第1部 第9話「継承と誓い(4)」後編
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紫劉は静かにアレンの前へ歩み寄った。
金色の光を帯びた瞳が、まっすぐに彼を捉える。
「……アレン。妹を頼む」
アレンは一瞬息を詰め、それから深くうなずいた。
「……はい。一生をかけて紫苑を守ります。……兄さん」
その言葉に、紫劉はわずかに目を細める。
「……なんとも、歯痒い」
思わず、笑いが漏れた。
張りつめていた空気が、ようやくほどける。
マリナがふっと笑い、ニーナも肩の力を抜いた。
スタンリーの口元にも、かすかな笑みが浮かぶ。
紫劉は折れた煌刀の柄を拾い上げ、軽く肩に担ぐ。
そして振り返り、声を張った。
「では――カイル!
真に見事な闘いであった!
また、いずれ本気でやり合おうぞ!」
風が吹き抜け、外套が揺れる。
そのまま背を向け、白い霧の向こうへと歩み去っていった。
残された一同は、その背中を黙って見送る。
カイルは額に手を当て、深く息を吐く。
「……もう、勘弁してくれ……」
そのうんざりした声に、今度は誰もが笑った。
夜明けの光がゆっくりと広がり、
長い戦いの終わりを、静かに告げていた。
CH2
-ゴースト本部第1チームデスク-
3日後。
カイルは静かに姿勢を正し、バニングのデスクの前に立っていた。
報告書の束に挟まれた電子タブレットが、室内のわずかな光源となっている。
「――以上が、ナノティラス関連事件の最終報告です。
アレン・ホルムズの知識消去は成功。人格および記憶に異常は確認されていません。
ナノティラス関連データはすべてCIAR封印庫へ移送済み。
現時点で、外部への流出リスクはゼロと判断します」
報告を終えると、短い沈黙が落ちた。
やがて、バニングが椅子の背にもたれ、低く言った。
「……よくやってくれた、カイル。
第1チームの対応で、被害は最小限に抑えられた。
ナノティラスに関するすべてのデータは、CIAR封印庫に移送され、永久封印となった。
あの技術が、再び戦いの道具として使われることはない」
言葉の余韻が、静かな空気の中に溶けていく。
カイルはゆっくりと頷いた。
だが、その瞳の奥には、わずかな迷いの影が残っている。
――本当に、それで終わったのか。
視線の先、デスクの上に置かれた報告書の表紙。
そこに刻まれた文字列が、静かに光を放っていた。
NANOTIRAS PROJECT ― TERMINATED
残されたものは、ただひとつ。
――“生きるための材料”という想い。
それは誰の手にも渡ることなく、
それでも確かに存在した証として、
人々の記憶の奥に、温かな光のように静かに残り続けていた。
CH3
-夕暮れの路地裏-
その日の夕暮れ。
街はゆるやかに色を沈め、空気に一日の余熱を残していた。
カイルは歩きながら、手にした携帯端末に一瞥を向ける。
画面に残る短い文。
「今日はうちで夕食だよ。父さんも母さんも楽しみにしてる。——アカネ」
マルコムも招かれていると聞いた。
久しぶりに、任務から切り離された穏やかな時間が訪れるかもしれない。
そんな予感を胸に、ゴースト本部から駅へ向かう通りを進む。
「……アカネの母さんの煮込み料理、また出るかな」
小さく息を吐くように呟き、口元がわずかに緩む。
遠くに、カフェ《レイライン》の看板が見えた。
今日はそこでアカネと待ち合わせ、並んで彼女の家へ向かう――そのはずだった。
だが、その瞬間。
――空気が、揺れた。
耳元をかすめる、微かな風切り音。
何かが、屋根の上から落ちてくる。
カイルは反射的に身構えた。
次の瞬間、影が音もなく、目の前の路地に降り立つ。
全身をローブで覆い、顔はフードの奥に沈んでいる。
だが、右手に握られたものを見た瞬間、呼吸が止まった。
紅く脈動するTSR。
形状は、自分の“蒼”と寸分違わない同型。
「……お前は、誰だ」
返答はない。
影は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
空気が震え、足元の瓦礫がわずかに転がった。
――殺気。
次の瞬間、紅い光が弾ける。
衝撃音が路地を満たし、金属と金属が激突した。
蒼と紅。
2本のTSRがぶつかり合い、光の弧を描く。
火花が散り、空気が焼けるような音が響いた。
「ぐっ……!」
弾き飛ばされながらも、カイルは即座に体勢を立て直す。
(速い……。それに――)
相手は一歩先を踏み込み、構えを取る。
踏み込み、受け流し、反撃。
その一連の動作が、まるで鏡写しのように一致していた。
(……俺の技だ。いや、それ以上だ)
紅のTSRが振るわれるたび、路面が抉れる。
空気の流れすら読まれているかのようで、わずかな遅れが致命傷になりかねない。
「なぜ……俺と同じTSRを……!」
声は、紅い閃光にかき消された。
回転、跳躍、打撃、そして予測不能な反転。
まるで、“次の自分の動き”を先に知っているかのようだった。
(反応速度も、踏み込みも……完全に一致している……)
恐怖と高揚が同時に込み上げる。
自分の延長線上に立つ存在。
“もう1人の自分”が、そこにいる感覚。
紅のTSRがうなりを上げた、その瞬間。
脳裏に、ふと一つの言葉がよみがえった。
――「この世界で“完全試作型”が現存しているのは、それ一振りだけだ」
ロイクの声。
ならば、目の前の“紅”は、何なのか。
そのとき――
「カイル!? 大丈夫!?」
アカネの声が響いた。
振り向いた、その一瞬。
紅い光が、ふっと消える。
ローブの男の瞳に、“迷い”のような影が揺れる。
そして、跳躍。
紅い残光を残し、闇の中へと溶けるように消えた。
残されたのは、焦げたアスファルトと、
蒼く脈打つTSRの残光だけ。
「……今のは……」
駆け寄るアカネの気配を背に、
カイルはTSRを下ろし、荒い呼吸のまま空を仰いだ。
「俺と……同じ動きだった。
まるで、俺自身が襲ってきたみたいに……」
風が、ひときわ冷たくなる。
胸の奥で、得体の知れない不安が、静かに形を取り始めていた。




