第2部 第2話「多重人格の罠(2)」前編
CH1
-CIAR 3階第4処置室-
薄明かりの中、モニターには複数の監視映像が並び、走査中のセンサー情報が不規則に更新されていた。
室内には機器の低い駆動音だけが流れている。
スタンリーが声を落として報告する。
「外部からの侵入は確認されていない。第4処置室の警備カメラは……ハッキングの痕跡あり。侵入というより、“内部操作”だな」
カイルはわずかに眉を寄せた。
「内部に協力者がいる……あるいは、別人格がシステムを制御していた可能性もある。CIAR職員の動線と照合してくれ」
スタンリーは隣でタブレットを操作しながら、低く唸る。
「セキュリティログの改ざんは微細だが、相当巧妙だ。……これを、普通のDID患者がやるか?」
「普通じゃないから事件になってる」
カイルは短く言い切る。
「調査を続けよう」
CH2
-CIAR 3階第3観察室-
観葉植物とやわらかな照明に包まれた空間で、エミリーは静かに向き合っていた。
相手はセオ・グリーリー。表層に出ている人格はヴィンセントだが、その視線の動きや指先の癖に、わずかな変化が現れ始めている。
「……ヴィンセント。君は、ずっと頑張ってきたよね。
辛い時でも、周りを混乱させないように、冷静でいようとしてきた」
エミリーの声は穏やかで、追い詰める響きはない。
セオは視線を落とし、爪を指先に押し当てる仕草を繰り返した。
「……でもね。もし、その中にいる“もう1人”が、何か伝えたいことを持っているなら……私は、ちゃんと聞きたいと思ってる」
沈黙が落ちる。
やがて、彼の肩がわずかに震えた。
「……ボクは……ネイサン、です」
その声は、先ほどの低く理知的なものとは違っていた。
怯えと幼さが滲む、細い声。
エミリーは小さく頷き、ノートを閉じる。
「ネイサン、来てくれてありがとう。あなたの話を、ずっと聞きたいと思ってた」
椅子に深く座り直し、視線を合わせたまま続ける。
「あなたは、移植されたと思われていた。
でも……あなたは、まだここにいる。どうして?」
ネイサンは俯いたまま、両手をぎゅっと握りしめた。
「……わかんない。気づいたら、知らない部屋にいて、誰もいなくて……でも、まだここにいるって、わかった。
だって、ヴィンセントの声が聞こえたから……」
エミリーは目を細める。
「怖かった?」
「ううん……ちょっとだけ。でも……大丈夫だったよ。
ちゃんと、守ってくれる人がいたから」
「守ってくれる人?」
ネイサンは、小さく頷いた。
「うん。……パパが怒鳴っても、誰かが前に立ってくれた。
ママじゃなかった。ヴィンセントでもない……
誰か、違う人。強くて、すぐ怒るけど……でも、ちゃんと守ってくれる人」
エミリーは、一瞬だけ呼吸を止めた。
名前は出ない。
だが、はっきりとした輪郭を持つ“第3の存在”。
「その人……名前は?」
「知らない……でも、その人は……ぼくたちが痛くならないようにしてくれてる。
ずっと、前から」
ネイサンの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
それがかえって、エミリーの胸に、静かな戦慄を走らせた。
CH3
-CIAR 3階第3観察室前の廊下-
面談を終えたエミリーは、カイルたちのいる場所へ歩み寄り、声を落として告げた。
「……ネイサンは、まだヴィンセントの中にいました」
カイルがわずかに目を見開く。
「じゃあ……移植されたのは……」
「おそらく、第3の人格です。
ネイサンは、その存在を“守ってくれた人”と呼んでいました。でも、その人格は……記録にも、診断にも残っていない」
スタンリーが低く呟く。
「三重人格か……。父親からの暴力が引き金になったDID……」
エミリーは短く頷いた。
「……その可能性が高いと思う。しかも、最も狡猾な人格が外に出た」
カイルの声が、さらに低く沈む。
「そいつの目的は……父親への復讐、ですか?」
エミリーは一度、深く息を吐いてから答えた。
「……おそらく、そうなるわ」
CH4
-CIAR構内西側回廊-
重い足音が、静まり返った廊下に反響する。
カイルとニーナは、警備員2人を伴い、奥の実験棟へと進んでいた。
左右には診察室と処置室が整然と並び、電子錠のランプはすべて緑に点灯している。
施設は完全に封鎖され、外部との通信も制限された。
それでも――肝心の“第3人格”の所在は、いまだ掴めていない。
「姿を消してから30分。出入口は全部ロック済み。外に出た形跡はないわ」
ニーナが無線の報告を確認しながら言う。
「……つまり、まだこの中にいる」
カイルは足を止め、周囲を見渡した。
空気の揺らぎを探るように、視線を静かに巡らせる。
「……さっきの、ヴィンセントの話、聞いてたか?」
「ええ。ネイサンが“誰かに守られた”って言ってた。
父親の虐待が原因でDIDになった可能性が高いわね」
ニーナは呼吸を整えるように言葉を継ぐ。
「それで、CIARは父親を保護する方向で動いてる。
さっき本部と連絡を取ったわ。保護先は郊外の“ホテル・リンクウェスト”。第2チームは生憎と出払ってて、今回は民間の警備会社に依頼――」
「……ニーナ、ここで言うな」
カイルが低く遮った。
ニーナは眉をひそめ、振り返る。
「何よ。ただの確認でしょ?
このエリアはCIARの暗号化回線内だし――」
だが、カイルの視線は彼女を捉えていなかった。
廊下の角。わずかに開いた備品倉庫の扉、その影。
無人のはずの空間に、微かな“視線”を感じ取る。
「……誰かが、聞いてた」
カイルは即座に腰のホルスターへ手を伸ばし、扉の前へと駆け寄った。
だが、そこにあったのは掃除ロボットだけだった。
駆動音もなく壁際に静止し、バッテリー残量を示すランプが規則正しく明滅している。
「……妙だな」
一歩引き、周囲に視線を走らせる。
手すりの一部だけが、不自然なほど綺麗だった。
指でなぞられ、拭われたような痕が、薄く残っている。
ニーナの表情が強張る。
「……誰か、確実にここにいた?」
カイルは小さく舌打ちした。
「……保護先が、バレた」
CH5
-CIAR前-
「急げ、ニーナ。車を回してくれ!」
カイルが短く叫ぶのと同時に、ニーナは警備用タブレットをポケットに滑り込ませ、ロータリー脇に停車していたCIAR連携車両のドアを叩いた。
エンジンが唸りを上げる。
2人が乗り込むと、車両はタイヤを鳴らして発進し、夜の医療区画を抜けて市街地へ――ホテル・リンクウェストの方向へと加速した。
「……まさか、あのタイミングで聞かれるなんて」
ハンドルを握るニーナが、苛立ちを滲ませて舌打ちする。
カイルは助手席で通信機のチャンネルを切り替え、ゴースト本部のオペレーションルームへ回線をつないだ。
「——スタンリー、こちらカイル。至急確認してくれ。CIAR本部周辺で、ホテル・リンクウェスト方面へ向かった不審車両、もしくはバイクの情報はあるか?」
一瞬の沈黙が走り、やや遅れてスタンリーの声が返ってくる。
「……該当情報が1件ある。CIARから西に約100メートルの交差点だ。3分前、警備ドローンが“バイクの強奪”を検知。犯人は黒いパーカー姿、フルフェイスで顔は不明。進行方向は、ホテル・リンクウェスト方面」
「そいつだ……!」
カイルの目が鋭く光る。
「速度的に、我々の到着とほぼ同時になる可能性がある。スタンリー、現地周辺の信号と防犯カメラ制御にアクセスできるか?」
「任せろ。上層への許可申請は通した。……10秒で完了する」
通信が切れ、車内の空気が張り詰める。
ニーナは口元を引き結び、さらにアクセルを踏み込んだ。
「間に合えば、被害は出さずに済む。でも——」
「間に合わなければ、また誰かが傷つく。今度こそ止めるぞ、ニーナ」
カイルの手は、無意識のうちにホルスターへと伸びていた。




