第1部 第17話「境界」前編
CH1
‐旧ミラージュ研究施設跡1階モニタールーム-
金属の扉の前で、アリウスは足を止めた。
認証パネルに手をかざすと、機械音が短く鳴り、重い扉が静かに開く。
室内の中央。
椅子に拘束されたままのアカネがいた。
意識ははっきりしている。視線がカイルとアリウスを捉え、驚きと安堵が入り混じった表情に変わった。
「……カイル……!」
カイルは一気に駆け寄り、拘束具に手を伸ばす。
だが、その動きをそっと制し、アリウスが一歩前に出た。
「……俺がやる」
淡々と解除コードを入力する。
拘束具が低い音を立て、ひとつ、またひとつと外れていく。
アカネは体を起こしながら、アリウスの顔をじっと見つめた。
戸惑いと警戒が入り混じった視線。
「あなた……誰……?」
「もう大丈夫だ。迎えに来たよ、アカネ」
一拍置き、アリウスは静かに頭を下げる。
「……すまなかった。怖い思いをさせた」
その瞬間――
施設の奥から、複数の足音が一気に迫ってきた。
モニタールームの扉が開き、ゴースト第1チームと第5チームが突入する。
「目標確認!」
「アカネ・エリソン、無事か!?」
第1チームが即座にアカネの状態を確認し、
第5チームは銃口を上げたまま、カイルとアリウスを囲んだ。
同じ顔。
一瞬、誰もが判断を迷う。
ノアが眉をひそめて呟く。
「……どっちがカイルだ? 制服着てる方……か?」
ヴィクターが一歩前に出た。
「簡単だ。質問する。
アカネ・エリソン技師の講義で言っていた――脳のシナプス数は?」
右側のカイルが、即答する。
「約1,000兆。成人男性の平均だ」
左側のカイルは一瞬、視線を泳がせた。
「……数えたことは、ないな」
ヴィクターがわずかに目を細める。
「なるほど。左がカイルだ」
「……おい、なんでだよ」
「理屈で計画するのが奴だ。お前は感覚で生きている。十分だろ」
カイルは苦笑する。
「俺、バカにされてる気がするんだけど」
「褒めている。お前は“考える”より“感じる”タイプだ。
……直感は良いが、数字が弱い」
少し不貞腐れるカイル。
その様子にノアが小さく笑い、ニーナはようやく息を吐いたように肩を落とした。
「……もう、心臓止まるかと思ったわ。本当に無茶するんだから……」
スタンリーも端末を下ろし、息を整える。
「通信が途絶えたときは冷や汗ものだった。
まさか、もう1人の“カイル”と戦っていたとはな……」
ノアが軽口を叩く。
「てかヴィクターさん、問題出すとか冷静すぎません?
俺、普通に撃ちそうでしたよ」
ヴィクターは答えず、視線をアリウスへ戻した。
「……で、こいつは何者だ?」
カイルは一度うなずき、アカネを一瞥してから、静かに口を開く。
「……こいつはアリウス。“俺自身”だ。
正確には、別の世界で生きていた、もう1人の“カイル・アシュフォード”。
並行世界から、この世界に来た」
空気が、一瞬で凍りついた。
ニーナは思わず口元を押さえ、スタンリーは言葉を失ったまま2人を見比べる。
「彼は、自分の世界で大切な人を失った。
その喪失を埋めるために、俺のいるこの世界を探し出し――
俺になり代わろうとした。俺自身を奪って」
アカネは眉をひそめながらも、視線を逸らさずアリウスを見つめている。
「でも、最後には戦った。
そしてアリウスは、自分の“心の弱さ”と向き合った。
今ここにいるのは、ただの犯罪者じゃない。
――“もう1人の俺”が、自分を乗り越えようとしている、その途中だ」
ヴィクターが低く問いかけた。
「……で? それでどうするつもりだ、カイル。」
「――逃がしてほしい。」
その一言で、室内の空気が変わった。
ノアが思わず声を上げる。
「カイル、それは……!」
ヴィクターは何も言わず、ただカイルを見据える。
「彼は戦いの中で、自分の過ちを認めた。
目的も、力も、もうここにはない。
今さら逮捕しても、何も解決しない。
……だからせめて、罪を背負って生き直す機会を、彼に与えてほしい。」
アカネが、ためらいがちに口を開く。
「……私も、そう思う。
彼は確かに、私を利用した。
でも最後には、“ごめん”って言った。ちゃんと、向き合おうとしていた。」
ニーナが小さくうなずく。
「……アカネがそう言うなら、私は異議なし。
誰かが“やり直す”機会を奪う権利なんて、誰にもないわ。」
スタンリーも、静かに続けた。
「……それに、こいつをこの世界で逮捕しても説明がつかねぇ。
報告書の段階で、俺が頭抱える。」
ヴィクターは深く息を吐いた。
「……お前の直感は、わりと外れない。
気に食わないが、今回は信じよう。」
ノアが目を丸くする。
「マジっすか、ヴィクター。
上にはどう報告するんです?」
「“現場到着時には逃走済み”……それでいい。
異論があるなら、帰りの車で聞いてやる。」
カイルは深く頭を下げた。
「……ありがとう、ヴィクター。」
「礼はいい。
後始末と報告書の“調整”がどれだけ面倒か、覚悟しておけ。」
アリウスは驚いたように顔を上げ、カイルを見つめた。
「……いいのか。俺を逃がして。」
カイルは、静かに答える。
「次は、他人の人生じゃない。
自分の人生を生きろ。……それが、俺からの唯一の条件だ。」
アリウスの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
長く凍りついていた心が、ようやく解け始めたような表情だった。
***
アリウスは深く息を吐き、静かに言った。
「……迷惑ばかりかけたな。本当に、申し訳なかった。」
そう言って、もう一度、カイルとアカネに頭を下げる。
焦げた空気の中で、その声だけが不思議なほど澄んで響いた。
沈黙を破ったのは、アカネの柔らかな声だった。
「アリウス。“人間、至るところに青山あり”――そんな古い言葉があるの。」
アリウスは背を向けかけた足を止める。
振り返らないまま、ただ耳を澄ませた。
アカネは一歩、彼に近づいた。
まなざしは真っ直ぐで、そこには静かな慈しみが宿っている。
「“人間”はそのまま人のこと。“青山”は、お墓のこと。
墓は、その人がその場所で生きた証。
つまりね――“人はどこでだって、骨を埋められる”。
……どこにいたって、生きていけるの。そこが、あなたの生きる場所になるのよ。」




