表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
I, Another ―目の前に、俺と同じ顔の男がいる―  作者: Akatsuki.S


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/57

第2部 第3話「多重人格の罠(3)」前編

CH1

-ある女性の墓前-


灰色の雲が空を覆い尽くし、冷たい雨が途切れることなく降り続いていた。

郊外にある小さな墓地。手入れの行き届かない雑草の合間で、ひときわ新しい墓標が雨粒を受け、鈍く光っている。


その前に、1人の男が立っていた。


――デイモン。


白いシャツは泥と雨で重く身体に貼りつき、前髪は濡れて額に垂れ、視界を遮っている。

それでも、彼の視線が墓から離れることはなかった。


墓碑に刻まれている文字。

「マリア・グリーリー 愛する母へ」


「……守れなかったんだ」


小さく、誰に向けるでもなく呟いた声は、雨音に溶けて消えた。

頬を伝うものが涙なのか、雨なのか――本人にも判別がつかない。


「俺が……あの時、もっと強かったら……

ヴィンセントも、ネイサンも……こんなふうには……」


拳を握りしめたまま、デイモンは膝をついた。

濡れた土がズボンの裾を汚す。

胸の奥に沈み続けていた痛みが、ようやく輪郭を持ったかのように、肩を震わせていた。


そのとき――。


「……傘、要るか?」


静かな声が、頭上から降ってきた。


デイモンが顔を上げると、雨の幕の向こうに、黒い傘を差し出すカイルの姿があった。

そこに敵意も警戒もない。

ただ――同じ痛みを知る者の、静かな眼差しだけがあった。


「……」


デイモンは一瞬、迷うようにその傘を見上げる。

そして、泣き出しそうで、かすかに笑うような表情を浮かべ、ゆっくりと首を横に振った。


「……これは、俺が背負う雨だから」


「そうか」


カイルはそれ以上言わず、傘を畳むと、そのまま隣にしゃがみ込んだ。

2人の肩に、同じリズムで雨が落ちてくる。


しばらく、墓前に言葉はなかった。

あるのは、雨音と――消えきらない記憧の残響だけ。


それらが、静かに、降り続いていた。


CH2

-マリア・グローリーの墓前-


雨は止む気配を見せず、空は重く沈み込んだままだった。

デイモンの隣にしゃがみ込んだカイルは、しばらく無言で墓を見つめていたが、やがて静かに口を開く。


「……さっき、父親から話を聞いた」


デイモンは反応しない。

視線は墓碑に落とされたまま、動かない。


「“妻は子供を甘やかした”――そう言ってた。

一見すれば、何気ない一言にも聞こえる。けど……妙に引っかかった」


雨音に溶けるように、カイルの声は低く続く。


「今ならわかる。あれは……お前を、セオを、母親が必死に守っていたことへの言葉だったんだな」


デイモンの指先が、かすかに震えた。


「父親の暴力から、守ろうとしたんだ。あんたの母親は。

それを“甘やかし”なんて言葉で片づけるものじゃない。俺は、そう思う。

――だから、ここに来た。あんたが、なぜこの墓の前にいるのか……分かった気がしたから」


デイモンは、ゆっくりと顔を上げた。

そこに怒りも嘲りもない。

長い時間、閉じ込めてきたものが、わずかに緩んだような静けさだけがあった。


「……あの人は、いつも俺たちの前に立ってくれた。

殴られそうになると、代わりに傷を負った。

セオが黙り込んで、消えるようになったのも……あの頃だ」


言葉を探すように、デイモンは一度息を詰める。

それでも、初めて胸の奥をそのまま差し出すように続けた。


「……だから、ここにだけは、嘘をつきたくなかった」


カイルは静かに頷いた。


「俺は、お前を連れ戻しに来たわけじゃない。

ただ……“あんた自身”として、どう生きるかを、決めてほしかった」


再び、墓前に静寂が戻る。

だがそれは、先ほどまでの重苦しい沈黙とは違い、どこか余白を含んだものだった。


――雨はまだ降っていたが、風の匂いが、わずかに変わった気がした。


カイルは無意識に墓石へ視線を落とす。

刻まれた名前の下に並ぶ数字を、指先で二度、なぞった。


一瞬、何かが引っかかる。

だが、その正体を掴む前に、彼は視線を外した。


墓前に佇む2人。

雨音だけが静かに耳を打つ中で、デイモンがようやく口を開いた。


「……お願いがある」


カイルは黙ったまま、その横顔を見つめる。


「1つめは……ヴィンセントとネイサンを、二度とあの男に近づけないでほしい」


声は乾いていたが、その奥に宿る熱は揺るがなかった。


「どんな理由があっても……あいつのそばに戻れば、また壊される。

ネイサンはまだ、あいつを“父親”だと信じたがってる。

ヴィンセントも、怒りを鎮めるために……“赦そう”とするかもしれない。

でも、それじゃ……また……」


言葉が途切れる。

握りしめた拳が、小さく震えていた。


「……俺が生まれた意味が、なくなる」


カイルは、迷いなく頷いた。


「約束する。ゴーストとしても、個人としても……絶対に近づけない」


しばし沈黙し、カイルは降り続く雨のように言葉を胸に落とす。

そして、ゆっくりと口を開いた。


「……わかってる。お前の言う通りだ。

あの男のそばに戻れば、また壊される。……それは、俺も同じ考えだ」


デイモンの視線が、わずかに揺れた。


「……けどな。壊されるだけじゃない。

“壊されたまま”で終わらせたら、ヴィンセントもネイサンも、ずっと囚われたままだ」


カイルは拳を膝に置き、言葉を選ぶように続けた。


「だから――一度だけ、条件付きで会わせたい。

監視下で、逃げ道を塞いで、俺たちが横に立つ。

それ以上の接触は許さない。……ただ、その一度きりで、彼ら自身に“終わり”を選ばせたい」


「……終わり?」


「ヴィンセントにとっては、赦すでも、殴るでもいい。

ネイサンにとっては、“父親像”を守るか、壊すか――はっきりさせることだ。

俺たちが奪うんじゃない。彼ら自身の意思でだ。……そうしなければ、いつまでも統合には進めない」


デイモンの呼吸が乱れた。

震えを抑えるように、唇を強く噛む。


「……お前は、あいつらを、もう一度地獄に突き落とすつもりか」


「違う。地獄に突き落としたのは、あの男だ。

俺たちは……出口を示すだけだ」


沈黙が落ちる。

雨音に包まれた静けさの中で、デイモンは俯き、肩を小さく震わせた。


やがて、掠れながらも確かな声で呟く。


「……条件は絶対だ。一度だけだ。

二度と……二度と、繰り返させるな」


カイルは頷き、その横顔を真っ直ぐに見つめた。


「約束する。俺たちが、必ず守る」


その言葉を受けて、デイモンの表情がわずかに緩む。

だが、続いた言葉は、さらに重かった。


「そして……もう1つ」


ゆっくりと、デイモンはカイルを見る。


「俺の人格を、消去してほしい」


カイルの目が、静かに揺れた。


「……本気か?」


デイモンは迷いなく頷く。


「俺は、“誰かを守るため”に生まれた。

セオが、ヴィンセントが、ネイサンが壊れないように……

母さんの代わりになりたくて、ここまで来た。

でも、もう……守る相手はいない。あんたが、ちゃんとやってくれるなら、それで十分だ」


声は穏やかだった。

そこにあったのは、戦いの果てに辿り着いた、静かな覚悟だった。


「怒りだけを抱えて生き続けるのは……もう、疲れた」


カイルは目を伏せる。

その言葉の重さも、意味も、胸に深く沈んでいった。


やがて、ゆっくりと顔を上げ、雨の中で静かに答える。


「わかった。……だが、それを決めるのは、ヴィンセントたちだ。

彼らが納得しない限り、俺は強制しない」


デイモンは微笑んだ。

皮肉でも、挑発でもない。ほんの一瞬の、安堵の笑み。


「……ああ。それでいい」


2人の間に、再び沈黙が流れる。

雨はまだ止まない。だが、その中にあったのは、悲しみだけではなかった。


それは、長い苦しみの果てに差し込んだ、かすかな“終わり”の兆しだった。


CH3

-CIAR地下第2処置室-


薄明かりに包まれた静かな空間。

機器の駆動音だけが、かすかに耳に届いていた。


ベッドに横たわるデイモンの表情は、不思議なほど穏やかだった。

その傍らに腰掛けたエミリーは、記録装置に視線を落とし、ひと呼吸置いてから口を開く。


「……本当に、いいのね?」


声には、わずかな揺れがあった。


デイモンは静かに微笑む。


「俺は、“そのため”に生まれた。

守るべきものがなくなったなら……俺の役目は、もう終わりだ」


処置室のガラス越しに、ヴィンセントとネイサンが並んで立っている。

ネイサンは唇を小刻みに噛みしめ、ヴィンセントは拳を固く握ったまま、視線を逸らさずにデイモンを見つめていた。


「……始めるわ」


エミリーは端末を操作し、神経干渉ユニットへアクセスする。


処置は“削除”ではない。

デイモンという人格に繋がる記憶経路を遮断し、活性を停止させる――

言葉にすればそうだが、それは“生きている記憶”を、静かに眠らせる行為に他ならなかった。


(……これは、ただの死じゃない)


そう心の中で呟きながら、エミリーは作業を進めていく。


端末に表示された脳波が、徐々に平坦になっていく。

防衛反応も、興奮反応も見られない。

まるで、自ら消えていくことを受け入れているかのようだった。


デイモンのまぶたが、ゆっくりと閉じられる。


「……ありがとう、セオ。ネイサン。ヴィンセント」


それが、最後の言葉だった。


脳波は完全な沈黙を示すラインを描き、記録装置が処置完了を告げる電子音を鳴らす。


静寂。


「……終わったわ」


エミリーは息を吐き、そっと瞼を伏せた。


ガラスの向こうで、ネイサンの肩が小さく震える。

ヴィンセントは黙って、その肩に手を置いた。


「デイモンは……俺たちを守ってくれた」


「……うん」


ネイサンは涙をこらえながら頷く。


「ずっと……あの人がいなかったら、俺は……」


処置室の中で。

デイモン――“守るために生まれた人格”は、静かにその役目を終えた。


その顔には、どこか満ち足りたような、安らぎが浮かんでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ