第1部 第9話「継承と誓い(4)」前編
CH1
-セーフハウス前-
アレンが一歩、前へ出た。
「待ってくれ! それはおかしいだろう!
シオンが忍者を手引きしたなら、どうしてあの時、カイルを助けたんだ!」
カイルは視線を逸らさず、静かに答えた。
「……その点が、唯一の矛盾だ。
だが状況を積み上げると、シオン以外に該当者がいない」
「なぜだ!」
アレンの声が荒れる。
カイルは一度、呼吸を整えた。
「落ち着いて聞いてくれ。
――あのセーフハウスは、各客室の空調が同一ライン上で繋がっている。
メンテナンス用のアクセスパネルを通れば、隣室へ移動できる構造だ。
小柄な体格なら、通行は不可能じゃない。マリナから確認した」
マリナが小さく息を呑む。
「……確かに。緊急時に開放できる設計よ。
でも、内部構造を把握していなければ使えない」
カイルは頷いた。
「そうだ。シオンはCIARの外部委託部門所属。
施設設備に精通していても不思議じゃない。
アレンの客室のシャワールームからアクセスパネルに入り、
隣の客室へ移動。そこから廊下へ出た。
その部屋のドアは、俺の立ち位置から完全な死角だった」
ニーナの表情が強張る。
「……じゃあ……」
「そのまま階段を下り、裏口で警戒していたダリルの背後を取った。
後頭部を打撃して気絶させ、内部からロックを解除。
あとは、紫劉を招き入れるだけだ。
時間指定は――事前に共有していたはずだ」
マリナが口元を押さえ、スタンリーが小さく息を吸う。
場の空気が、一気に重く沈んだ。
アレンが叫ぶ。
「それでもだ! それでも、シオンはカイルを助けたじゃないか!」
カイルは、静かにアレンを見据えた。
「だからこそだ。
あの時の“投げ方”が、異様だった。
芯が一切ぶれていない。正確に、紫劉の側頭部を捉えていた。
――反射的な行動じゃない。訓練された動きだ」
アレンの表情が、凍りつく。
「加えて、紫劉はその直後に撤退した。
俺とシオンを見て、一瞬だけ迷いを見せた。
想定外の事態が起きたんだ。
――手引きした本人が、計画を乱した。
そう考えれば、すべて辻褄が合う」
沈黙が落ちる。
マリナとニーナが、ゆっくりと頷いた。
スタンリーは何も言わず、視線を伏せる。
アレンだけが、信じられないという顔でシオンを見つめていた。
「……違うんだろ? シオン」
返事はない。
唇がわずかに震え、視線が地面へ落ちる。
「……シオン?」
アレンの声が、かすれた。
長い沈黙ののち、彼女は顔を上げた。
その瞳にあったのは、涙ではない。
覚悟の色だった。
「……そうよ。
紫劉を手引きしたのは、私」
誰も、動けなかった。
シオンは、ゆっくりと言葉を継ぐ。
「――私の本当の名前は、東雲紫苑。
東雲紫劉の……妹よ」
風が吹き抜け、地面に転がる煌刀の破片がかすかに光る。
その乾いた音が、覆い隠されていた真実の重さを、はっきりと告げていた。
***
「……嘘だろ?」
アレンの声は、かすれていた。
紫苑は静かに首を振る。
「本当よ。
私たちは、ナノティラスの技術を持ち出したマーカスを追っていた。
十数年――長い時間をかけて、ようやく彼の居場所に辿り着いたの」
声に感情の起伏はない。
ただ、積み重ねられた年月の重みだけが、淡く滲んでいた。
「だから、あなたに近づいた。
マーカスの弟子として研究に関わっていたあなたのそばにいれば、
技術の行方を掴めると思ったから」
「……そんな……」
アレンは視線を落とし、それ以上言葉を続けられなかった。
カイル、ニーナ、スタンリー、マリナ。
誰も口を開かない。
その沈黙の中で、かすかにヴィクターが呻き、意識を取り戻す気配がした。
紫苑は、淡々と語り続ける。
「でも、マーカスはすでに寿命が尽きかけていた。
それでも彼が、ナノティラスを“医療のため”だけに使っていたと知って……
私は、正直ほっとしたの」
一瞬、紫苑の瞳が揺れた。
「彼が寿命を迎えれば、技術はそこで終わる。
そう思っていた」
だが、その視線が、再びアレンを捉える。
「……それなのに、あなたが知識を継承した。
一族の誓いでは、ナノティラスの知識を外部へ、
特に軍事へ繋がる可能性のある場所に残すことは、決して許されない。
だから――あなたを、排除するしかなかった」
アレンは顔を上げた。
瞳に、抑えきれない涙が滲む。
「……シオン……」
紫苑は強く目を閉じ、声をわずかに震わせた。
「でも……できなかった。
あなたは、あまりにも優しくて、真っ直ぐで……
一緒にいると、世界が少しだけ、明るく見えた」
ゆっくりと、言葉を選ぶように続ける。
「だから、カイルを助けた。
あの時、もしカイルが倒れていたら……
次は、間違いなくあなたが殺されていたから」
沈黙が落ちる。
風が吹き抜け、折れた煌刀の欠片が、乾いた音を立てて転がった。
誰も言葉を発せなかった。
ただ、紫苑の告白だけが、
戦いの終わった空間に、静かに沈み込んでいった。
***
アレンは黙って紫苑を見つめていた。
しばらくの沈黙のあと、静かに息を吐く。
「……シオン」
掠れた声で呟き、視線を落とす。
そして顔を上げ、カイルへ向き直った。
「カイル、頼みがある」
「……なんだ」
「僕のナノティラスの知識を――消してくれないか」
空気が、一瞬で張りつめた。
カイルの眉がわずかに動く。
「……正気か。人格移植は原則一度きりだ。
今回は“知識”だが、脳への負担は変わらない。
二度目は、記憶喪失や人格崩壊の危険がある」
アレンは迷いなく言った。
「構わない。
シオンと一緒にいられるなら、ナノティラスの知識なんて要らない」
沈黙。
カイルは短く息を吐き、ふと背後へ視線を投げた。
「……だとよ、紫劉。
そろそろ狸寝入りはやめてくれ」
低い笑い声が返る。
「……気づいていたか」
拘束具が金属音を立てて外れ、
紫劉がゆっくりと身を起こした。
一同が身構える。
ヴィクターが即座に構え、マリナも武器に手をかける。
だが、カイルが手を上げて制した。
「いい。……話を聞くつもりだ」
紫劉は立ち上がり、折れた煌刀を見下ろす。
「……見事な腕だった、カイル・アシュフォード」
カイルは淡々と問う。
「ナノティラスの知識がアレンから消えれば――
もう、命を狙う理由はないな?」
紫劉は短く目を閉じ、うなずいた。
「……ああ。狙わぬ。
我らが恐れるのは、ナノティラスの軍事転用だ。
それが戦に使われれば、世界の均衡は崩れる。
だが――命を救うための技術なら、長も異を唱えまい」
「……確認する」
カイルの声は低い。
「本当に、アレンの命は狙わないな?」
「誓って狙わぬ。武士に二言はない」
一同は安堵した。
アレンが小さく呟く。
「……マーカスも、分かっていたのかもしれない。
軍事転用の危険性を。
だから、医療以外では使わなかった」
紫劉はわずかに目を細めた。
「……その可能性は、我らも考えていた。
だが、今となっては確かめようもない」
紫苑が一歩前に出て、兄を見上げる。
「本当にいいの? 兄さん。
私は一族を抜けて、この人と生きるのよ?」
紫劉はしばらく黙って妹を見つめていた。
「……一族を抜けるのは、容易ではない」
「……そう、よね……」
紫苑の声に、わずかな悲しみが滲む。
だが、紫劉は静かに微笑んだ。
「だから――一生をかけて、アレンを見張れ。
技術を外部へ漏らさぬよう、傍にいろ」
紫苑が目を瞬かせる。
「それって……」
紫劉の笑みが、ほんの少し柔らかくなる。
「我々も鬼ではない。
……それに、俺も妹の幸せを願っている」
その言葉に、空気がゆっくりとほどけた。
紫苑は涙をこぼし、唇を噛みながら小さくうなずく。
カイルが息を吐き、苦笑する。
「……ほんと、素直じゃねぇな」
紫劉の口元がわずかに緩んだ。
「武人とは、そういうものだ」
霧の向こうで、朝日がゆっくりと昇っていく。
その光が3人を照らし、長い夜の終わりを告げていた。




