第2部 第5話「救えた命、救えなかった命」前編
CH1
-ゴースト本部2階ブリーフィングルーム-
低く抑えられた電子音とともに、ホログラムがゆっくりと立ち上がる。
都市南部、行政の目が届かない廃業区。その一角にひっそりと存在する医療施設──《ブラッククリニック》。
無機質な構造図が回転し、スタンリーの声が室内に響いた。
「……CIARが提供した被害者データと、解析チームが回収した処置記録ログ。そのすべてが、ここを指している。違法人格移植ネットワークの実行拠点と見て、まず間違いない」
「“摘発”ってレベルの話じゃないな」
カイルが低く呟く。
ホログラムの内部構造には、複数の密閉処置室とセキュリティゲート、そして外部と隔離された中枢サーバブロックが赤く点滅していた。
腕を組んだまま、ヴィクターが続ける。
「ここが中核だ。他のクリニックは、ただの“表層”にすぎない」
その流れを受けて、バニングが言葉を差し挟んだ。
「──だからこそ、奴らの実態を抉り出す必要がある。
我々が把握しているのは、ごく一部だ。ネットワーク全体の構造、その背後にある資金と技術供給源。
それを掴むには、証拠と同時に“繋がり”を押さえるしかない」
その声音には、いつになく張り詰めたものがあった。
「突入すれば、連中はすぐに姿を消す。データも処分されるだろう。
……潜入でしか切り崩せん。だから、確実に“生きた証拠”を持ち帰れ」
スタンリーが構造図の一角を指し示す。
「外部ネットワークは完全遮断。監視システムは独自仕様で、既存のクラッキングツールは通用しない。
データを確保するには、内部からの直接操作が必要になる」
バニングは手元の端末を操作しながら、簡潔にまとめた。
「──以上だ。
ブラッククリニックへの潜入には、内部に自然に溶け込める人材が要る。
人格操作を前提とした偽装が可能な者……」
一瞬、沈黙が落ちる。
次の瞬間、静かな音を立てて、ひとつの手が挙がった。
「……私が行きます」
室内の空気が、わずかに動いた。
声の主を確認し、バニングはゆっくりと視線を向ける。
「ニーナか」
挙手したニーナは、背筋を伸ばしたまま、真っ直ぐにバニングを見返していた。
その表情に、迷いはない。
「理由を聞こう」
即座に返された声は、感情を排したものだった。
志願だけで任せる男ではない。
ニーナは一度、短く息を整える。
「……今回の潜入では、人格移植を“道具”として扱う組織と接触します。
表面記憶の改変、人格の一時的な上書き……
その危険性も、歪みも、私は理解しています」
一瞬、部屋の端でノアが視線を伏せた。
それでも、ニーナは続ける。
「だからこそです。
人格移植を弄び、利益のために踏みにじるブラッククリニックを──
私は、許せません」
声は低く、抑えられている。
だが、その一言一言には確かな重みがあった。
「人格移植は、人を救うための技術です。
誰かの人生を“選別”するためのものじゃない。
……それを、私自身が証明したい」
バニングはしばらく黙っていた。
ニーナの言葉の奥にある過去を、知らないはずがない。
だが彼は、あえてそこには踏み込まない。ただ、事実だけを見る。
「感情で動いているようには見えないな」
「はい」
ニーナは即答した。
「これは、私の判断です」
数秒の沈黙ののち、バニングは端末を閉じる。
「……わかった」
短い言葉だったが、そこに迷いはなかった。
「今回の潜入は、お前に任せる。
CIARが一時的な人格プロファイルを構築する。
表面記憶は書き換えるが、ベース人格は維持する。
必要とあらば、任務中に自我を回復できる設定だ」
ニーナは一度だけ、はっきりと頷いた。
「了解しました」
声は静かで、揺れていない。
だがその奥には――自分が何を背負っているのかを理解したうえで前に進む者だけが持つ、確かな覚悟の色が宿っていた。
ヴィクターが、ふいに視線を逸らしたまま言う。
「……万が一、データが取れなくてもいい。ニーナが帰ってこられなかったら、それこそ失敗だ」
その一言に、室内の空気が一瞬だけ張り詰める。
「CIARが用意したのは、人格安定障害の臨床観察プロファイルだ」
スタンリーが補足するように続けた。
「精神的ストレスによる一過性の幻視、言語抑制、記憶の断裂。
人格に“揺らぎ”がある――そういう扱いで通す」
「“本物の患者”だと思わせられれば、逆に情報は引き出せる」
スタンリーは淡々と付け加える。
「向こうは治療という名目で、人格を“剥き出し”にしてくるはずだからな」
バニングが視線をカイルに移した。
「カイル。お前は外部支援だ。施設南側の排気ダクトから進入し、通信の確保と内部状況の監視を担当する。
……非常時には、武力介入を許可する」
「承知しました。何が起きても、ニーナを連れ戻します」
ニーナはふと、カイルの方を見る。
「……頼りにしてる」
その言葉に、カイルは無言のまま小さく頷いた。
バニングが最後に言葉を締める。
「繰り返す。今回の作戦の目的は3つ──
ネットワーク幹部の特定、記録媒体の確保、そして内部記録の持ち帰り」
一拍置き、低く続けた。
「……CIARとも情報は共有している。人格移植に関する医療データは、彼らにとっても重大だ。
医療面の支援はCIARに任せる。俺たちは、戦闘と制圧に専念しろ」
バニングは全員を見渡す。
「……だが、最優先は“生きて戻ること”。それだけは、絶対に守れ」
ブリーフィングルームに、深い沈黙が落ちた。
その静けさの中で、作戦のカウントダウンが、静かに始まっていた。
***
冷たいホログラム光が宙に浮かび、神経プロファイルのイメージが網のように交差していた。
CIAR主任技師エミリーが端末を操作しながら口を開く。
「今回の人格移植には、CIARが保護していた“空の身体”を使用します。過去の事故により自己認知機能を完全に喪失した患者です。意識の残滓は確認されておらず、生理機能のみが維持されている。倫理委員会での議論の末、限定的使用が承認されました」
ヴィクターが眉をひそめる。
「……つまり、誰でもない身体か」
「そうです。肉体的には健康そのもの。でも、その中に“誰か”はいない」
バニングがニーナに視線を向けた。
「お前は、その身体に“潜入人格”として移植される」
ニーナは一拍置き、静かに頷く。
「名前は?」
スタンリーが別のウィンドウを展開する。
「“サラ・エルドリッジ”。20代半ば。元配送業者。貧困地域出身で、病気の弟を救うため、高額報酬と引き換えに人格提供契約に応じた、という設定だ」
エミリーが補足した。
「偽造医療記録では、CIARで精神的支援を受けていた履歴が残る。自我の境界が曖昧で、他者の指示に従いやすい傾向がある……人格移植の器としては、都合のいいプロファイルね」
「それで……私は、この“サラ”になる」
ニーナが、自分に言い聞かせるように呟く。
「表層意識は完全に“サラ”として行動するよう書き換える。ただし、コア人格は残す」
エミリーは淡々と続けた。
「深層に本来の記憶を保持し、危機下で自己回復を促すバックドアを仕込んである」
「……ただし、戻ってこられる保証はない」
ヴィクターが低く言う。
「意識の統合に失敗すれば、ニーナとしての“お前”は、その身体の中で永遠に迷子になる」
ニーナはしばらく沈黙し、やがて微かに笑った。
「なら、戻ってみせる。サラになりきった上で、“私自身”として帰ってくる。……そう決めた」
バニングが短く頷く。
「よし。移植準備に入れ。48時間後、ブラッククリニックへの搬送を実施する。任務開始だ」
誰も口を開かなかった。
ただ、冷たいホロ光の中に、ニーナの決意だけが確かに存在していた。
ブリーフィングが一通り終わり、モニターに施設図と逃走経路が再表示される。
腕を組んだまま、バニングがカイルに視線を送る。
「カイル。お前は外部支援に徹しろ。エアダクト経由で指定エリアへ進入し、万一の場合は武力をもってニーナを回収する。……ただし、判断は慎重に」
カイルは静かに頷いた。
バニングの目に、重く、だがどこか信頼を帯びた光が宿る。
「ニーナが危機に瀕したときは、迷うな。ニーナの命を最優先だ」
その言葉に、カイルはわずかに息を整えた。
腰に携えた蒼い光のTSRが、応えるように低く共鳴した。




