第1部 第16話「激突、蒼と紅」後編
アリウスは止まらない。
床を蹴り、回転の勢いを殺さず低く滑り込む。
次の刃が、太ももを狙った。
カイルは跳躍でかわす。
だが、余波が脚をかすめ、筋肉が悲鳴を上げた。
感覚が鈍る。
「……っ、こいつ……!」
威力が違う。
斬撃ではない。振動そのものが、肉と骨を削り取る。
それでも――
カイルは、自身のTSRのアサルトモードを起動しなかった。
血に濡れた柄を握り直し、正面からアリウスを見据える。
「使わないのか?
お前のTSRにも“それ”はあるはずだ。使えよ……!」
「……使わない。
これは“戦争”のための武器じゃない。
誰かを殺すためのものでもない……たとえ、お前がそれを望んでも。」
その言葉に、アリウスの表情が歪む。
紅の光に照らされた顔は、もはや人のそれではなかった。
「甘い……!
この戦いは――奪うか、奪われるかだッ!!」
再び、紅と蒼が衝突する。
金属音が爆ぜ、床が割れ、火花が闇に散った。
――理性か、狂気か。
――生かすか、奪うか。
戦いはなお続く。
だが、終幕はすでに、その影を落とし始めていた。
***
振動ブレードが閃く。
次の瞬間には、別の軌道が目前へ迫っていた。
アリウスは止まらない。
踏み込みと同時に刃を反転させ、肘、膝、踵――全身を刃の延長のように使い、間断なく叩き込んでくる。
「……っ」
カイルは半歩遅れて身を引く。
床を滑った刃先が火花を散らし、壁面センサーが警告音を上げた。
視界の端で、紅が弾ける。
喉元を狙う一直線の突き。
捻る。髪が数本、宙に舞った。
間を置かず、下段から斬り上げ。
脚を引く。ブレードが制服の裾を裂く。
呼吸を許さぬ連撃。
牽制も、躊躇もない。
――本気だ。
一瞬でも受けに回れば、次で終わる。
カイルは歯を食いしばり、紙一重で退き続けた。
背後の空間が、じりじりと削られていく。
圧力の中心で、アリウスの目だけが異様に澄んでいた。
「俺は7年探した……!
無数の世界を、無限の絶望を……!
ようやく辿り着いたんだ、この“奇跡の世界”に……!!」
激情に任せた踏み込み。
ブレードが大きな弧を描く。
カイルはぎりぎりで身をかわし、歯を食いしばった。
「……ああ、奇跡かもしれねぇな。だがな……」
風圧に抗い、TSRで押し返す。
火花が走り、互いの武器が軋んだ。
「……俺が一番ムカつくのは……
お前が“その奇跡”で、元の世界のアカネを“なかったこと”にしようとしてるってことだッ!!」
「黙れッ!! そんなつもりじゃ……ない!!」
怒声とともに蹴りが叩き込まれる。
脇腹に衝撃。カイルは吹き飛ばされるが、即座に受け身を取り、立ち上がった。
間髪入れず紅が迫る。
横薙ぎをTSRで受け、火花が散る。衝撃が腕を痺れさせた。
踏み込もうとした瞬間、足払い。
床が視界をかすめる。転倒寸前で片手をつき、身体を捻って斬撃をかわす。
刃先が頬を裂き、熱が走る。
それでもカイルは距離を詰めた。
「忘れてないなら、なんで“別のアカネ”を手に入れようとする!?」
「お前に何がわかる!!
何も失わず、偶然ここにいるだけの奴がッ!」
鋭い突きをTSRで受け止める。
衝撃が腕を貫き、骨が軋む。
一瞬遅れれば、胸を貫かれていた。
押し込まれ、踵が床を削る。
次撃が来る。横薙ぎ、返しの刺突。
反応がわずかに遅れる。視界の端が暗い。
刃が床を叩き割り、破片と粉塵が舞い上がる。
爆ぜた空気が肺を焼いた。
呼吸が浅い。腕が重い。
それでも退けば終わる。
カイルは歯を食いしばり、軋むTSRを押し返した。
「そうだよ! たまたまここで、たまたまアカネに会った――
でもな、それでも“俺の出会い”なんだ。
たとえアカネじゃなくても、俺は誰かと出会ってたはずだ!」
「……っ!?」
「誰かが、俺をこの世界に繋ぎ止めてくれてたはずだ。
お前はアカネが死んで“失った”。
だからって、“別のアカネ”で上書きしていい理由にはならねぇ!!」
「やめろ……やめろぉおおッ!!」
怒号とともに連撃。
振り下ろしが床を砕く。
破片が跳ねるが、軌道は大きすぎる。
薙ぎ払いは速い。だが、読みやすい。
力任せの踏み込みで重心が流れる。
カイルは半歩だけずらす。
刃が空を裂き、背後の壁を削った。
返す刃を最小限で受け流す。
衝撃は重いが、狙いは甘い。
呼吸を整え、視線だけで追う。
焦っているのは――向こうだ。
崩れた間合いに踏み込み、蒼が一直線に走る。
「俺はあの世界で、全部を失ったんだ!
今さら、あきらめられるかよ!!」
「それが矛盾だって言ってんだ!
お前が本当にアカネを“愛している”なら――
その死からも、逃げずに向き合え!!」
「俺は……っ、愛してたんだよ……アカネを……ッ!!」
振り下ろされる刃。
カイルは渾身の力でTSRを叩き合わせた。
「“愛していた”? 過去形かよ……ダセぇな……」
「……なんだと!」
「……違うだろ。
お前は、今でも“愛している”んだろ?」
その一言で、アリウスの動きが止まった。
「お前は純粋な奴だった。
本当にアカネを愛してるんだろ。
だからこそ、その死が……辛すぎた。
だから7年も、彷徨ってきた。」
拳が震え、瞳が揺れる。
カイルは、最後の一歩を踏み出した。
「俺は、この世界で“生きていく”。
どんなに苦しいことがあっても。
……お前も、そうだったはずだ。本当はな。」
静寂。
その言葉が、刃のようにアリウスの胸を貫いた。
右手が、ゆっくりと下がる。
視線が揺れ、唇が言葉を探して止まる。
――その心に、一瞬の“隙”が生まれた。
「……それが、俺の“居場所”の作り方だ!」
踏み込み。
重心を落とし、両腕を交差させる――クロス・ブロックからの反転。
一撃。二撃。三撃。
振動ブレードを弾き飛ばし、最後の一打が胸を撃ち抜いた。
「……!」
空気が震える。
紅いTSRが手を離れ、乾いた音を立てて床を転がった。
そのまま、アリウスは膝をつき、力なく崩れ落ちる。
カイルは荒い息を吐きながら、視線を逸らさなかった。
――戦いは、確かに終わりへと向かっていた。
***
沈黙が落ちた。
激戦の余韻だけが空気を震わせ、壊れた装置から立ち上る焦げた匂いが漂っている。
アリウスは膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳に、怒りも憎しみもない。
ただ静かに――どこか穏やかな光が宿っていた。
「……一つ、教えろ」
カイルは肩で息をしながらも、視線を逸らさずに答える。
「なぜ、TSRのアサルトモードを……使わなかった?」
一瞬、風が通り抜けた。
舞い上がった埃が光を受け、淡く漂う。
カイルは目を伏せ、やがて静かに口を開いた。
「……お前のやりたかったことが、身に染みるほど分かったからだ」
その言葉に、アリウスの瞳がわずかに揺れる。
「アカネを失って、世界が崩れて、すがるものを探して……
その痛み、俺には分かる。……いや、分かってしまったんだ」
カイルは歩み寄り、ゆっくりと距離を詰めた。
そこに敵意はない。
かつての“自分”を見つめるような、静かな眼差しだった。
「もし、あのとき俺が目の前でアカネを失っていたら……
たぶん、お前と同じことをしていた」
「だから……お前を、本気で“殺そう”とは思えなかった」
アリウスはしばらく沈黙し、かすかに口角を上げる。
涙の代わりに滲んだ、苦い笑み。
「……負けだ。戦いにも、心でも……俺の、完敗だよ」
その声には悔しさだけでなく、
長い絶望の果てに滲む、微かな安堵があった。
ようやく、自分が“逃げていた”ことを認めたのだ。
「……だったら、これからどうする?」
カイルの問いに、アリウスは天井を仰ぐ。
その奥にあるのは絶望ではなく、行き先を失った“空白”だった。
「……分からない。
ただ、今は……少しだけ、重荷が降りた気がする」
「なら、ここからだ。
お前も、自分の“居場所”を探せ。
アカネのためじゃない。お前自身のために」
静かな沈黙が、2人を包み込む。
焦げた空気と壊れた装置の匂いの中で、時間だけが流れていった。
――戦いは終わった。
だが、どちらの人生も、ここで終わるわけではない。
アリウスは立ち上がろうとして、わずかによろめいた。
カイルが無言で腕を支える。
そこに拒絶も、警戒もなかった。
アリウスの右腕が、力なく下がる。
「……まだ終わりじゃない。アカネはどこだ?」
アリウスは小さく頷き、背後の暗がりにある扉を顎で示した。
「1階のモニタールームだ。隔音もしてある。……案内する。
最後に――彼女に、謝らなきゃならない」
2人は言葉を交わさぬまま、廊下を進んだ。
焼けた鉄の匂いと、足音だけが、静寂を刻んでいた。




