第2部 第4話「任務終了、未帰還」後編
「……だが、俺たちは止めた。“確証がない”と。“応援を待つべきだ”と。
それでも、メイソンは聞かなかった。せめてパワースーツがあれば良かったんだが……。偶然にも、オーバーホール中でな。あいつの手元にはなかった」
カイルが静かに言う。
「……1人で、行ったんですね」
「そうだ。気づいたときには、もう連絡が取れなくなっていた。
今思えば……パワースーツがない時を、狙われていたのかもしれん」
しばらく、沈黙が流れた。
グラスの中で氷が、ことりと音を立てる。
「3日後、メイソンは戻ってきた。血を流しながらも、自力でな。
誰もが“助かった”と喜んだ。だが――」
バニングの目が、鋭く細まる。
「“それ”は、メイソンじゃなかった」
カイルは息を呑んだ。
「……人格が、入れ替えられていた?」
「ああ。中身は、別人だった。
俺たちは……信じたかったんだ。“記憶に障害が出ているだけかもしれない”ってな」
バニングの声は、低く、静かだった。
「でも──」と、カイルが静かに口を挟む。
バニングはわずかに口元を歪めた。
「そいつは、スタンリーを狙った。しかも背後からだ。無防備な状態でな。
スタンリーは右脚をやられたが……かろうじて制止した。殺さずにな」
そう言って、バニングはグラスに口をつけ、ほんの少しだけ酒を流し込む。
「だが、もう戻っては来なかった。
あいつの中にいた“メイソン”は……完全に、消えていた」
バニングはグラスを置いた。中身はすでに空だったが、そこにまだ何かが残っているかのように、しばらく視線を落としたまま動かない。
「──その事件のあと、ゴーストは動いた。俺とスタンリーだけじゃない。
すべてのチーム、全戦力を投入して、やつらの痕跡を洗い出した」
低く抑えた声が、重い記憶を呼び起こしていた。
「……制裁だったんですね」
カイルが小さく呟く。
バニングは静かにうなずく。
「ああ。だが、復讐じゃない。“処理”だ。
人格を奪い、操る連中を、これ以上この世に置いておく理由はなかった」
そのときの光景が脳裏をよぎったのか、バニングの拳がテーブルの下でわずかに震えた。
「やつらは人格移植技術を使って、別人になりすまし、政府機関にまで潜り込もうとしていた。
潰さなければ、国家が内側から乗っ取られていたかもしれん」
カイルは真剣な眼差しで問いかける。
「……それで、“テルミット”は?」
「全滅させた。生き残りはいない」
短く、重い声だった。
一拍置いて、バニングはわずかに口角を上げる。
「正確に言えば……“1人を除いて”だ」
カイルは目を見開く。
「……?」
「スタンリーが“やつを”生け捕った。人格移植技術を提供していた、裏の科学者だ。
今のゴーストの安全基準と、移植装置の逆探知技術は、そいつから引き出した情報が基になっている」
「……皮肉ですね。人格を奪った技術が、逆にその技術を封じる手段になるなんて」
カイルが低く呟く。
「ああ。メイソンの代償は、あまりにも大きかったがな」
その名を口にするたび、バニングの声にはわずかな熱がこもる。
「……だが、あのときメイソンが突っ込まなければ、“テルミット”の中枢には辿り着けなかった。
無謀だったが……無駄じゃなかった」
言葉を、そっと落とすように言った。
カイルは穏やかな声で尋ねる。
「今でも、彼を“仲間”だと?」
バニングは迷いなく答えた。
「ああ。最期まで――俺たちの仲間だったよ」
しばらく黙っていたカイルは、やがて静かに口を開いた。
「……スタンリーは、そのことをどう受け止めたんですか?」
バニングはゆっくりと息を吐いた。答えを言葉にするまでの、わずかな猶予のようだった。
「あいつは……何も言わなかった。ずっと黙っていた。感情を表に出さなかった。
泣きもしない、怒りもしない。ただ……徹底的に“冷静”だった」
グラスの氷が、カランと小さく鳴る。
沈黙が、重く2人の間に落ちた。
バニングは目を伏せたまま続ける。
「……だからこそだ。あいつは、誰よりも“冷静であろうとする”。
理性の殻に閉じこもってでも、自分を保とうとしてる」
カイルはその言葉を噛みしめるように、静かにうなずいた。
「想像できるか。今まで信じていた相棒が、何の前触れもなく、殺意を持って襲ってくるんだ」
バニングの声が、わずかに低く沈む。
「……心のどこかで、“まだあいつがいる”って信じていた。
だから対応が、一瞬遅れた。スタンリーは……その代償として、脚をやられた」
カイルは小さく息を呑み、言葉を失う。
「今でも後遺症がある。天気が崩れる日は、痛むらしい」
ぽつりと落とされたその言葉に、カイルは目を伏せ、グラスの縁を指先でなぞった。
「でもな、スタンリーはあのあと、一度だけこう言った。
“俺はあのとき、撃たなかった。撃てなかった。それが正しかったのかどうか、今でも分からない”ってな」
バニングは、ほんの少しだけ口角を上げる。
「……それでも、生かした」
カイルが静かに返す。
「ああ。あいつは、メイソンを“殺したくなかった”。
そして、自分の中に残った“人間らしさ”を、守ったんだ」
バニングはグラスを軽く傾け、琥珀色の液体を舌の上で転がすように含む。
何かを思い出すように、静かに言葉を継いだ。
「……あの事件のあとだ。“確かめる術”がなかったことを、嫌というほど思い知った。
だから今じゃ、ゴーストの入館時には虹彩リングの簡易検査、月1回の精密検査が義務になっている。
全部、あいつ――メイソンの“死”が作った制度だ」
「……メイソンが命をかけて残した“備え”、ですか」
カイルが低く呟く。
「ああ。あいつの最期が、無駄にならないようにな」
バニングは静かにうなずいた。
短い沈黙が流れる。
2人の胸の奥で、消えかけた炎のような思いが、それぞれに揺れていた。
「俺はな、仲間を失うことに慣れたくない。
……だから、お前たちが生きて帰ってくる前提でしか、命令を出さない」
「…………」
カイルは無言のまま、グラスの中の氷を見つめていた。
やがて、わずかに笑みを浮かべる。
「……今度、スタンリーに何か甘いもんでも差し入れてみますよ」
「きっと照れながら断るさ。あいつ、甘党のくせに見栄っ張りだからな」
バニングは、くすりと笑った。
それきり、2人は何も言わなかった。
グラスの中の酒が、わずかに揺れる。
店の外では夜風が吹き抜け、遠くで人々の笑い声が重なっていた。
バニングが会計に向かい、少し遅れてカイルが立ち上がる。
その背中に流れていたのは、重く、だが確かなものだった。
――夜は、まだ終わっていなかった。
CH3
-ゴースト本部1階第1チームデスク-
朝の薄い陽射しが、ブラインド越しに執務室へ差し込んでいた。
モニターが並ぶ奥の一角で、スタンリーはいつものように椅子へ深く腰を沈め、手元の端末を操作している。表情はほとんど動かないが、その目は普段よりも鋭く、作業に意識を集中させていた。
そこへ、カイルがコーヒーカップを片手に、ふらりと姿を見せる。
「おはよう、スタンリー」
「ん……おはよ」
スタンリーは一瞬だけ視線を上げ、すぐに画面へ戻った。
カイルはその様子を見て、にやりと笑う。
「今日も冷静だな」
スタンリーの指が止まる。
ほんのわずかに眉を寄せ、ちらりとカイルを見る。
「……どうした、いきなり?」
「いや、褒めてるんだよ」
数秒の沈黙。
スタンリーは何かを考えるように視線を端末へ戻し、やがてふっと鼻で笑った。
「……褒め言葉として、受け取っておくよ」
それきり、2人の間に言葉はなかった。
だが、その静けさは居心地が悪いものではなく――それで十分だった。




