第1部 第13話「紅い襲撃者(2)」前編
CH1
-CIAR 4階第2研究室-
夕方。
すべての調査結果が出揃い、第1チームの面々はCIAR第2研究室に集まっていた。
バニングの姿はなく、室内には張り詰めた空気が漂っている。
ニーナが端末を操作し、淡々と口を開いた。
「まず、私が担当していた出生記録の調査から。
カイルの出生地周辺の医療機関を時系列で洗い出し、当時の記録を確認した結果――」
画面に一枚の書類が映し出される。
古い電子署名の残る出生証明書だった。
「26年前、この地域で双子の出生は確認されていない」
スタンリーが眉をひそめる。
「……つまり、襲撃者はカイルの双子じゃない、ってことか」
「現時点では、その結論になるわ」
ニーナは短く頷いた。
沈黙の中、カイルは腕を組んだまま動かない。
その背には、抑えきれない緊張がわずかに滲んでいた。
ドアが開き、エミリーが入室する。
手には一つの端末。
「カイルへの心理評価の結果が出たわ」
全員の視線が一斉に彼女へ向く。
「詳細な問診、睡眠時脳波の測定、記憶断層の確認、心理ストレス評価……
どの項目にも異常は見られなかった。人格の解離を示す反応も検出されていない」
彼女は簡潔に結論を告げた。
「カイルには、解離性同一性障害の傾向は認められない。
――二重人格ではない、というのが私の見解よ」
その言葉に、室内の空気が一瞬、凍りついた。
スタンリーが小さく漏らす。
「じゃあ……誰だよ。
DNAはカイルと同じで、人格も別。双子でもなく、本人でもない。じゃあ……」
誰も答えなかった。
思考だけが、沈黙となって部屋を満たす。
そのとき、ヴィクターが静かに口を開いた。
「……カイル。何か思い当たるフシがあるんじゃないか?
瞬きが、いつもより多い」
その一言で、空気が一気に張り詰める。
ニーナも、スタンリーも、エミリーも、そしてアカネも、視線をカイルへ向けた。
彼はしばらく黙ったまま、床に目を落とす。
やがて、深い吐息を一つ漏らした。
「……実は、前から話そうと思っていたことがある。
でも、頭がおかしくなったと思われるのが怖くて、言い出せなかった」
エミリーが静かに促す。
「言ってみて」
カイルはゆっくりと顔を上げ、アカネを見た。
その瞳には、どこか確信めいた色が宿っている。
「──頭の中で、時々フラッシュバックする。
7年前のCIARの火災事故。
瓦礫の下で、血に染まった白衣が見える。
その中に……アカネがいるんだ。」
アカネが小さく息を呑んだ。
室内の温度が、わずかに下がったように感じられる。
カイルの声は低く、掠れていた。
「そのときの感覚が……現実みたいに鮮明だった。
まるで、誰かの記憶をそのまま覗き込んでいるような――
そんな感覚だった」
沈黙。
エミリーが端末を閉じ、低く呟いた。
「記憶の混線……? でも、医学的には説明がつかないわ」
誰も言葉を継がなかった。
窓の外では、夜の気配がゆっくりと滲み始めている。
その静けさの中で、
アカネだけがカイルを見つめていた。
彼の言葉の奥に、まだ名前のつかない“痛み”が潜んでいるのを感じ取っていた。
カイルは右目の下に指を添えるようにし、低く言葉を続ける。
「……まだ話すことがある。
鏡を見たんだ。少し前、家でシャワーを浴びたあとだったと思う。
タオルで顔を拭いた瞬間、目の奥で光が一瞬、反射した」
彼は短く息を整えた。
「気になって鏡を覗き込んだ。
――肉眼ではほとんど分からない。けど、俺には見えた。
極めて薄い、リング状の反射が……虹彩の内側に」
エミリーが思わず身を乗り出す。
「あなたの目に、虹彩リングが……?」
カイルは頷いた。
「ほんの一瞬だった。でも、そのあと妙な確信が生まれた。
――あれは“誰かの記憶”なんじゃないかって。
もっと言えば、“誰かの人生”が、俺の中に混ざっているような感覚だ」
ニーナが静かに問いかける。
「そのリング、発光だった? それとも反射?」
「……反射に近い。光の当たり方次第で、一瞬だけ見えた」
「つまり、埋め込みや義眼処置ではなさそうね」
ニーナは腕を組み、エミリーの端末を一瞥した。
「でも、虹彩にリング状の構造が映るなんて、通常の生理反応じゃない」
ヴィクターが一歩前に出る。
「つまり……お前自身が“移植された存在”かもしれない、ということか」
その言葉に、室内の空気が揺れた。
アカネだけが、小さくカイルの名を呼ぶ。
「……カイル」
その声に、カイルはわずかに肩を震わせながらも頷いた。
「──最初に“あいつ”に襲われたときのことを思い出した。
いや、もしかすると……もっと前からだ」
視線を落とし、言葉を探すように続ける。
「夢か現実かは分からない。
ただ、あまりにも生々しかった。
拘束されていて、目の前に医療装置みたいなものがあった。
頭には金属の輪を被せられていて……向こう側に、男が立っていた。俺の目を、じっと見ていた」
アカネが息を呑む。
「……その男、って……?」
「顔は見えなかった。逆光で、影になってた。
でも、そのとき装置のディスプレイに“ERROR_112”が表示された。
警告音が鳴って、装置が停止した。
――気づいたら、自分のベッドの上だった。全身が汗で濡れていて、記憶も曖昧で……
夢だと思いたかった。でも、今はもう、分からない」
スタンリーが小さく息を吐く。
「……もしそれが現実だったなら、人格移植の過程で中断された可能性がある。
つまり、お前自身が“書き換えられかけた”……」
ニーナが視線を向ける。
「でも、その痕跡が脳にも記憶領域にも残っていない。
それなら、単なる悪夢や暗示の可能性も否定できないわ」
「……それでも、記憶の断層が存在するのは事実だ」
スタンリーが静かに返した。
ヴィクターは腕を組んだまま、沈黙を守っている。
アカネは視線を落とし、震える声で尋ねた。
「……その男は、何か言ってた?」
カイルは目を閉じ、記憶を辿るようにしてから、小さく頷く。
「……最後に、聞こえた。
“アリウス”――そう名乗った」
アカネが顔を上げる。
「……それが、あの襲撃者の名前」
カイルは静かに頷いた。
「それ以来、胸の奥で何かが動いている感覚がある。
消えないんだ」
長い沈黙が落ちる。
やがてエミリーが、その静寂を断ち切るように言った。
「……カイル。
念のため、眼球の精密検査を行いましょう。
虹彩リングが実在するなら、通常の生体反応ではないはず」
「その場で確認するわ。私も同席する」
ニーナが補足する。
「反射なら、波長解析で材質を割り出せる」
カイルは短く息を吸い、頷いた。
「……わかった」
エミリーが端末を操作し、隣の検査ユニットを起動させる。
白い光が細く伸び、周囲の空気がわずかに震えた。
アカネはそっと視線を逸らし、小さく呟く。
「もしそれが本当に存在するなら……“あなたの中”に、何がいるの……?」
カイルは答えなかった。
ただ、淡く光る装置の中へと、静かに歩みを進めた。
***
薄暗い照明の下、カイルは診察椅子に座っていた。
目元へ微細なセンサー付きスキャナーが近づき、白い光が虹彩を静かに走査する。
エミリーは端末越しにデータを追い、指先を止めた。
「……やっぱり、通常のリングとは微妙に違うわね」
「どういうことだ?」
壁際に立つヴィクターが問う。スタンリーとアカネも、背後のモニターを覗き込んでいた。
エミリーはスキャン結果をいくつかスクロールし、ある一点で画面を拡大する。
「通常、人格移植で生じる虹彩リングは、神経反応と代謝パターンが完全に一致する。
そのため、データから個体識別も可能になるの」
一拍置き、続けた。
「でも──カイルのものは明らかに不完全。
波長が不安定で、境界が薄い。しかも断続的に変調しているわ」
スタンリーが息を呑む。
「つまり……偽造、ってことか?」
「いいえ。正確には“未完成”ね」
エミリーは小さく首を振った。
「むしろ、人格移植そのものが途中で止まった痕跡がある。しかも、この構造……」
彼女は別のスライドを開く。
そこに映し出されたのは、かつて押収された違法人格移植装置――いわゆる粗悪なコピー品の構造図だった。
「違法装置の中には、安価な部品で似た結果を得ようとしたものもある。
でも、そういうものは脳との同調精度が著しく低い。
最悪の場合、人格の“転送”が中途半端に終わる」
「中途半端……?」
カイルが低く呟いた。
「人格が完全に移らなかった場合、元の人格と混在するケースがある。
つまり──“二重人格”や“記憶の混乱”が起こり得るの」




