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I,another  作者: Akatsuki.S
20/23

第1部 第10話「静かな通報(1)」後編

CH4

-CIAR 4階第2研究室-


無菌灯の白い光が、銀色の器具とモニターの縁を淡く浮かび上がらせていた。

アカネとエミリーは並んで立ち、神経波形のグラフを静かに見比べている。


「同調域、少しずれてるわね。転送中の共鳴波、臨界値を超えてる」

「ホスト側の反応遅延じゃない?」

「それもある。……装置が古いのよ。そろそろ新型に換えてほしいところね」


エミリーがタブレットを軽く叩くと、画面上の波形がなだらかに収束した。


ノック音がして、扉が少し開く。

「入るよ」


カイルが顔を覗かせると、エミリーが手を止めて振り向いた。

「お、久しぶり。元気してた?」


「はい。これ、この前のお礼です」


カイルが差し出したのは、街角で評判のプリンだった。

「アカネにも。前に実家でご馳走になったので」


「ありがとう。母さんにも言っとくわ。そういえば、また来てって言ってた」

「ぜひぜひ」

「……少しは遠慮しなさいよ」


アカネが笑うと、エミリーが肩をすくめた。


「ほんと仲いいわね。でも付き合ってないのよね。不思議だわ」

その一言に、2人は同時に視線を逸らす。

カイルがわざとらしく咳払いした。


「……あ、そういえば」


空気を切り替えるように、カイルは表情を整える。

「この前のアレンの件、助かりました。知識の消去、完璧でした」


「人格移植装置、二度目の使用だったでしょう? 正直、危なかったわ」

「はい。もし記憶が崩壊してたら、アレンにも紫苑にも顔向けできなかった」


「そのへんは任せて。人格移植なら、私の専門だから」

「……頼りにしてます」


軽い笑いが交わされ、実験室の空気がわずかに和らぐ。

やがてカイルは腕時計に目を落とし、姿勢を正した。


「本部から呼び出しです。……じゃあ、仕事に戻ります。アカネ、母さんによろしく」

「分かってるけど……私の母さんだからね」


手を振るアカネの笑顔を背に、カイルは扉へ向かう。


その背中に、ふいにエミリーの声がかかった。

「あ。カイル」


「はい、なんですか」


「お仕事、頑張ってね」


「……? はい……」


応じはしたものの、わずかな違和感を胸に残したまま、カイルは研究室を後にした。


扉が閉まると、エミリーは書類をまとめながら立ち上がる。

「さて、私も上層部への報告。少し行ってくるわね」

「うん。私はデータまとめておく」


再び実験音が静かに響き、ガラス越しに光の粒が反射する。

無菌の静けさの中に、ほんのり甘いプリンの香りだけが残っていた。


CH5

-ゴースト本部1階第1チームデスク-


「通報内容は──人格移植の可能性あり、とのことです」


人事局からゴースト本部へ転送された報告書を、スタンリーが淡々と読み上げた。

ディスプレイには、ある女性社員に関する複数の証言が並んでいる。


――話し方がまるで違う。

――いつも結んでいた髪を突然切り、色まで変えた。

――服装が地味になり、笑い方も別人のようだった。


対象はレイチェル・グラント。三十代前半、民間企業の広報担当。

同僚の証言によれば、長期休暇明けを境に、振る舞いが一変したという。


「人格が変わった、と言うほどの証拠には見えないが……」


報告書を繰りながら、カイルが低く言った。


「通報は匿名だ。ただし、人格移植関連は優先的に一次調査を入れる決まりになっている」

バニングが淡々と補足する。

「身体や人格に関わる事案は、放置すれば被害が拡大する。一次で“別人のようだ”という所見が出れば、本格調査に移行する。今回は、その条件に当てはまる」


「最近、心療ケアセンターに通っていた記録もある」


その一言に、ヴィクターが腕を組んだ。

「匂うな。非公認の移植施設……いわゆる“ブラッククリニック”の線がある」


「とはいえ、本人を確認せずに断定はできない」

カイルは冷静に返す。

「虹彩リングの有無も、まだ未確認なんだろ」


「ああ。監視カメラ映像はあるが、解像度が足りない」


スタンリーが映像を切り替える。

受付ロビーの画面に、微笑むレイチェルの姿が映し出された。

短く切った髪。だが、その奥の印象が、どこか噛み合わない。


「……確かに、変わってるな」


カイルは目を細めた。

「立ち姿、視線の置き方、呼吸のリズム……全部、別人のパターンだ」


「人格移植か、あるいは深刻な解離か」

ヴィクターの声は、探索者のそれだった。


「どちらにせよ、直接会わなければ始まらない」


カイルは報告端末を閉じ、椅子から立ち上がる。

「スタンリー、通院記録とクレジット履歴を洗ってくれ。俺たちは現地確認に行く」


「了解。警察の民間協力枠は、すでに通してある」


「なら、即日で動こう」

ヴィクターが短く言った。

「仕込まれた人格なら、時間が経つほど痕跡は薄れる」


カイルは小さく頷き、ホルスターを装着する。

端末の青い表示灯が点滅した。


静まり返った研究棟の空気の中で、

2人の出動準備は、音もなく進んでいった。


CH6

-とある住宅街-


午後のアパート街。

築年数の経った三階建ての集合住宅──その二階の一室を、カイルとヴィクターが訪れていた。


チャイムに応じて扉を開けたのは、黒髪を後ろで束ねた細身の女性だった。

レイチェル・グラント。穏やかな表情の奥に、わずかな警戒が滲んでいる。


「ゴーストの者です。違法人格移植に関する通報があり、その確認に来ました」


ヴィクターがやや硬い声で名乗る。


「……私が、ですか?」


戸口に立ったまま、レイチェルは小さく目を見開いた。


「現時点では、事実確認のための聞き取りです」

カイルが一歩前に出て、声の調子を落とす。

「最近、生活や体調で変わったことはありませんか。記憶や感覚の違和感でも構いません」


「いいえ……特には」

レイチェルは即答した。

「夫と子供と、普通に暮らしています」


その背後で、小さな気配が動いた。

レイチェルの脚の陰から、5歳ほどの男の子がこちらを覗いている。


カイルは視線を下げ、ゆっくりと膝を折った。


「こんにちは。僕はカイル。ねえ──お母さん、最近なにか変わったことあった?」


男の子は首をかしげ、少し考える素振りを見せてから、屈託なく笑った。


「んーん、なにも。

ママはずっと同じだよ。ごはん作ってくれて、絵本読んでくれて、ぎゅってしてくれるの」


飾り気のない言葉だった。

作ろうとした形跡もない、ただの実感。


その瞬間、カイルの胸の奥で芽生えたのは“違和感”ではなかった。

むしろ──過剰なほどの整合。


「……ご協力、ありがとうございました」

ヴィクターが軽く頭を下げる。

「本日は聞き取りのみです。何かありましたら、こちらにご連絡ください」


レイチェルは安堵したように微笑み、扉を閉めた。


小さな手が、最後まで振られていた。


2人は無言のまま階段を下り、アパートの外に出る。

午後の風が、建物の隙間を抜けていった。


「……虹彩リング検査は?」

ヴィクターが低く切り出す。

「この状況なら、簡易検査だけでも──」


カイルは首を振った。


「できない」

即答だった。

「虹彩リングは人格への直接介入だ。

 確証も同意もない段階で踏み込めば、俺たちが越えてはいけない線を越える」


「だが、通報はある。

 そして──子供の証言が、逆に不自然だ」


ヴィクターの視線は、すでに先を見据えていた。


「“変わっていない”と言い切っていた」

カイルが静かに言う。

「作られた言葉じゃない。あれは本音だ」


「人格移植を受けていない、という意味にも取れる」


「……あるいは」

カイルは空を見上げ、言葉を選ぶ。

「移植という“前提”そのものが、間違っている可能性もある」


夕光が灰色の外壁に淡く反射していた。

街の喧騒から切り離されたように、2人の沈黙だけが、その場に残っていた。


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