小さく息を吐き、言葉を継いだ。
「断片的に聞こえたお前たちの会話で、罠だと察した。
すぐに援護が必要だと判断したが……タイミングを伝える手段がなかった。
偶然、別任務で近くにいたノアに狙撃支援を頼んだものの、合図が出せなくてな」
ノアが肩をすくめ、軽く笑う。
「いや〜、俺もあの距離じゃタイミング読めなくてさ。
『今撃ったら邪魔かな』とか、『外したらごめんなさい』とか、色々考えてたわけ」
そこで、ヴィクターが口を挟んだ。
「……その合図を、俺が送った」
全員の視線が集まる。
「リミッターを解除すれば、義体の通信出力が一時的に拡張される。
……ギリギリだが、ノアの受信圏まで届いた」
カイルが呆れたように笑った。
「……命がけの通信かよ」
ヴィクターは小さく頷き、わずかに口元を緩める。
「必要だった。それだけだ」
ノアがニヤリと笑い、軽く敬礼した。
「おかげで、いい花火を上げられたよ」
カイルはふと、ヴィクターの義肢の冷却ユニットが、まだ白い蒸気を吐いていることに気づいた。
早い段階でリミッターを外せば、その負荷は計り知れない。
……それでも、あえて訊く。
「なんで、もっと早くリミッター解除しなかったんだ?」
ヴィクターは一瞬だけ視線を落とし、低く答えた。
「……演出だ」
互いに目が合う。
次の瞬間、ほんのわずかに口元が緩み、2人ともふっと笑った。
「……いらねー」




