第2部 第8話「プロジェクトT」前編
CH1
-CIAR 3階第2治療室-
カイルは上着を脱ぎ、包帯の交換を受けていた。
「……縫合の状態は記録どおりね。少なくとも、データ上は問題ない」
アカネは淡々と告げつつも、視線をしばらく右肩に留めていた。
その指先が、ほんの一瞬だけ止まる。
「……なに。そんなに見られると、落ち着かないんだけど」
肩をすくめるように言うと、アカネははっとして視線を外した。
「別に。患者が動かれると困るだけ」
「信用ないな」
「あるわよ。だから、こうして手当してるんでしょう」
言いながら、彼女は手際よく包帯を巻き直す。
動きは正確で、無駄がない。
「それに――」
一拍置いて、アカネは続けた。
「あなた、治りが早すぎるの。もう少し“普通の人”を演じなさい」
カイルは小さく笑った。
「……何の話だよ。俺は普通の人だ。」
それに、努力はしてるつもりなんだけど」
「そのわりに、無茶は減らない」
「仕事だから」
「……言うと思った」
そう返して、アカネは器具をトレイへ戻す。
短い金属音が響いた。
「はい、終わり。今日は大人しくしてて」
「了解」
短く答え、カイルはシャツを羽織る。
視線が交わる。
ほんの一瞬、言葉にならないものが行き交った。
だが次の瞬間、アカネはいつもの調子に戻る。
「次に怪我したら、もう少し派手にしてきなさい。診察しがいがないから」
「それ、医者の台詞?」
「研究者の愚痴」
カイルは肩をすくめ、空気がわずかに軽くなった。
CH2
-ゴースト本部2階ブリーフィングルーム-
薄明かりのブリーフィングルームには、張り詰めた空気が満ちていた。
長机に並ぶモニターの一つに、ニーナが持ち帰ったデータが投影されている。
居並ぶメンバーの視線は、ただ一つのホログラムに集まっていた。
その中心で、スタンリーが淡々と解析を進めている。
「──照合完了。ブラッククリニックの黒幕は、過激派組織“プリタス”です」
その名が告げられた瞬間、空気がわずかに揺れた。
ヴィクターの視線が静かに画面へ移る。指先がぴくりと動いたのを、カイルは見逃さなかった。
「プリタス……」
低く呟いたのはヴィクターだった。
滅多に声を発しない彼の一言に、室内は一層静まり返る。
スタンリーは端末を指先で滑らせ、別のウィンドウを開いた。
「──プリタスは、人格を神と位置づけ、その変換と遍在を“神儀”と称することで、倫理と法の枠を逸脱しています。
彼らの言う“魂”は、一般的な意味とは違う。“人格の原型”だけを唯一とし、肉体や複製人格は“器”扱いです。
これまで表立った活動記録は少なく、CIARにも情報は乏しかった」
「……人格移植そのものを否定する思想、ということか」
ニーナが小さく呟く。スタンリーは無言で頷いた。
「表向きは慈善医療団体として登録されていますが、実態は極端な信仰集団です。
人格再構築や移植を“冒涜”と断じながら、皮肉にも裏では“神儀”の名目で、独自に肉体と人格の分離・管理を行っている。
彼らにとっては“試練”の一環とされていますが──言い換えれば、非倫理的な実験そのものです」
スタンリーは一拍置き、変わらぬ調子で続けた。
「……教義では“拒絶”を掲げていますが、実態は正反対です。
否定しているはずの人格移植を裏で利用し、利権のために取引してきた。
断罪を掲げながら、自らは最も深く“冒涜”に手を染める──その矛盾こそが、プリタスの本質です」
さらに別のファイルを開いたところで、スタンリーの指が止まった。
ホログラムが切り替わり、重い言葉が室内に落とされる。
「──そして、これが決定的な記録です。
20年前のアシュフォード研究所竣工式を狙った爆破テロ事件。
この事件に、プリタスが直接関与していた事実が判明しました」
会議室に、微かなざわめきが走る。
「現場に残されたスローガン──
“魂は一つ、肉体は一度きり。触れるな、穢すな、背くな”。
これは、プリタスが“神儀”と称する行動の際に必ず用いる標語です。
さらに今回のデータには、事件当日に現場付近で活動していた構成員の行動記録と、指紋照合データが複数含まれていました。
彼らが実行犯であることに疑いはありません」
スクリーンに映る、瓦礫の隙間に赤く塗られた標語の痕跡が、薄暗い室内に異様な静けさをもたらす。
カイルが小さく息を吐いた。
「……アシュフォード研究所。あの事件か……」
声は淡々としていたが、視線はスクリーンに釘付けになっている。
研究棟の一部に今も残る修復跡──あの場所が、これほど深い闇とつながっていたとは、当時の彼には知る由もなかった。
スタンリーは一拍置いてから、静かに口を開く。
「……そして、この爆破テロの主犯格とされる人物。
それが、こちらです」
ホログラムに、新たな顔写真とファイルが浮かび上がる。
「ルシアン・ヴァイル。現在、国際的に指名手配中で、所在は不明。
ですが今回のデータから、プリタスとミラージュの間で交わされていた“人体供給契約”に、彼の署名が確認されました」
その名が出た瞬間――
ヴィクターの首が、わずかに動いた。
彼の瞳が、初めて正面からホログラムを捉えていた。
バニングは、その微かな変化を見逃さなかった。
あの事件が、彼にとって単なる“任務履歴”ではないことを知っている。
だからこそ、何も言わなかった。
ルシアン・ヴァイルという名が室内に沈み込むように響いたあと、
誰よりも低く、静かな声が漏れる。
「──ということは……プリタスとミラージュは、つながっていたってことか?」
呟くように言ったのは、ヴィクターだった。
その声音には、抑えきれない怒気と、どこか深い絶望が滲んでいる。
スタンリーは静かに頷いた。
「はい。今回のデータで確認された通信の中に、ミラージュ側からプリタス宛てに送られた
“定期的な実験体供与”の要求文面が存在します。
文末には、ルシアン・ヴァイルの署名も確認されました」
一度息を整え、スタンリーは続ける。
「──ミラージュは、かつて政府と連携し、我々ゴーストにも技術供与を行っていた機関です。
人格移植装置の基盤設計には、彼らの初期開発データが一部採用されていました。
しかし数年前から、“人格を無視した強制移植”や
“人格の改竄・統合”といった危険な方向へ研究が傾きはじめ──」
「提携を打ち切った、というわけか」
バニングが低く補足する。
スタンリーは再び頷いた。
「はい。我々の倫理基準と根本的に相容れないと判断し、
すべての技術協定を解消しました。
その後、彼らがどこから資金と“実験材料”を得ていたのかは不明でしたが──
今回のデータで、プリタスが供与元である可能性がほぼ確定しました」
ヴィクターは黙したまま、映し出されたヴァイルの顔を睨み続けている。
その瞳には、わずかな震えと、拭いきれない怒りが宿っていた。
スタンリーが再び口を開く。
「さらに──ここ数ヶ月、ミラージュは
“プロジェクトT”と呼ばれる計画に、異常な規模の労力と資金を投入しています」
スクリーンが切り替わり、
“T”のコードネームが付された無数の断片ファイルが浮かび上がる。
だが、そのほとんどは黒塗りで、内容は判別できない。
「詳細は不明です。ファイルには外部からのアクセスが一切許可されていません。
ただ、リソース配分と各拠点の動きから見て、
これはミラージュの中枢に位置する計画と考えられます。
内容は──大量破壊兵器、生物兵器、コンピュータウイルス、
あるいは人格移植を用いた国家中枢の掌握……
いずれも仮説に過ぎませんが、常識の範囲では予測不能な規模です」
ブリーフィングルームに、重い静寂が落ちた。
誰もが、その計画の異常性に言葉を失っていた。
しばらくして、バニングが低く口を開く。
「……プロジェクトTの全貌を、早急に暴く必要があるな。
立て続けになるが──次の任務は、ミラージュへの潜入だ。
目的は、プロジェクトTの調査」
一歩前に出て、隊員たちを見回す。
「……突入して一気に制圧する案もある。
だが、それでは遅い。
プロジェクトTは機密の中の機密だ。
少しでもこちらの動きを察知されれば、
データは即座に消去され、施設ごと姿を消す可能性がある」
その声は、これまで以上に低く、鋭かった。
「だからこそ、潜入だ。
静かに、深く入り込み、連中の“心臓”を掴み取る。
時間も、猶予もない。──以上だ」
言葉とともに、室内の空気が再び張り詰める。
嵐の中心へ向かう任務が、静かに、だが確実に動き始めていた。
「……ヴァイルが、動いたのか」
ヴィクターが低く呟く。
怒鳴りもせず、叫びもない。
だがその声音は、刃のように鋭かった。
その名に宿る過去と因縁を、誰よりも知る男の声。
カイルはわずかに視線を向けたが、
ヴィクターの目は、一瞬たりともスクリーンのヴァイルから離れない。
バニングが立ち上がり、短く言い放つ。
「潜入は明日決行。人選は──俺が行う。
会議は終了だ」
隊員たちは無言で席を立ち始めた。
その場に残されたのは、
張り詰めた沈黙と、消えない緊張、そして確かな火種だけだった。




