第1部 第15話「交差する運命」前編
CH1
-旧ミラージュ研究施設跡2階第5研究室-
装置の制御盤が、低い駆動音を刻みながら脈打っていた。
赤いインジケーターの光が、室内に漂う埃を淡く照らし出す。
アリウスは最後のリンクコードを確認し、わずかに息を吐いた。
その直後――背後で、かすかな呻き声が漏れる。
カイルが、ゆっくりと目を開けた。
「……やっと、お目覚めか」
アリウスの呟きは静かだった。
冷ややかでありながら、その奥に微かな安堵のような響きが混じっている。
カイルは、冷たい金属の椅子に固定されていた。
医療用の検査台を思わせる分厚い構造。
背もたれには無数の神経ケーブルが接続され、
両腕と両脚は金属製の拘束具で厳重に締めつけられている。
わずかに身じろぎするだけで、金属同士が擦れる鈍い音が響いた。
ぼやけた視界の向こうに、黒衣の男が1人立っている。
その顔を認識した瞬間、全身が硬直した。
――自分と、同じ顔。
だが、目の奥が違う。
痛み、憎しみ、諦め。
それらをすべて飲み込んだような、暗く沈んだ光。
「……お前は誰だ。目的は……何だ」
低く押し殺した声に、アリウスはわずかに口角を上げた。
「なんとなく、気づいているんじゃないのか。……俺は、お前だ」
「……何?」
「俺はカイル・アシュフォード。並行世界から来た、お前自身だ」
その言葉が、空気を震わせた。
カイルの眉がわずかに動く。
理解が追いつかず、喉が詰まった。
「……並行世界? お前が、俺……? そんな、馬鹿な……」
アリウスは一歩踏み出し、無表情のまま見下ろす。
「混乱するのも無理はない。だが聞け。
お前は、何も知らずにこの世界で生きてきた。
――教えてやる。“家族の秘密”を」
その言葉に、カイルの拳がわずかに震えた。
“家族”という響きが、脳裏の奥を鋭く刺す。
「……親父が、タイムマシンを研究していたことか……?」
「そうだ」
アリウスは小さく頷く。
「だが無理だった。時間は戻せない。父マルコムも、そう言っていた」
「……じゃあ、何を――」
「――だが父マルコムは、“失敗”の中で別の答えを見つけた。
時間を遡る代わりに、“別の時間軸の世界”へ繋がる装置を完成させた」
カイルの目が、大きく見開かれる。
「別の……世界?」
「そうだ。無数に存在する世界。
選ばなかった可能性、違う選択をした人生。
その並行世界へアクセスする装置――それが“パラレルマシン”だ」
アリウスの視線が、遠くへ逸れる。
その目には、わずかな懐旧の色が宿っていた。
まるで、その装置を起動した“あの瞬間”を、今も見ているかのように。
沈黙。
カイルは言葉を失い、ただその声を聞いていた。
「パラレルマシン……初めて聞く。
そんなものが……本当に、あるのか」
アリウスは静かに微笑んだ。
「あるとも。――俺が、その証拠だろう?」
冷たく、しかし否定の余地のない現実が突きつけられる。
カイルは息を呑み、無言でアリウスを見据えた。
2人の間に、誰にも破れない鏡のような沈黙が流れる。
「……で、そのパラレルマシンでこの世界に来たお前は、
いったい何が目的だ?」
カイルの声には、怒りとも困惑ともつかない震えが滲んでいた。
目の前に立つ“同じ顔”の存在が、現実の輪郭を歪ませていく。
アリウスは短い沈黙のあと、低く答えた。
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
「……アカネだ」
その名が落ちた瞬間、空気が張りつめる。
「……アカネ、だと?
アカネをどうする気だ!」
カイルが声を荒げる。
だがアリウスは、遠い過去を見つめるように目を細めた。
「俺の世界では……アカネは、19歳のときに死んだ」
短く、静かな言葉。
そこには怒りも悲しみもない。
乾ききった現実だけが、淡々と置かれていた。
「……アカネが死んでいる?
……7年前の、CIARの火災事故か?」
「そうだ」
アリウスの声が、低く響く。
「この世界では、お前が助けたらしいな。
……だが、俺の世界では間に合わなかった。
炎の中で、瓦礫の下にいた。
――目の前で、俺は、何もできなかった」
カイルは息を詰める。
言葉は静かだったが、その一つひとつが胸を深く抉った。
「本当に、あの頃は幸せだった」
アリウスの声が、わずかに掠れる。
「くだらない日常が、宝物みたいに思えた。
……このまま家族になるんだろうと、自然に思っていた。
お前も、同じことを考えているんじゃないか?」
カイルは唇を噛む。
否定できなかった。
アカネとの未来を、確かに思い描いていた。
アリウスの拳が、かすかに震える。
それでも表情は、崩れない。
「だが……突然だった。
何の前触れもなく、奪われた。
壊れるように、音もなく……
あの世界ごと、消えたんだ」
沈黙。
その言葉が落ちた瞬間、カイルの視界がふっと色を失う。
――炎。崩れる天井。
7年前のCIAR。
焼けつく熱。耳を裂く爆音。
瓦礫の下に、血に染まった白衣。
動かない手。声にならない叫び。
「……っ!」
鋭い痛みが頭の奥を貫き、カイルの身体がびくりと跳ねた。
拘束具が軋み、金属音が響く。
全身の筋肉が硬直し、呼吸が乱れる。
「……何度か、頭に……映像が流れる。
爆発と……アカネが……」
言葉を重ねるうち、カイルの目に確信の色が宿る。
「……あれは、“お前の記憶”か?」
アリウスの瞳が、一瞬だけ揺れた。
だがすぐに逸らされ、唇が固く結ばれる。
返答はない。
けれど――
その沈黙こそが、すべての答えだった。
重い静寂の中で、2人の記憶が一瞬だけ重なり合う。
異なる世界に生きた“同じ悲しみ”が、音もなく交差していた。
***
その瞬間、カイルは言葉にならない違和感を覚えた。
胸の奥で、何かがわずかにずれるような感覚。
「……この世界のアカネは、生きている」
静かな声。
だが、その響きには揺るぎない確信があった。
「そうなると……俺とお前の違いは、“世界線の分岐”にある。
アカネが生きている世界と、死んだ世界。
つまり――俺たちのDNAにも、わずかな差異が生じている可能性がある、ということか」
アリウスの瞳が、かすかに光を帯びる。
口元に浮かんだのは、微笑とも嘲りともつかない歪みだった。
「……ほう。気づいたか。そう、その通りだ」
低く、噛みしめるような声。
「アカネが生きていて、なおかつ俺と同じDNAを持つ
“カイル・アシュフォード”が存在する世界。
それが――この世界だ」
その一言が、氷の刃のようにカイルの背筋を貫いた。
「……待て。お前は、アカネが死んだのが“7年前”だと言ったな。
お前が19の時だとすれば……」
言葉を追うごとに、カイルの声に焦りと理解が混じっていく。
「……つまり、この世界を探し当てるまでに、
お前は7年かけたってことか」
アリウスは、静かに頷いた。
「2578の世界を渡った」
淡々とした口調だった。
「だが、どれも駄目だった。
アカネがいない世界、俺が存在しない世界、DNAが一致しない世界。
中には、マルコムそのものが存在しない世界もあった」
一拍、間を置く。
「――だが、ついに見つけた。
2579番目の世界。
ここだけが、すべての条件を満たしていた」
「……7年も……」
カイルの声が、わずかに震えた。
その瞳には、言葉では言い表せない感情が渦巻いている。
怒り。恐怖。
そして――否応なく滲み出る、哀れみ。
アリウスはゆっくりと歩み寄り、カイルと視線を合わせた。
その瞳にあるのは、狂気ではない。
絶望すら越えた先で固まった、冷え切った確信だった。
「そして、俺は決めた」
静かな声が、重く響く。
「この世界で――お前として生きる。
……アカネと、もう一度寄り添うために」
わずかに、息を吸う。
「前と同じ失敗はしない。
だからこそ――お前に、俺の人格を移植する。
お前を“俺”にして、この世界を生き直す」
最後の言葉は、もはや説明ではなかった。
逃げ場のない、宣告だった。
廃施設の天井に、声が反響する。
それは愛の名を借りた執念。
7年という時間を喰らい尽くした男の、ただ一つの祈り。
だが――
カイルの瞳には、譲れない意志の光が灯り始めていた。
それは紅でも、蒼でもない。
他の誰にも置き換えられない、確かな“自我”の色だった。




