第1部 第8話「継承と誓い(3)」後編
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カイルは紫劉の身体を仰向けにし、拘束具を手際よく装着した。
巨体がわずかに痙攣するが、意識は完全に失われている。
その顔には、死闘の果てに訪れたような、かすかな静けさが浮かんでいた。
霧の中に、ようやく静寂が戻る。
セーフハウスの方角から、複数の足音が近づいてきた。
金属を踏む硬質な音。小走りで駆け寄る気配だ。
「カイル!」
最初に声を上げたのはニーナだった。
その瞳は真っ先にカイルの無事を確かめている。
少し遅れて、スタンリーが姿を見せた。
携行端末を片手に、息を整えながら周囲を見回す。
「……こいつが、侵入者か」
淡々とした声の奥に、抑えきれない緊張が滲む。
端末のスキャナを向け、拘束された男の生体反応を確認した。
さらにマリナが歩調を速めてやって来た。
右腕には簡易的な包帯が巻かれている。
「まったく……とんでもない相手だね。
これがもう1人いたら、拠点が吹き飛んでたよ」
冗談めかした口調だったが、声にははっきりと疲労が混じっていた。
カイルは3人を見渡し、短く頷く。
「全員、無事か」
「どうにかね」ニーナが息を吐く。
「救護車はもう手配した。搬送班が来るまで15分」
スタンリーが淡々と続けた。
「周囲の霧は自然現象だ。ただし、残留熱源反応がある……あの刀だな」
マリナは折れた金色の刃に視線を落とし、眉をひそめる。
「折れてる……カイル、どうやったの?」
彼はわずかに肩をすくめた。
「長くなる。後で説明する」
短い沈黙が流れる。
戦場の匂いの中で、ようやく誰もが、戦いが終わったことを実感し始めていた。
輸送車のドアを開け、カイルはアレンとシオンを外へ促す。
「もう大丈夫だ。脅威は排除した」
2人は足を踏み出し――目の前の光景に息を呑む。
「……まさか、こいつが……」
「そうだ。例の忍者だ」
シオンの瞳が、一瞬だけ揺れた。
何か言いかけたように唇が動くが、すぐに閉じられる。
驚きとも、懐かしさともつかない微妙な表情。
その変化を、カイルは見逃さなかった。
(……今の反応は……?)
問いは、胸の奥に押し戻した。
沈黙の中、折れた煌刀が朝の光を鈍く反射する。
金色の刃は根元から割れ、内部の層構造が露わになっていた。
「……これを、どうやって折ったんだ?」
アレンの声は、わずかに震えている。
カイルは欠けたTSRを見下ろしながら答えた。
「刀の斬撃をTSRでいなしたとき、火花が散っていた。
その瞬間に思い出した。ナノティラスは局所的な熱衝撃に弱い」
「同じ場所だけを何度も受け流した。
火花を散らしながら、同一点を熱で傷め続けた。
……10回目あたりで、限界が来たんだと思う」
アレンはゆっくりと頷く。
「簡単に言うけど、それは相当難しい。
動きながら同じ箇所を狙い続けるなんて、並の集中力じゃ無理だ。
カイルの戦闘センスと、TSRを信じ切ってなきゃできない」
カイルは苦く笑った。
「賭けに近かった。……本当に、ギリギリだ」
その言葉に、背後から聞き慣れた声が返る。
「ギリギリで勝てるなら、十分だよ、カイル」
振り返ると、ニーナが立っていた。
隣でスタンリーが眼鏡の奥から視線を向ける。
「数値的にも異常だ。
戦闘データの加速度ログが……人間の限界を超えている」
冷静な口調の奥に、わずかな驚嘆が滲んでいた。
マリナが腕を組み、深く息をつく。
「やっぱり、あんたはただの現場屋じゃないね。
経験と勘だけじゃない。
頭も切れるし、運も持ってる」
カイルは肩をすくめる。
「運があったのは確かだ。
どっちに転んでも、おかしくなかった」
ニーナが小さく笑った。
「でも転ばなかった。それで十分」
その一言に、誰もが小さく頷いた。
遠くで、救護車両のサイレンがかすかに鳴り始める。
霧が晴れ、淡い朝の光が差し込んできた。
その光の中で、カイルはもう一度、シオンの横顔を見た。
彼女の瞳の奥には、言葉にならない影が、静かに沈んでいた。
***
マリナが肩を回し、深く息を吐いた。
「さて……今回の件は一段落、だね。
かなり際どかったけど、防衛目標は無事だった」
カイルは視線を落としたまま、しばらく黙っていた。
やがて、低く、絞り出すように口を開く。
「……いや。まだ終わっていない」
一同の動きが止まった。
その声には、揺るぎのない確信が滲んでいた。
「昨晩、セーフハウスで――
奴を中に招き入れた“内通者”がいる」
空気が凍りつく。
スタンリーが端末を握りしめ、眉をひそめた。
「……確かに、外部侵入の痕跡はなかった。
内部から解錠された形跡がある」
カイルは一度、深く息を吸う。
そして顔を上げた。
その視線は、迷いなくシオンを捉えていた。
「率直に言う。
昨晩、奴を手引きした内通者は――
あなたですよね、シオン」
言葉が落ちた瞬間、場の温度が一段階下がった。
マリナが息を呑む。
「……何、言ってるんだ?」
ニーナが思わず一歩踏み出す。
「待って……そんなはずない。
シオンさんが、内通者だなんて――」
スタンリーは言葉を失い、
視線だけがカイルとシオンの間を行き来していた。
シオンは何も言わず、俯いたままだった。
肩が、わずかに震えている。
沈黙が長く伸びる。
遠くで鳴るサイレンの音だけが、かすかに耳に届いた。
やがて――
シオンはゆっくりと顔を上げた。
微笑とも呼べない、かすかな表情が唇の端に浮かぶ。
「……どうして、そう思ったの?」
声は震えていない。
怒りもない。
ただ静かで、どこか諦めを帯びていた。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
風が吹き抜け、折れた煌刀の刃先が淡く光を返す。
その冷たい光の中で、
伏せられていた真実が――ようやく、輪郭を持ち始めていた。




