第2部 第9話「死闘、タラスク(1)」後編
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タラスクが、ふっと動きを止めた。
その瞳が――再び変わる。
先ほどの跳ねるような狂気でも、獣じみた残忍さでもない。
冷え切った殺気を宿した、研ぎ澄まされた眼差し。
次の瞬間、巨体が静かに構えを取った。
「……空手か」
ヴィクターが低く呟く。
確かに見覚えのある構えだった。
だが、そこに置かれた“間合い”と“重心”は、先ほどとは決定的に違う。
タラスクが踏み込む。
一撃一撃が正確で、無駄がない。
まるで別人が演武しているかのような、完成された動きだった。
「……あれ? おかしい……」
カイルは目を細めながら後退し、TSRで一撃を弾く。
その直後、何かに気づいたように呟いた。
「……間合いと戦い方が、空手とカポエイラでまるで違う!」
「何を言っている。
こいつは空手とカポエイラを使うんだろう?」
ヴィクターの言葉に、カイルははっきりと首を振った。
「違う。本当に両方を修めた格闘家なら、技は融合される。
カポエイラの蹴りにも、空手の直線的な理が混ざるはずだ。
でも、こいつはそうじゃない」
一拍置き、言い切る。
「融合していない――“切り替わってる”」
「……まさか」
ヴィクターの瞳に、驚愕と怒りが同時に灯った。
「……そういうことか。
二つの人格を合成したのか……ヴァイル!」
その名を呼ぶ声には、抑えきれない怒気が滲んでいた。
同時に、戦闘の様子をモニター越しに眺めていたヴァイルが、
口元を歪め、ニタリと笑う。
まるで、掌の上で踊る人形たちを見下ろすかのように。
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炸裂する衝撃波。
鉄骨をへし折るような拳が、紙一重でカイルの頬をかすめた。
「ちっ……やっぱり、一撃が重すぎる……!」
カイルは地を蹴り、滑るように後退する。
その間にもタラスクは構えを切り替え、体重を乗せた踏み込みとともに、空手の教本をなぞるかのような直線的な突きを放った。
だが、その動きは数秒前のものとは明らかに違っていた。
「――どういうことだ、ヴィクター!」
一瞬の間隙を突いて、カイルが叫ぶ。
「通常の人格移植では、一つの肉体に一つの人格。
多重人格を除けば、それが大原則だ」
ヴィクターは身を翻し、タラスクの蹴りを紙一重でかわしながら、言葉を継いだ。
「だが、こいつは違う。
おそらく人格移植装置を改造し、一つの肉体に“二つ”の人格を同時に移植している」
「二つも……同時に!?」
「だから人格が切り替わるたびに、間合いも構えも、戦い方も別物になる。
あれは――主導権を奪い合う“2人の戦士”だ!」
カイルは眼前の巨躯を睨み据えた。
今は空手。直線的で、隙のない攻撃。
だが次の瞬間には、動きが流麗に変わり、舞うようなカポエイラへと移行する。
「……だが!」
カイルが強く言い切った。
「タネが分かれば――!」
「どうということはない!」
ヴィクターの声が重なる。
その瞳には、冷静さと闘志が同時に燃えていた。
次の瞬間、ヴィクターのTSRがタラスクの足元を切り裂く。
体勢を崩したその刹那、カイルの蒼く輝くTSRが踊った。
動きを読む。
癖を見抜く。
構えが変わる、その“瞬間”を狙う――。
混戦の中で、2人の連携は次第に冴えを増していく。
――タラスク。
人格が切り替わるたびに強さが変わるなら、その切り替えの一瞬こそが、最大の隙となる。
だが。
その理解を嘲笑うかのように、タラスクの背筋が再び硬直し――
ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、これまでとは異なる、
禍々しく、底知れぬ“光”が宿っていた。
「……やれ」
実験室のガラス越しに、ヴァイルが小さく呟いた。
傍らの研究員が無言で端末に触れ、スイッチを押す。
その瞬間、タラスクの動きが止まった。
まるで、命の糸を一度断ち切られたかのように。
だが沈黙は、ほんの刹那だった。
次の瞬間、タラスクはゆっくりと顔を上げる。
その眼には、先ほどまでとは質の異なる、冷え切った光が宿っていた。
立ち上がり方、重心の置き所、構え――
空手でも、カポエイラでもない。
「……構えが、変わった……?」
ヴィクターが一歩踏み出しかけた、その瞬間。
タラスクが虚を突くように踏み込み、
目にも留まらぬ速さでヴィクターの右腕を捉えた。
「ッ……!」
鈍く、低い音。
関節が、正確に極められる。
「……今の動きは……空手でも、カポエイラでもない……
この極め方……シラットか!」
驚愕の中で、ヴィクターが叫ぶ。
だが、その言葉を合図にしたかのように、
タラスクはさらに右腕を捻り上げた。
バキィィ――
鈍く、重い音が、戦場に響き渡る。
「ぐっ……!」
ヴィクターの顔が歪み、膝が床に落ちた。
「ヴィクター!!」
カイルの叫びが反響する。
視界に映るのは、右腕を垂れ下げたままのヴィクターと、
無表情のまま次の動作へ移ろうとするタラスクの姿。
その構えは、さらに異様さを増していた。
――もはや“人の技”とは呼べない。
理詰めで組み上げられた、“殺すためだけの型”。
そして、実験室のガラスの向こうで、
ヴァイルが静かに嗤っていた。
「どうかな? 私のタラスクは」
ヴァイルの声が、実験室に響いた。
どこか高揚し、悦楽を含んだ声音だった。
「複数の人格を切り替えて戦う姿は──
まさに、芸術そのものだろう?」
カイルの隣で、ヴィクターが顔をしかめ、吐き捨てるように言う。
「……マッドサイエンティストが」
だが、カイルの視線はタラスクではなく、その横に立つヴィクターへと向けられていた。
「ヴィクター……その腕……」
折られた右腕を、彼はもう庇ってはいなかった。
破れた袖口から、金属のフレームと人工筋繊維が露出している。
断面には、微かなスパークのようなノイズが走っていた。
ヴィクターは無表情のまま、低く応じる。
「言わなかっただけだ。
──脳の一部を除けば、全部機械だ」
一拍置き、淡々と続けた。
「20年前のアシュフォード研究所爆破テロ……
あのとき、俺も家族と一緒にいた」
「……!」
カイルの目が一瞬だけ見開かれる。
だが、すぐにそこから戸惑いは消えた。
「……なら」
静かに言って、視線をタラスクへ戻す。
「まだ、やれるな」
「ああ。やれるとも」
2人の視線が揃って前を向く。
理由も、過去も、今は後回しだ。
必要なのは、ただ一つ。
──勝つことだけだった。




