第2部 第10話「死闘、タラスク(2)」前編
CH1
-ミラージュ本部実験棟-
「……こいつ、二つどころか三つの人格――
空手、カポエイラ、シラットを切り替えて戦っている……」
ヴィクターの声は低く沈んでいた。
だが、その奥底には鋭い光が宿っている。
「ならば……!」
彼はカイルへ視線を向けた。
「カイル。30秒だけ、1人で持たせてくれるか。
今から、演算能力と左腕の高出力パワーユニットのリミットを解放する」
「30秒だな……!」
カイルは短く息を吐き、TSRを握る手に力を込めた。
「何とか、持ちこたえてみせる!」
「……死ぬなよ」
その一言を残し、ヴィクターは一歩退く。
静かに、だが確実に、内部機構の制限が解除されていく。
「……リミット解放」
義体の奥から、低く重い唸りが響いた。
左腕の外装がわずかに開き、筋繊維を模した金属束がうねる。
青白い電光が皮膚の下を走り、両眼もまた冷たく輝き始めた。
その間にも、タラスクは迷いなくカイルへ迫る。
まずは空手。
直線的で無駄のない突きが、殺意を伴って顔面を貫きに来る。
「くっ……!」
身を屈めてかわし、逆袈裟にTSRを振るう。
だがタラスクは紙一重で退き、即座に距離を詰め直した。
次の瞬間、重心を低く沈め、足払い――
そう見えた軌道が、突如として回転を伴うカポエイラの旋風脚へ変わる。
「っぐ!」
防御は間に合わず、脇腹に衝撃が叩き込まれた。
肋骨がきしむ感触が、はっきりと伝わる。
「……95……」
背後から、ヴィクターの冷静なカウントが響く。
タラスクは間合いを切らない。
低く回り込み、足裏で膝を狙ってくる。
受け止めれば、骨ごと砕かれる――そう直感し、カイルは横へ跳んだ。
だが着地と同時に、タラスクは軸を切り替え、
流れるようにシラットの崩しへ移行する。
手首を絡め取られ、全身のバランスが奪われた。
「……まずい……!」
無理やり身体を捻って脱出するが、
胸元を爪のような手刀がかすめる。
紙一重。
「……100……105……」
カウントは着実に進む。
だが、時間は異様なほど長く感じられた。
呼吸は荒れ、握ったTSRの感触すら遠のく。
タラスクの攻撃は、一瞬先を読む余裕すら与えない。
そして――
シラットの崩しから、再び空手へ。
真正面から迫る拳を受け流した瞬間、
反対の脚が回転を伴って頭部を狙う。
二重の攻撃。
視界が揺れる中、カイルは歯を食いしばり、
TSRで軌道を強引に逸らした。
「……110……115……」
背後で、ヴィクターの声。
だが次の瞬間、
シラット特有の絡め手が首元に絡みつく。
喉が締め上げられ、視界が急速に暗転していく。
「……っ……!」
意識が途切れかけた、その刹那――
「120%――リミット解放!」
ヴィクターの咆哮とともに、青白い閃光が炸裂した。
左腕から放たれた正拳突きが、タラスクの脇腹を直撃する。
重い衝撃が響き、タラスクの拘束がわずかに緩んだ。
カイルは地面に転がり、荒い息を吐きながらも、
即座に構えを取り直した。
ヴィクターの左腕は、解放されたパワーユニットの膨張によって、通常の3倍近い太さへと変貌していた。
外装パネルの隙間から白い冷却蒸気が噴き出し、金属繊維が螺旋を描くように隆起する。
表面を走る青白い光は心臓の鼓動と同調するかのように脈打ち、そのたびに周囲の空気がわずかに震えた。
顔つきも変わっている。
普段は冷静な双眸は、今や昂揚を隠さぬ鋭い光を宿し、口元にはかすかな戦士の笑みが浮かんでいた。
義体の演算回路は限界まで稼働し、視界にはタラスクの関節角度、筋肉の緊張、動き出しの予兆が、透過図のように重なって映し出されている。
「……カイル、生きているな?」
低く、だが確信を帯びた声。
「あぁ……大丈夫だ」
カイルは荒れた呼吸を整えながら、TSRを握り直した。
「そうか――」
ヴィクターの瞳がさらに強く輝き、左腕のサーボが重く唸る。
「ならば――反撃開始だ!」
その言葉を合図に、ヴィクターは床を爆ぜさせるような踏み込みで前へ出た。
重金属が軋む音とともに、左腕が空を裂き、衝撃波のような風圧がタラスクの顔面をかすめる。
同時に、カイルも動いた。
ヴィクターの一撃が生んだわずかな隙間へ滑り込み、TSRの刃をタラスクの死角へと送り込む。
2人の連携が、ついに反撃の幕を開けた。
「カイル、左から回り込め!」
ヴィクターの声は鋭く、そして迷いがなかった。
カイルは即座に踏み出し、床を蹴る。
タラスクの視線が一瞬だけこちらを追った。
――その刹那。
ヴィクターの左腕が、閃光のように伸びた。
空気を裂く鈍い衝撃音。
義体の拳がタラスクの鳩尾へと突き刺さり、巨躯がわずかによろめく。
床が低く唸った。
「そのまま、押せ!」
カイルは命じられるまま踏み込み、TSRをタラスクの右脇へ深く差し込む。
金属を削るような火花が散り、タラスクの動きが一瞬、止まった。
だが――
三つの人格を抱えた化け物は、即座に反撃へ転じる。
空手の直線的な突きが、滑らかに回転し、そのままカポエイラの蹴りへと繋がった。
しかし。
先ほどまで翻弄されていたはずのカイルのTSRが、寸前でその脚を受け止める。
「今の俺たちなら……読める!」
ヴィクターが言い切り、左腕を地面へ叩きつけるように振り払った。
義肢の関節から蒼白い火花が散り、その衝撃でタラスクの巨体が横へ弾き飛ばされる。
壁に叩きつけられる鈍い音。
粉塵の向こうで、タラスクは再び立ち上がるが――その足取りは、明らかに鈍っていた。
「まだだ。止めるな!」
カイルが駆け出す。
正面ではヴィクターが圧をかけ、左右から挟み込む。
二方向からの連携攻撃は、さすがのタラスクでも受け切れない。
左腕の重撃。
そして、TSRの鋭い一閃。
二つの軌跡が交差した瞬間、タラスクの膝がわずかに揺らいだ。
ほんの一瞬――だが、確実な兆し。
崩れ始めている。
ヴィクターの瞳が青白く輝き、金属の唸りが戦場を満たす。
それは、
機械と人間の境界を踏み越えた者が切り拓く、
圧倒的な反撃の始まりだった。
***
義体の左腕が閃き、タラスクの巨体を押し返す。
だが──ヴィクターの額には、薄く汗が滲み始めていた。
(……悪くない。だが、このままでは削るだけだ)
機械仕掛けの演算が、冷徹に結論を弾き出す。
確実にダメージは与えている。
しかし三つの人格を持つ怪物は、そのたびに戦い方を切り替え、致命傷を巧みに回避していた。
「カイル──」
短い呼びかけに、カイルが即座に身構える。
「合図が来たら、ヤツの両脚を封じろ」
「合図が来たら……?」
一瞬だけ眉をひそめるが、すぐに理解して頷いた。
「分かった!」
2人は再びタラスクへと迫る。
重く鈍い衝撃音が戦場に響き、TSRと拳が交錯する。
それは互いの呼吸を合わせ、敵を削るための、無言の舞踏だった。
そして──。
「おおおッ!」
ヴィクターが渾身の一撃を左腕に込め、タラスクの腹部へ叩き込む。
巨体がわずかに浮き、体勢を崩した、その瞬間。
「今だ!──ノア!」
「ノア……?」
カイルが思わず声を漏らす。
直後、乾いた破裂音が響いた。
タラスクの右肩に何かが突き刺さり、鈍い電撃音が弾ける。
D-EMP弾。
機械部位が痙攣し、巨体の動きが一瞬、はっきりと鈍った。
「逃がすか!」
ヴィクターが一気に踏み込み、左腕だけでタラスクの右腕を極める。
義体の駆動音が低く唸り、常人なら両腕でも不可能な制圧を、片腕でやってのけた。
「カイル!」
その声に応え、カイルが反対側からTSRを振り抜く。
鋭い一撃がタラスクの左脚の腱を打ち抜き、巨躯が大きく揺らいだ。
「──ッ!」
タラスクが膝をつく。
首元をヴィクターが押さえ込み、カイルが残る脚の可動部を封じる。
もがく怪物の呼吸が荒れ、動きは次第に鈍っていった。




