第2部 第7話「潜入、ブラッククリニック(2)」後編
カイルがTSRを引き抜く。
蒼い光が咆哮するように瞬き、迫るアンドロイドの前脚を斬り払う。
ニーナを背に庇い、間合いを詰めた。
数が多い。
瞬時に距離を詰められ、包囲が形作られていく。
カイルは1体ずつ動きを読み、TSRを振るう。
だが、背後に守るべき存在がいるという制限が、確実に彼の動きを縛っていた。
――そのとき、鋭い銃声。
カイルは反射的に身をひねり、ニーナを庇う。
焼けつくような痛み。血が飛び散った。
「……っ!」
骨までは達していない。
だが筋肉を抉られ、腕に力が入らない。
握ったTSRが一瞬、ぶれる。
「カイル!」
ニーナの声が震える。
「……大丈夫だ。まだ戦える」
――その直後。
「伏せろッ!」
鋭い声と同時に、廊下奥から銃撃音。
遮蔽弾がアンドロイドの制御ユニットを撃ち抜き、男たちの足元で閃光弾が炸裂した。
光と煙の中から、1人の影が現れる。
――あの検査員だ。
マスクを外し、鋭い目元だけを残した男が、無言で再装填する。
(……あいつが、助けた?)
カイルの内側で、疑念と驚愕が交錯した。
「この先だ。逃げ道は開いてる。話は後だ」
検査員が先行し、カイルとニーナが続く。
裏手の通路。
施錠された非常扉の前に、無人の車両が1台停まっていた。
ゴーストが用意していた脱出用のバンだ。
車内へ飛び込んだ直後、背後で銃声が連続する。
検査員が最後尾で追手を抑え、扉を叩き閉めた。
「出せ!」
運転AIの指示に応じ、車両は静かに――しかし急速に加速する。
ようやく、息をつく3人。
車内に安堵が広がる中、ニーナは隣に座る男――検査員の横顔を見つめた。
その目に、消えない既視感が宿っていた。
CH6
-脱出用車両・後部コンパートメント-
車内の揺れは、ようやく落ち着き始めていた。
ニーナとカイルは、隣に座る“検査員”を横目で窺いながらも、まだ言葉を発さずにいた。
黒髪の痩身。整った顔立ちの青年。
だが、どこか輪郭が掴めない。
沈黙を破ったのは、カイルだった。
「……お前、何者だ」
男はしばらく窓の外を眺めていたが、不意に肩をすくめる。
「えー、ここで聞く? もうちょっと引っ張った方がよくない?」
「……は?」
男は振り返り、口元を歪めて笑った。
「ってわけで。久しぶり。ノア・ブルーダー、潜入任務バージョンです」
一瞬、車内の空気が凍りつく。
「……嘘でしょ?」
ニーナが、ようやく声を出した。
「嘘だったらさ、あんなに焦った君の顔見てニヤけてないって」
男――ノアは、わざとらしく目を細め、からかうように言う。
「え……じゃあ、あの検査のとき……」
カイルの声も、わずかに揺れていた。
「ばっちり目は合わせたよ。でもバレたら困るからさ。内心は『うわ、マジか』って叫びながら、“問題なし”って言ったんだ」
ノアは軽く笑う。
「俺、名演技だったでしょ」
「……お前、正気か……?」
「それ、さっきから何回も言われてる気がするなあ」
ニーナは背もたれに身を預けたまま、しばらくノアを凝視していた。
「……見た目はどう見てもノアじゃない。でも……話し方も、表情も……確かに、あなただわ」
ノアは茶目っ気たっぷりに指を立てる。
「人格移植って、こういうとき便利でしょ?
CIARのお偉いさんにさ、“今回は極秘任務だから本人には言うな”って、きつく釘刺されてたんだ。
正直、ギリギリだったよ。俺、演技得意じゃないし」
「いや、それ以前に……お前が口軽いんだろ」
カイルが、呆れたように息を漏らして笑った。
車内には、ささやかだが確かな安堵が広がっていく。
――だがその空気の中で、カイルはひとり視線を落とし、心の中で呟いた。
(……それにしても、今日の潜入。警備が……甘すぎた。
CH7
- ゴースト本部3階処置室-
早朝。
照明を落とした無菌室に、2つの医療用ベッドが並べられていた。
その上には、それぞれ“本来の身体”が横たわっている。
ニーナ・ブルーダーと、ノア・ブルーダー。
傍らでは、CIARの技師と転送オペレーターが控え、無言で手順を確認していた。
「開始まで10秒。両名とも神経接続は安定。
プロトコルコード、CIAR-REENTRY-002を適用」
電子音とともに、装置のパルスが立ち上がる。
ノアはカイルの方へ視線を向け、親指を立ててみせた。
いたずらっぽい笑み。
「お先に、自分の顔に戻らせてもらうぜ」
カイルは呆れたように肩をすくめる。
だが、その瞳には、わずかな安堵が浮かんでいた。
隣のベッドで、ニーナは静かに目を閉じる。
(……やっと、戻れる)
耳の奥で、微かな電流のような振動が走り、
意識がゆっくりと深みに沈んでいった。
──数秒後。
室内は、静寂に包まれる。
モニターが安定信号を示し、技師が軽く頷いた。
「転送完了。人格データ、元の肉体に再定着。
両名とも、異常なし」
ほんの数分の処置だった。
だが、その短い時間に刻まれた記憶は、決して消えることはない。
CH8
-ゴースト本部3階医務室-
本部へ戻るなり、カイルは医務班の簡易ベッドに座らされた。
制服の肩口は血に濡れ、乾きかけた赤が濃く滲んでいる。
「……銃弾が掠めただけだ」
軽く言い切ったが、腕はまだ思うように動かなかった。
医務員は眉をひそめ、傷口を消毒しながら状態を確かめる。
「貫通はしていない。骨も無事だ……だが、筋肉を抉られている。
無理に動かせば、裂けるぞ」
縫合針が皮膚を引き寄せるたび、鈍い痛みが肩を走る。
それでもカイルは歯を食いしばり、表情を崩さなかった。
「止血と縫合は完了だ。応急処置としては十分だが……」
医務員は視線を上げ、短く言い切る。
「後日、必ずCIARで診てもらえ。再生処置が必要になる」
カイルは小さく頷いた。
「……了解だ」
包帯に覆われた右肩は重く、痛みも残っている。
だが、命に別状はない。
彼は静かに立ち上がり、仲間たちの待つ場所へと歩き出した。
CH9
-バー・ターミナル・サード-
夕方。
ざわめきとグラスの触れ合う音が交錯する店内で、ひときわ賑やかなテーブルがあった。
薄暗い照明の下、笑い声が途切れない。
「──だからさ、あのときのニーナの顔。マジで引きつってて!
もう、笑いこらえるの大変だったって!」
声を抑えつつも、ノアは満面の笑みで言い切る。
隣のカイルは苦笑いを浮かべ、グラスの中の琥珀色を静かに傾けた。
「笑うなって言ってるでしょ!」
ニーナが真っ赤な顔で言い返す。
怒っているのか、呆れているのか、自分でも判然としない表情だった。
「だってさぁ。“問題なし”って言った瞬間、息止まってたよね?
目、泳ぎすぎて逆に不自然だったし」
「……次から検査員だったら蹴り飛ばすから」
笑いが周囲に広がる。
その中で、ヴィクターが静かにグラスを持ち上げた。
「まあ、何にせよだ。無事で何より。
任務は成功、データは回収、全員帰還。今回は乾杯に値する」
「異論はないな」
スタンリーが淡々と続ける。
「……乾杯」
カイルは一口だけ口をつけ、そっとグラスを置いた。
下戸らしく、頬がわずかに赤い。
そのとき、少し遅れてバニング隊長が姿を見せた。
無言で椅子を引き、テーブルの隅に腰を下ろす。
「え、隊長……来るとは思ってませんでした」
ニーナが声を落として言う。
「招待された覚えはない。スタンリーに呼び出されただけだ」
スタンリーは薄く微笑んだまま、何も答えない。
ニーナはグラスを指先で回し、表情を引き締めた。
「でも……言わせてください。
私だけが知らされてなかった、そう思ってました。
でも、実際は……?」
バニングはグラスを持ち上げ、一口飲んでから口を開く。
「ノアの件は、第1チーム以外には機密指定だった。
お前だけじゃない。カイルにも、誰にも話していない」
ニーナは目を丸くし、隣のカイルもわずかに眉を上げた。
「……じゃあ、最初から誰にも?」
「ああ。それだけ重要な任務だったということだ。
ノアが潜入を申し出たのも、俺たちの判断で受け入れた」
一瞬、沈黙が落ちる。
だがノアが肩をすくめ、軽く笑った。
「ほらな。俺だけの独断じゃなかったってこと。」
ノアはそこで一度、笑みを薄めた。
「──それに、俺はもう二度と妹を失うわけにはいかなかった。
隊長、盾になってくれてどうも」
ニーナは黙り込み、わずかに唇を結んで視線を落とした。
グラスの中で、氷だけが小さく鳴った。
バニングは答えず、グラスの縁を指でなぞる。
「……今回だけは、な」
ニーナは少しだけ目を細め、グラスの氷を転がした。
「──それなら、次は信用してもらえるように、もっと腕を上げます」
カイルはそのやり取りを、静かに見守っていた。
少し離れた席には、アカネとエミリーの姿がある。
アカネがそっと視線を向け、目が合うと微笑んだ。
カイルも小さく頷き、何も言わずに視線を戻す。
夜は、ゆっくりと深まっていく。
だがこのひとときは、確かに皆の胸に灯を残していた。




