第2部 第8話「プロジェクトT」後編
CH3
-ゴースト本部2階ブリーフィングルーム前廊下-
ブリーフィングルームを出た廊下には、まだ報告の余韻が残っていた。
沈黙の中を歩くヴィクターの背に、バニングの重い声がかかる。
「……ヴィクター。少し話がある」
ヴィクターは足を止め、振り返った。
廊下に人影はなく、ただ静寂だけが2人を包んでいる。
バニングは腕を組んだまま、目を細めてヴィクターを見据えた。
「言いたいことは、分かっているな?」
ヴィクターは小さく頷いた。
「……私を、潜入に入れてください」
その言葉に、バニングの眉がわずかに動く。
だが返ってきたのは、冷静で重みのある声音だった。
「……私情を挟む人間は、任務から外す。それが原則だ」
ヴィクターは黙したまま立っていた。
数秒の沈黙のあと、一歩だけ前へ出る。
その瞳には、もはや隠しきれない熱が宿っていた。
「……ルシアン・ヴァイルは、私の家族を殺した張本人です。
20年前のアシュフォード研究所爆破テロで、家族を全員失いました」
怒鳴りでも、嘆きでもない。
ただ、深く沈んだ怒りが、言葉の芯に滲んでいた。
バニングの表情が、わずかに硬くなる。
「……復讐のためじゃない、なんて言うつもりはありません。
ですが、それ以上に……
あの男がやってきたことを、自分の目で確かめ、止めなければならない。
それが、俺の任務だと思っています」
バニングはしばらく黙ってヴィクターを見つめていた。
やがて、重い沈黙の中で、ゆっくりと頷く。
「……分かった。潜入任務を任せる。
カイルと2人で遂行しろ」
ヴィクターが頭を下げようとした瞬間、
バニングは手を上げてそれを制した。
「ただし──必ず、生きて帰ってこい。命令だ」
「……了解しました、隊長」
短いが、確かな返答だった。
バニングはそれ以上何も言わず、踵を返して廊下の向こうへ歩き去る。
ヴィクターは、その背をまっすぐな視線で見送っていた。
CH4
-深夜午前3時、輸送車両内-
輸送車両の窓外を、夜明け前の都市が無言のまま流れていく。
深夜3時。車内は最小限の照明と、作戦前特有の沈黙に包まれていた。
カイルとヴィクターは向かい合って座り、それぞれ装備の最終確認を進めている。
その隣で、スタンリーが端末を操作しながら、淡々と口を開いた。
「ルートの再確認だ。目標は“リビングコア医療研究機関”。
ミラージュ本部の、表向きの施設という扱いになっている」
天井の簡易ホロ投影に、古びた地下構造図が浮かび上がる。
赤いラインが、旧区画から研究機関第3区画へと延びていた。
「ここだ。旧インフラ搬送ルートを経由して、第3区画の搬入エリアに繋がる地下通路。
公式には封鎖されているが、気圧変動と熱源反応が断続的に観測されている。
──稼働実態ありだ」
スタンリーは指先で図面をなぞる。
「ただし、構造の一部が改変されている。
……おそらくミラージュによる再設計だ。警備や罠が仕込まれていても不思議じゃない」
ヴィクターが静かに言った。
「構わない。向こうの核心に迫れる、ということだろう」
「ああ。今回が最初で最後の潜入になる可能性もある」
スタンリーはそう答え、端末をカイルの方へ向ける。
「今回の任務は“潜入”だ。強行突破じゃない。
とにかく気付かれずに入り込み、プロジェクトTの中枢ファイルへアクセスする。
プロジェクトT──名称以外は何も分かっていないが、
ミラージュの全リソースがここに集中しているのは確実だ」
一拍置き、声を落とす。
「……常識外れの規模だ。下手に動けば、こちらが呑み込まれる」
カイルが小さく鼻を鳴らし、端末を閉じた。
「要するに、火中の栗を拾う役回りってわけだ」
そのとき、車内スピーカーが起動し、バニングの低く落ち着いた声が響く。
『いいか。これは探索任務じゃない。“発見し、暴き、持ち帰れ”。
プロジェクトTの全容を掴む機会は、今この瞬間しかない。
一度でもこちらの動きが露見すれば、証拠は隠されるか、跡形もなく消される。
……時間はない。確実に掴め』
通信が切れ、車内に再び沈黙が落ちた。
ヴィクターが一つ息を吐き、低く呟く。
「了解だ。……やるしかないな」
CH5
-ミラージュ本部地下通路-
地下通路前で、輸送車両が静かに停止した。
「……くれぐれも慎重に。必ず生きて帰ってこい。
俺はここで待機する」
スタンリーが2人に向けて言う。
「……わかった」
カイルが短く応じた。
ヴィクターは、返事をしない。
2人は無言のまま輸送車両を降りた。
地下通路は、想像以上に冷たく、そして静まり返っていた。
足元を照らすのは、カイルのTSRに取り付けられた微弱なライトだけだ。
壁面は古び、無数のひびが走り、錆びついたパイプが剥き出しになっている。
かつて物資や医療廃棄物が運ばれていた名残が、鈍い臭気とともに漂っていた。
カイルが先行し、ヴィクターが一定の距離を取って後方を警戒する。
言葉は交わさない。
響くのは、2人分の呼吸と、足音だけだった。
──その一方で。
彼らの存在は、すでにある“目”に捉えられていた。
天井のくぼみに巧妙に隠された監視カメラ。
黒いレンズが、音もなく2人の動きを追っている。
ミラージュ本部、第3区画・制御室。
低照度の空間に、複数のモニターが並び、その中央に1人の男が立っていた。
顔は闇に沈み、背後からの光が輪郭だけを浮かび上がらせている。
だが、その口元がわずかに歪んだのは、確かだった。
「──来たか」
低く、静かな呟き。
男は指先で操作すると、地下通路を進むカイルとヴィクターの姿が映し出される。
「待っていたよ。お前たちには……“見てもらう”必要がある」
その声には、確かな余裕と自信、そして冷たい企図が滲んでいた。
やがて画面が切り替わり、
《Phase T-07:接触準備中》という赤い警告表示が点滅を始める。
男は椅子に身を預け、指を組んだ。
「さて──ショーの幕開けだ」
不気味な静寂の中、侵入者を迎える舞台は、
静かに、しかし確実に動き始めていた。
CH6
-ミラージュ本部地下施設-
カイルとヴィクターは、ミラージュ本部の地下施設への侵入を果たしていた。
旧搬入通路を慎重に辿り、中央研究エリアへ通じる扉を開けた瞬間──そこに広がっていたのは、奇妙な静けさだった。
まるで、誰もいない時間帯を正確に狙ったかのような、完璧な無人状態。
警報は鳴らない。
警備兵の姿もない。
監視装置の作動音すら、耳に届かなかった。
「……静かすぎる」
ヴィクターが低く呟く。
カイルもわずかに顎を引いた。
「通常なら、最低限の警備は配置されている。
この規模の中枢で、誰もいないなんて……」
2人はTSRのグリップを握り直し、壁に沿って慎重に歩を進める。
空調は止まっているのか、湿度と熱気が混ざり合い、空気は重く澱んでいた。
蛍光灯はところどころで明滅し、床には医療器具の破片やケーブルが無造作に放置されている。
「……廃棄された施設、という感じでもないな。
稼働している痕跡はあるのに、人の気配がまるでない」
ヴィクターの言葉に、カイルが小さく頷いた。
「“何か”がおかしい。気を抜くな」
2人の間に、言葉の代わりに張り詰めた緊張が走る。
奥へ進むにつれ、その足取りはさらに慎重さを増していった。
彼らは、まだ知らない。
この“静けさ”そのものが、すでに仕組まれた罠の一部であることを──。
CH7
-ミラージュ本部実験棟-
廊下の奥に設けられたセキュリティゲートを、スタンリーの支援プログラムで突破し、カイルとヴィクターは「実験棟」と表示された扉の前に立っていた。
「ここが……中心か」
カイルが低く呟く。
背後では非常灯だけが淡く揺れ、空気は張り詰めていた。
この施設に満ちる異様な静けさは、かえってすべてが“用意された舞台”であるかのように感じられる。
ヴィクターは一度だけ呼吸を整え、扉のパネルに指をかざした。
緩やかな解錠音。
次いで、重厚な扉が左右に開いていく。
――その瞬間。
「──ようこそ、ゴースト諸君!」
爆発的な光量とともに、天井の照明が一斉に点灯した。
まるで舞台の幕が上がるかのように、白い光が巨大な実験空間を照らし出す。
中央には、厚いガラス越しに佇む巨大な人型のシルエット。
全容はまだ判然としないが、その存在感だけが圧倒的だった。
だが、2人の視線を奪ったのは、別の場所だ。
高台に設けられた監視デッキ。
その手すりに片肘をつき、余裕たっぷりに見下ろす男がいる。
白銀の髪。
冷たい灰色の瞳。
そして、人間離れしたほど“整いすぎた”顔立ち。
細身の体躯に、骨ばった輪郭。
上品さを装った外見とは裏腹に、その視線だけが不自然なほど猜疑に濁り、相手の価値を測るように落ちてくる。
そこにあるのは興味ではない。
――解体の予告。
人を“人”として見ていない。部品か、素材を見る目だ。
ヴィクターの瞳が、大きく見開かれた。
「……ルシアン・ヴァイル……」
呟きに近い声だった。
だがそれは、空気を裂く刃のように鋭く、冷たく響いた。
ヴァイルは、口元をわずかに歪める。
「やあ。久しぶりだな、ヴィクター・コールドウェル。
君が来るとは思っていたよ。実に……私の思惑どおりだ」
その言葉の選び方も、声音も、すべてが挑発だった。
カイルがわずかに身構える。
だが、その肩越しに立つヴィクターの気配は、それ以上に静かで、張り詰めている。
怒りも、憎しみも――
すべてを呑み込んだ直後の、深い沈黙だけが、場を支配していた。




