第2部 第9話「死闘、タラスク(1)」前編
CH1
-ミラージュ本部実験棟-
実験施設を満たす白い光の中で、沈黙を破ったのはカイルだった。
「……やはり、罠だったか……」
その声音は冷えていた。
怒りを抑え込み、感情だけを削ぎ落とした声。
ヴァイルは薄い笑みを浮かべたまま、ゆっくりと歩み出る。
「私の名と、“プロジェクトT”という言葉さえ撒いておけば──
君たちは必ずここへ来る。そう信じていたよ。
期待どおりだ、カイル・アシュフォード」
「まさか……ブラッククリニックの情報を流したのも、お前か!」
カイルの問いに、ヴァイルは肯定も否定もせず、肩をすくめただけだった。
「すべては、正しい順序で配置されていただけのことだ」
そのやり取りを聞きながら、ヴィクターは唇を固く結び、低く呟く。
「……結局、すべては奴の掌の上、というわけか」
その言葉に呼応するように、カイルの胸裏を過去の違和感がよぎった。
──ブラッククリニックの、妙に甘かった警備。
──不自然なほど滞りなく進んだ、データへのアクセス。
(……そういうことか)
理解が、静かに形を結ぶ。
(あれはすべて仕組まれていた。
プロジェクトTの情報を“わざと”掴ませ、
俺たちを、この場所へ誘い込むために……)
カイルは目を細める。
その奥に灯ったのは、抑え込まれた怒りと、揺るがぬ決意だった。
ヴァイルはゆっくりと背を向け、白く輝く制御パネルの前へ歩み出た。
その一挙一動は、舞台装置の幕を引く演者のように過剰で、執拗だ。
指先が操作盤に触れた瞬間、口元に不気味な笑みが浮かぶ。
「では……とくとご覧じろ、ゴースト諸君」
声が、実験施設の空間に粘つくように絡みついた。
「これこそが──私の最高傑作。
ミラージュの叡智と、プリタスの贄、
そして私の執念が産み落とした“完全なる戦士”だ」
ヴァイルは指を滑らせ、最後のスイッチに触れる。
「……タラスクだ」
直後、実験空間の照明が一斉に点灯した。
白い閃光のような光が、無機質なドームの中心を照らし出す。
そこには、拘束器に固定された巨躯の人型があった。
全身を覆うのは、金属と肉体が混じり合ったかのような異形の装甲。
目元に刻まれた複数の光学センサーが、赤く明滅している。
機械でも、人間でもない。
──だが、確かに“存在”している。
その姿は、理屈抜きに不快な圧を放っていた。
カチャリ、という微かな音。
拘束具のロックが、一つ、また一つと外れていく。
「……タラスク……?」
ヴィクターが、唖然とした声で呟く。
「こいつが……プロジェクトTか!」
その瞬間、タラスクの上半身がわずかに動いた。
眠りから覚めた獣が、呼吸を取り戻すかのように。
カイルはTSRの柄に手をかける。
蒼い光が淡く唸りを上げた。
「来るぞ、ヴィクター!」
「応戦する。下がるな……!」
緊張が極限まで張り詰め、
一瞬、静寂がすべてを支配する。
──次の瞬間。
タラスクは拘束具を引きちぎりながら、
2人の方へ、重い一歩を踏み出した。
***
それは、もはや檻ではなかった。
本来はそうだったはずだ。だが今、その“中身”は、そこに立っている。
まるで最初から待ち構えていたかのように。
タラスク。
2メートルを超える巨躯。
全身の筋肉は研ぎ澄まされた鋼線のように隆起し、各所には補助筋肉ユニットが外骨格のように装着されていた。
肌は異様なほど血色がよく、作られた存在でありながら、生々しい迫力を放っている。
だが、何より異様なのは、その眼だった。
沈黙。無表情。
そして──深淵のような無感情。
「っ、来るぞッ!」
カイルが叫んだ瞬間、タラスクは地を蹴った。
大型車両が爆発的に加速したかのような衝撃音。
タラスクは空手の構えから、一切の無駄なく一直線に踏み込んでくる。
「速っ──!」
ヴィクターが反射的に腕を構えた。
その刹那、振り下ろされた拳が前腕に叩き込まれる。
金属が悲鳴を上げ、義体フレームが軋む。
衝撃はそのまま背後の壁を砕いた。
「ぐっ……! なんてパワーだ……!」
ヴィクターが吹き飛ばされる。
同時にカイルが滑り込み、TSRを展開した。
蒼い光が音もなく閃く──が。
タラスクは、わずかな重心移動だけでそれをかわす。
次の瞬間、肘がカイルの腹部へと叩き込まれた。
「ぐあっ……!」
カイルは空中で一回転し、後方へ着地する。
わずか一合の打ち合いで、2人は理解した。
──これは、“人間”ではない。
明確に設計された“兵器”だ。
タラスクは静かに、しかし確実に構えを取り直す。
獲物を仕留めるための“型”を、最初から理解しているかのように。
「気を抜くな……こいつは、一瞬の隙も命取りだ」
ヴィクターの言葉を待つことなく、
タラスクはすでに次の構えへ移行していた。
戦闘は、完全に始まっていた。
タラスクの拳がカイルのTSRとぶつかり、重々しい衝突音が響く。
地を削りながら後退するカイルの脇を、ヴィクターの踵がすり抜けた。
「……まだ動きに規則性がある。空手の型だ。
相当鍛えられてるが、読めないわけじゃない」
「なら……少しずつ崩すしかないな」
息を整えながら、2人は左右に散開する。
タラスクも一拍置いて構えを解いた──ように見えた。
だが、その瞬間。
空気が変わった。
「……あれは……?」
ヴィクターが目を細める。
タラスクの動きが、突如としてしなやかになる。
重心を低く落とし、腕を鞭のようにしならせる。
踊るようなステップ、回転蹴り、拍を刻むような踏み込み。
「この構え……回転と軸移動……カポエイラか……?」
舞うように振るわれた脚が、空を切る。
空手の剛から一転し、流動的で予測不能な動きへ。
カイルが目を見開いた。
「空手と……カポエイラ……?
まさか、両方を使い分けてくるのか……!」
蹴りを受け止めながら、低く唸る。
「……厄介だな」
タラスクは2人の前で、次の動きを予告するかのように構えた。
まるで──次はどんな舞台で踊ってやろうか、とでも言うように。
タラスクの足が地を滑り、宙を裂いた。
回転蹴りは予備動作を極限まで削ぎ落とし、直前まで刻んでいたリズムの虚に紛れて放たれる。
カイルは反射的に身をひねり、かすめる一撃をかわした。
風圧が頬を打ち、髪が揺れる。
「――動きが軽い……くそ、読みにくい!」
横から走り込んだヴィクターが、低い姿勢から掌底を突き上げる。
狙いは顎。だがタラスクは、それを読んでいたかのように一歩後退し、軽やかに体勢を立て直した。
その一連の所作に、荒々しさはない。
まるで舞台上のダンサーの動きだった。
「この切り替えの速さ……
さっきまで、あれだけ重い拳を振るっていた相手とは思えない」
ヴィクターが低く呻く。
カイルは隣でTSRを構え直し、タラスクの動きを目で追い続けた。
回転、跳躍、連続する踵落とし。
すべてが一貫した美しさを保ちながら、明確な殺意を帯びている。
(……無駄がない。
洗練された格闘家なら珍しくないが……それだけじゃない)
胸の奥で、戦場特有の違和感がざわめいた。
タラスクの一挙手一投足が、どうにも“1人の人間”の動きに見えない。
攻撃のリズムが、数秒ごとに微妙に変わる。
回避の間合いも、反射の使い方も。
それは意識的な調整ではなく――もっと根本的な“切り替わり”。
(……なぜだ?
まるで、戦っている相手が――)
思考が形を結ぶ前に、タラスクが再び跳んだ。
鋭い軌道で振り上げられた脚が、2人の頭上へ迫る。
「来るぞ――!」
カイルとヴィクターは同時に後方へ跳び退き、再び構えを取った。
だがカイルの意識は、目の前の動き以上に、
その正体不明の“違和感”へと引き寄せられていた。




