第1部 第14話「ありえない一致」前編
CH1
-住宅街郊外-
CIARからアカネの実家へ向かう道を、カイルはただ1人、早足で進んでいた。
夜の住宅街を抜け、小さな橋のかかる並木通りへ出る。
アカネが、いつも帰りに通る道だ。
だが、そこに人の気配はなかった。
風が木々を揺らし、街灯の明かりが地面に淡い影を落とすだけ。
「……アカネ、どこだ……」
手にした端末には、アカネの発信位置ログが表示されている。
だが、更新は20分前で途切れていた。
位置は、この近辺。
通信が遮断される理由など、考えにくい。
アカネはゴーストの技術顧問であり、CIARの正規職員だ。
単独で、何の連絡もなく姿を消すような人物ではない。
カイルは足を止め、周囲を注意深く見回した。
街灯の下。
古びたベンチの脇に、何かが落ちている。
黒い小型端末――葉の影に紛れるように、転がっていた。
カイルはゆっくりとしゃがみ込み、慎重にそれを拾い上げる。
薄型で無骨なデバイス。
企業ロゴも刻印もなく、どこか“現実に属していない”ような質感だった。
「……何だ、これ」
指先で触れると、表面がわずかに温かい。
電源は入っていないように見える。
だが次の瞬間、握り直した指に微かな抵抗が走った。
「ピッ――」
小さな電子音。
端末の中央を、青白い光が走る。
――指紋認証、通過。
「――声紋認証を開始します。……認証中……完了」
低い電子音声とともに、端末上部から立体映像が立ち上がった。
薄闇の中、青白く輝くホログラム。
空中地図が展開し、その中心に赤いマーカーが灯る。
「郊外の……旧ミラージュ研究施設跡……」
カイルが地図を見上げるより早く、別の音声が流れた。
――アリウスの声。
「この声が聞こえているなら、お前は1人でここに来ているはずだ。
……俺の目的は、お前だ。
……携帯端末は捨ててこい」
その言葉を最後に、端末は淡く光り――音もなく崩れた。
砂のように、カイルの手の中で。
残ったのは、白い灰と、微かな焦げの匂い。
カイルは数秒、その場に立ち尽くした。
夜風が吹き抜け、世界が再び静寂に包まれる。
(……呼び出しか)
握り締めた拳が、わずかに震えた。
それは怒りではない。
――決意だった。
「アカネは……まだ生きてる。奪わせはしない」
カイルは端末の残骸を見下ろし、ゆっくりと立ち上がる。
そして、自身の携帯端末をその場に捨てた。
ホログラムの残光が消えた夜道を、
一歩、また一歩と進んでいく。
その瞳には、
赤いマーカーの残像が、まだ焼き付いていた。
CH2
‐旧ミラージュ研究施設跡-
廃研究施設――そこは、時の止まった箱庭のようだった。
かつて「ミラージュ」の名で知られた巨大研究組織が、一夜にして封鎖され、
そのまま時間の流れから切り離された場所。
鉄骨は錆び、配線は垂れ下がり、風が吹くたびに埃と、忘れ去られた記憶だけが舞い上がる。
カイルは息を殺し、崩れたフェンスを跨いだ。
瓦礫の山を踏みしめ、音のない闇を進む。
足元で砕けたガラス片が、わずかに光を反射した。
人の気配――ある。
だがそれは、生の温度を持つものではない。
まるで、自分の存在を映し返すような、歪んだ波長だった。
背中に冷たい汗が滲む。
何かが、ここで自分を待っている。
壁に背を預け、呼吸を整える。
右手に握ったTSRが、静かに蒼を灯した。
「……来たか」
闇の奥から、低く響く声。
返事のようでもあり、呼びかけのようでもあった。
次の瞬間、足音。
ガラス片が砕け、空気が震える。
姿を現した男――
青年。カイルと同年代、同じ体格、同じ輪郭。
立ち方の癖、肩の張りまで、鏡写しのように似通っている。
間近で見れば、顔立ちも髪の流れも、ぞっとするほど重なっていた。
――だが、表情だけが決定的に違う。
冷たく削ぎ落とされたような無表情。
その手には、紅く発光するTSR。
そして何より、瞳。
光を拒むように沈み、鉛のような悲しみを帯びている。
笑うことを忘れたのではない。
笑う理由を、奪われた目だった。
「……お前、何者だ?」
「……まだ、分からないか」
言葉より先に、空気が軋む。
ふたりの視線がぶつかり合い、敵意と哀しみが絡み合った沈黙が場を支配する。
「アカネはどこだ」
「……無事だ。今はな」
挑発ではない。
事実を淡々と告げる声。
カイルの眼光が、鋭く研ぎ澄まされる。
「目的は何だ。なぜ俺を呼んだ」
アリウスは答えなかった。
代わりに、紅いTSRを逆手に構える。
低く沈んだ姿勢。
獣が跳躍する直前の、張り詰めた静止。
それが――合図だった。
「来い」
刹那、距離が消えた。
一撃目。
重く、速い。
意志そのものを叩きつけるような衝突。
カイルも即座に応じる。
柄と柄が激突し、金属音が爆ぜた。火花が宙を散る。
回転打撃、クロスブロック、肘撃ち。
ふたりの動きは、限りなく似通っている。
だが、その根に流れるものは違っていた。
アリウスの動きに、迷いはない。
命を代償にしてでも貫くという覚悟が、全身に宿っている。
対してカイルのTSRには、理由がある。
誰かを護るための、切実で逃げ場のない力。
「なぜ、お前が俺の動きを知っている?」
「お前の癖くらい、分かるさ」
「……!」
一瞬、カイルの呼吸が詰まる。
アリウスの瞳に、紅い光がわずかに揺らいだ。
次の瞬間、跳躍。
アリウスが両手でTSRを構え、真上から振り下ろす。
「終わらせるつもりはない。……だが、ここで“答え”は始まる」
轟音。
カイルは身を捻り、紙一重で一撃をかわす。
同時に、逆袈裟のカウンターを叩き込んだ。
衝撃。
TSRの柄がアリウスの顎をかすめ、身体がわずかに揺れる。
互いに距離を取る。
通風孔から吹き抜ける風が、鉄骨を震わせる音だけが残った。
アリウスが低く構え直す。
床を滑るような踏み込み。
紅のTSRが地面すれすれに軌跡を描く。
カイルは身体を捻り、再び紙一重でかわした。
その瞬間、アリウスの目がわずかに細まる。
(……癖が、ない?)
自分には右肩の負傷がある。
――あの爆破事件で負った、消えない古傷。
どれほど鍛えても、踏み込みや重心移動に微かな揺れが残るはずだ。
(こいつには……それがない)
刹那の思考。
その隙を、カイルが逃さなかった。
反射的に受け止める。
だがTSRの柄がアリウスの肩をかすめ、火花が散る。
「……いい目をしてる」
アリウスは後退し、静かに構え直した。
紅の光が一段と強まり、闇に脈動のような揺らぎを与える。
(……まさかな)
冷静な表情の奥で、
言葉にならない違和感が芽生え始めていた。
紅と蒼。
ふたつの光が、暗闇の中で静かに呼応する。
そして戦いは――
なお、終わらない。
***
廃工場の空間に、金属と革が打ち合う乾いた音が響いた。
カイルとアリウス、2人のTSRが交錯するたび、
火花が夜の静寂を鋭く切り裂く。
アリウスが突きを放つ。
カイルは一歩退き、柄でそれを弾き返すと、反転して斜めに打ち込んだ。
だがアリウスは身を捻ってかわし、床を蹴って横へ滑り込む。
寸分違わぬ距離感。
反応速度、攻守の切り替え。
互いの動きは、ほとんど鏡をなぞるように重なっていた。
金属の衝突音が、闇の中で何度も反響する。
紅と蒼の光が交差し、互いの輪郭を一瞬ずつ照らし出す。
「……やるな」
カイルが低く息を吐いた。
アリウスは答えず、無言のまま構え直す。
その目は冷たい。だが、その奥にはかすかな焦燥の影が宿っていた。
再び踏み込み。
至近距離での連撃――TSRが空を裂き、肩をかすめ、火花が走る。
アリウスの足払いを、カイルが跳び越える。
即座に背後へ回ろうとした瞬間、アリウスの肘が鋭く牽制に入った。
一瞬の隙も許されない。
金属がぶつかるたび、空気が震える。
汗と火花の匂いが混じり、熱を帯びた呼吸が静寂に溶けていった。
「……お前、誰だ?」
カイルの声は低く、刃のように研ぎ澄まされている。
だがアリウスは答えない。
その瞳にあるのは、ただ――“確かめようとする意志”だけだった。
再び、静寂。
わずかな間合いを挟み、2人は睨み合う。
次の一手が、流れを決める。
そのことを、互いに理解していた。
通風孔を抜ける風の音が、ゆるやかに吹き抜ける。
夜の空気が、重く沈み込んだ。
そして――
2人は、ほぼ同時に動いた。




