第2部 第4話「任務終了、未帰還」前編
CH1
-ゴースト本部1階第1チームデスク-
カイルは抑揚のない声で報告書を読み上げていた。対面のバニング隊長は椅子にもたれ、腕を組んだまま静かに聞いている。
「……以上が、サブジェクト・デイモンに関する調査および処理の最終報告になります」
読み終え、カイルは書類を机上に置いた。バニングは視線を落としたまま一拍置き、やがてゆっくり顔を上げる。
「そういえば、ロバート・グローリーが廊下で“転んだ”という報告が上がっていたな?」
カイルは眉一つ動かさずに答えた。
「……そのようですね」
バニングは鼻を鳴らし、机の端に置かれた端末を指先で軽く叩く。
「奇遇なことに、ちょうどその時間、通路Dの監視カメラが“故障”していたらしい」
視線を逸らさぬまま、カイルは同じ調子で返す。
「……そのようですね」
短い沈黙が室内に落ちた。
バニングは小さく息を吐き、椅子をわずかに軋ませて言う。
「……ほどほどにな」
「……はい」
返事のあと、カイルの視線がふと机上へ流れた。色褪せた一枚の写真。若い頃のバニングが、2人の男と肩を組んでいる。1人はどこか見覚えがあり、もう1人は知らない顔だった。
カイルは何も言わず、わずかに目を細める。
その沈黙を破るように、バニングが口を開いた。
「……よくやったな、カイル」
唐突な言葉とともに、彼は背もたれから身を起こす。
「今回の件、面倒だっただろう。あれだけ引っ掻き回されて、よく踏ん張った」
「……いえ。俺は、やるべきことをやっただけです」
そう返すと、バニングは鼻で笑った。
「そういう顔をしてる時点で、十分だ」
一拍置き、視線を外して続ける。
「たまにはどうだ。今夜、少し付き合え。飲みに行くぞ」
「……俺と、ですか?」
意外そうに眉を上げると、バニングは肩をすくめた。
「他に誰がいる。功労者を労うくらい、隊長の特権だ」
「……光栄です。ですが、俺、下戸でして」
「知ってる」
即答だった。
「だから一杯でいい。酔わせる気はない。――酒は口実だ。大事なのは場だ」
カイルは一瞬だけ迷い、それから小さく息を吐く。
「……それなら、ぜひ。一杯だけ、付き合わせてください」
「よし!」
バニングは満足そうに立ち上がり、上着を手に取った。
「報告書は明日でいい。今夜くらい、肩の力を抜け」
「了解です」
カイルも静かに立ち上がる。その表情には、任務中には見せなかった、わずかな安堵が滲んでいた。
CH2
-街角のバー-
静かなバーの片隅だった。
琥珀色の液体をたたえたグラスを手に、カイルとバニングは言葉を交わさないまま酒を口に運んでいる。
控えめなジャズが低く流れ、カウンターの照明が2人の横顔を柔らかく縁取っていた。
やがて、バニングがふいに口を開く。
「……ヴィンセントにロバートを殴らせた件だがな」
カイルはグラスの縁から視線を上げた。
「……なぜ、ヴィンセントが殴ったことまで……」
「……俺はお前たちの上司だぞ。分からんわけがあるまい」
バニングは一口含み、喉を鳴らしてから、笑みとも溜息ともつかない声音で続けた。
「よくやった。正直、俺も殴ってやりたかったくらいだ。
本部内じゃ規律があるから、そうは言えんがな。報告書を読んだ限り――あのロバートって男、どうにも好かん」
カイルは肩の力を抜き、わずかに笑う。
「……あの場でも、そう言ってくれたら助かりましたよ」
「俺にも立場ってもんがある」
バニングは苦笑いを浮かべ、グラスを指先で転がした。
少し間を置き、カイルが思い出したように言う。
「そういえば、バニング隊長の机の上に写真がありましたよね。3人の男が写ってた。
1人は若い頃の隊長だと分かりましたけど、あとの2人は……?」
バニングの表情が、ほんの一瞬だけ緩んだ。
「ああ。あれは、俺と――スタンリーと、メイソンだ。
メイソンは……5年前に殉職した。お前がまだ訓練生で、第1チームに配属される1年前のことだ」
カイルは思わずグラスを置き、首を傾げる。
「……スタンリー? あの、ぽっちゃり眼鏡のスタンリーですか?」
バニングは吹き出しそうになり、肩を揺らして笑った。
「ああ。今じゃ体型と口数ばかり目立つが、昔は現場でもバリバリだった。
俺とメイソンとスタンリーで、第1チームを支えてたんだ」
カイルは半信半疑の表情のまま、再びグラスを手に取る。
「……人は変わるもんですね」
「……変わらざるを得ない時もある」
ぽつりと落とされたその言葉に、グラスの中で氷が小さく音を立てた。
カイルは一口飲み、少しだけ表情を引き締めてバニングを見る。
「……何があったんですか?」
バニングはグラスの中を見つめたまま、しばらく答えなかった。
その沈黙が、ただの間ではないことを、カイルはすぐに察していた。
「……あの頃のゴーストは、今とは比べものにならないほど粗削りだった。
組織としても、技術も戦術も、すべてが手探りだ。今みたいに法の枠組みも整っていなかった。
俺たちは――いや、“俺”は、正義と感情の境界がどこにあるのかも分かっていなかった」
バニングはそう言い、片手でグラスの縁をなぞりながら言葉を継ぐ。
「メイソンは、感情で動く男だった。仲間を守るためなら、命を賭けることを躊躇しない。
スタンリーは、今とは違って痩せていてな。計算と理屈だけで動く、冷めた奴だった。
俺はその間にいて、いつも2人を止める役目だった……はずだった」
グラスの中の琥珀色が、わずかに揺れる。
「メイソンは、パワースーツの使い手でもあった。癖の強い代物でな、結局はプロトタイプ止まりだったが……
あいつは、誰よりも見事に使いこなしていたよ。
今じゃ倉庫の奥で埃をかぶってるはずだ。調整や解析をしていたのは、他でもないスタンリーだった」
バニングの視線が、遠くを見るように天井へと流れる。
「――あの日までは、な」
その一言には、はっきりとした断絶の響きがあった。
カイルは何も言わなかった。
聞くべきか、黙って待つべきか――ほんの一瞬迷い、静かにグラスを置く。
「……話してもらえますか。できれば、俺にも知っておきたい」
バニングは目を閉じ、一度だけ深く息を吐いた。
「――ああ、いいだろう。
今のゴーストの正義が、どうやって形作られたのか。お前にも、知る権利はある」
そう言って、バニングはカウンターに背をもたせ、ゆっくりと語り始めた。
過去の“ある作戦”と、そこから静かに、しかし確実に崩れていった――
自分たち3人の物語を。
***
店内の照明はぼんやりと温かく、バニングのグラスの中で氷が静かに溶けていた。
バニングは視線を落としたまま、ぽつりと口を開く。
「……“テルミット”──聞いたことはあるか?」
カイルはわずかに驚いた表情で答えた。
「ええ……かつて存在したとされる過激な犯罪組織ですよね。名前だけは、記録で見たことがあります」
「火薬でも爆弾でもない。なのに“すべてを燃やして世界を再構築する”なんて、本気で言ってた連中だ」
バニングは苦笑を浮かべる。
カイルは眉をひそめた。
「思想系のテロリスト……ですか?」
「表向きはな」
バニングはゆっくりとうなずく。
「だが、本質はもっと悪質だった。人格移植技術の初期段階に手を出し、倫理も命も、平気で燃やしていた」
グラスを持ち上げ、口元まで運ぶ。だが、飲まずに言葉を継いだ。
「当時、俺とスタンリー、それにメイソンの3人で、その“テルミット”を追っていた。慎重に詰めていって、あと一歩で本部の場所を特定できる――そんな段階だった」
「……3人で」
カイルが小さく呟く。
「ああ。ある夜、メイソンが“内部に協力者がいる”って情報を持ち帰ってきた。興奮してたよ。“今夜中に突入すれば、すべて終わる”ってな」
そこで、バニングは視線を落とした。
グラスの縁に沿って、指先をゆっくり滑らせる。




