第1部 第15話「交差する運命」後編
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カイルは、目の前に立つ男をまっすぐに睨みつけた。
「……一つだけ、まだ納得がいかない。
アカネを、なぜさらった」
アリウスは一拍、沈黙した。
そして鼻で笑うように、低く言う。
「――理由は二つだ」
「……二つ?」
「一つ目は単純だ。
お前を1人で呼び出すためだ。
あの女が危険に晒されたと知れば、お前は必ず1人で来る。
……案の定だったな」
その口調には、揺るぎない確信があった。
すべては計算の内――そう言わんばかりの声音。
「……そして、もう一つ」
アリウスの瞳がわずかに陰り、次の瞬間、冷たい光を帯びる。
「俺が“お前になる”瞬間を、彼女に見せるわけにはいかなかった」
「……!」
「分かっているだろう。
人格移植は、ただの引き継ぎじゃない。
“お前”は消える。残るのは、“俺”だけだ」
淡々とした声が、容赦なく続く。
「彼女がそれを知れば、決して受け入れない。
だから……アカネを隔離した」
カイルの背筋に、氷のような寒気が走った。
「……当然だ」
アリウスは淡々と応じながら、人格移植装置に手をかける。
赤いインジケーターが、呼吸するようにゆっくりと点滅していた。
「俺はこの世界で、すでに一度――人格移植を失敗している。
その後の襲撃も、アカネの介入と、お前の抵抗で崩れた。
だから、今度こそ完璧にやる必要があった」
感情を排した声は、報告のように平坦だった。
「前回使ったのは、闇ルートで手に入れた粗悪なコピー品だ。
構造も制御系も未解析で……案の定、プロセスの途中でエラーを吐いて停止した」
カイルの脳裏に、あの電子音が蘇る。
視界が白く歪み、脳を引き裂かれるような痛み。
――あれは、失敗した人格移植の残滓だったのか。
アリウスの手が静かに動き、金属端子の接続を確かめる。
「だが、今回は違う。
正規ルートから流出した“本物”だ。
政府機関の最新モデル――お前の世界で『MIRROR Type-3』と呼ばれていたものと同型。
これは、確実に成功する」
その表情に浮かぶのは、狂気ではない。
結果を疑わない者の、“確信の微笑”だった。
「これでようやく……
俺はアカネに、“カイル・アシュフォード”として、もう一度出会える」
その言葉に込められていたのは、愛ではない。
執念が形を変えた、歪んだ信仰だった。
カイルは唇を結び、拳を強く握りしめる。
拘束具がきしみ、鈍い金属音が響く。
「……ふざけるな。
そんな歪んだ再会、アカネが望むはずがない」
アリウスは、初めてわずかに口角を上げた。
「ならば、証明してみせろ。
お前が――“彼女のそばに立つカイル”であることを」
空気が、張り詰めた弦のように震える。
互いの呼吸すら音に変わるほどの静寂。
カイルはまっすぐにアリウスを見据え、ゆっくりと息を吐いた。
その瞳は、鋼のように冷たく光っている。
「……そうか。
だからアカネを攫って、俺1人を呼び出したんだな」
アリウスは答えなかった。
だが、その沈黙がすべてを語っていた。
「……お前にとって、俺とアカネ以外はどうでもいい。
そういうことか」
その呟きには、怒りよりも深い諦念が滲んでいた。
カイルは思う。
もしこの場にスタンリーやヴィクターがいたとしても、
アリウスは躊躇なく彼らを排除しただろう。
「仲間であっても、目的のためなら切り捨てる……か」
拳が、わずかに震える。
それは恐怖ではない。
――誓いのような、震えだった。
「……それでも俺は、お前の思い通りにはならない」
低く、確かな声。
拘束された身体のままでも、決して折れない――
それは、カイル自身の“意志”だった。
***
カイルは唇を噛み、鋭い眼差しでアリウスを睨みつけた。
「……それが目的か。
だが、人格移植をしても虹彩リングで露見する。網膜だって一致しない。
ゴーストの入館検査もあるし、月一の精密検査もある。……計画は破綻している」
アリウスは、まるでその反論を待っていたかのように、薄く微笑んだ。
「――だからこそだ。
移植後に、“俺の網膜”をお前に移植する」
静かな声。
だが、その奥には背筋を凍らせるほどの確信があった。
「網膜は完全に一致する。
“カイル・アシュフォード”は、そこで完成する」
「……網膜移植だと……?」
カイルが息を呑む。
「だが網膜は成長とともに個体差が出る。双子ですら一致しない。
そんなもの、成立するはずがない」
アリウスは、わずかに目を細めた。
「……網膜パターンは5、6歳で安定する。
そして――もう確認は済んでいる」
「……確認? どうやって……」
「“あの日”の定期検査を思い出せ。
気づかなかっただけで、俺は――そこにいた」
カイルの瞳が、大きく見開かれる。
「……あの検査員……まさか……!」
アリウスは静かに頷いた。
その仕草は、自らの計画の完璧さを噛みしめるようでもあった。
「俺とお前の網膜は、完全に一致していた。
つまり――“同じ人間”だ」
「ゴーストのセキュリティを突破したのか!?
あそこは、そんな生半可な防御じゃない!」
驚きを隠せないカイルに、アリウスは淡々と答える。
「造作もない。
俺はいくつもの並行世界を渡り、調査と侵入を繰り返してきた。
その過程で、セキュリティを抜く技術も自然と身についた」
一瞬、時が止まった。
冷たい金属の匂いと、機械の低い駆動音だけが空間を満たす。
「これが、俺の計画の全貌だ」
アリウスはゆっくりと装置に手を置いた。
その声は静かで、どこか儀式めいている。
「――それでは、始めようか。人格移植を」
「やめろ――――!!」
カイルの叫びが金属の壁に反響する。
全身の筋肉が張り詰め、拘束具が軋む。
だが、椅子はびくともしない。
アリウスは最終チェックを終えると、足元のケースを開いた。
中から現れたのは、黒い筒状の金属――カイルのTSR。
彼はそれを手に取り、儀式のような慎重さで装置側面の端子へ接続する。
「……神経信号の同期精度を上げるには、本人の神経媒介が最適だ。
お前のTSR、少し借りるぞ」
淡い蒼光が走り、TSRの内部コアが低く唸るように点灯した。
人格移植装置の中枢と連動し、心臓の拍動のような脈動が生まれる。
アリウスは、カイルの正面に設置されたもう一脚の金属椅子に腰を下ろした。
それもまた冷たく無機質な椅子で、
背面には神経伝達用の導電プレートと、脳波同期用インターフェースが並んでいる。
迷いなく、アリウスは自らのこめかみに神経リンクを接続した。
赤いランプが点灯し、システムが“送信側”としての認証を開始する。
「……これで、ようやく繋がる」
低い声が、金属の壁に反響した。
対面には、拘束されたままのカイル。
2人の頭部を結ぶ光のラインが、ゆっくりと明滅を始める。
アリウスは呼吸を整え、タッチパネルに手をかけた。
「さようなら、カイル・アシュフォード。
――そして、こんにちは。“俺”」
スイッチが押される。
低く唸る冷却音。
空気が震え、照明が一瞬だけ明滅した。
カイルのこめかみに接続された神経リンクが青白く発光し、
装置内部を電磁音が駆け抜ける。
光のラインが、脳波同期を示すように一定のリズムを刻み始めた。
赤と青のインジケーターが交互に点滅する。
やがて、頭蓋の奥に響く低周波の共鳴が、室内を満たしていく。
「……っ、ぐあぁぁぁ――!」
苦痛と抵抗の混じった声が、カイルの喉から漏れた。
拘束具が悲鳴を上げ、椅子の金属が激しく軋む。
冷却音が高まり、光のラインが激しく脈動する。
視界が白く滲み、身体が椅子ごと震えた。
電磁ノイズが、耳鳴りのように脳を貫く。
遠くで、アリウスの声が響く。
「――もうすぐだ。
“俺”の世界が、始まる」
視界が、光に飲み込まれ――
そして、すべてが途切れた。




