第1部 第7話「継承と誓い(2)」後編
カイルは低く息を吐く。
「……お前、何者だ」
その問いに、影がわずかに動いた。
赤い灯の下、双刃がゆっくりと交差する。
そして、初めて声が返った。
低く、掠れた声。
「――我が名は、東雲紫劉」
名が放たれた瞬間、ホールの空気がわずかに震えた。
紫劉の刃がわずかに下がる。
殺意は消えない。だが、語るべきものがそこにあった。
「……東雲?」
カイルが息を整え、問い返す。
紫劉は双刃を交差させたまま、静かに言う。
「古き誓いの名だ。
我ら東雲一族は、ひとつの技を守り続けてきた。
“ナノティラス”――
その粒界に宿る理を、血と誓いで継いできた一族だ」
双刃の金が、わずかに光を返す。
非常灯の赤が、刃に刻まれた紋様を淡く浮かび上がらせた。
「ナノティラスは、創ることを許されぬ。
それは力を生み、同時に人を滅ぼす。
硬さと靭性を併せ持つそれは、神の素材と呼ばれた。
ゆえに我らは、それを封じ、伝えることのみを許された」
紫劉の声は淡々としている。
だが、その一語一語には、血に刻まれた規律の重みが滲んでいた。
「我らの祖は、それを兵に用いた者を斬った。
そして誓いを立てた――
“この力を再び世に解き放つことなかれ”と」
一拍の沈黙。
紫劉は双刃を掲げる。
黄金の光が、赤い闇の中で脈打つように揺れた。
「この黄金の煌刀――
これこそが、ナノティラスの真の姿。
一族の誓いを破る者を抹殺するためにのみ、
持ち出すことを許された刃だ」
カイルは目を細める。
「……それを“守り”と呼ぶのか」
「誓いとは、血より重い」
鋼を擦るような低い声。
「それを護るためなら、我が命もまた代償としよう」
カイルの握るTSRに、力がこもる。
「……その誓いのせいで、誰かが未来を失うなら。
それは、俺が止める」
紫劉の視線が、わずかに揺れた。
次の瞬間、空気が爆ぜる。
双刃が閃き、火花が散った。
誓いと義が激突し、金属音が夜を切り裂いた。
***
金属の火花が散り、衝撃がホールを震わせた。
紫劉がTSRを受け止め、反転した刃が横薙ぎに走る。
カイルは半歩引くが、胸を掠められる。
鈍い衝撃が胸骨を打ち、身体が後方へ跳ねた。
背中から床へ叩きつけられ、息が潰れる。
「……ぐっ……!」
視界が揺れる。
紫劉は間を置かず、階段へ踏み出した。
一直線に、2階へ向かう。
アレンの客室へ通じる階段だ。
(やはり、狙いは上……!)
「させるかよ!」
カイルは床を蹴り、痛みを押し殺して立ち上がる。
肺が軋むが、足は止めない。
紫劉が3段飛ばしで駆け上がる。
カイルは背後から踏み込み、TSRを振り下ろす。
振り向きざま、煌刀の双刃が交差する。
カイルは咄嗟にTSRを盾にして受け止めた。
金属音が弾け、火花が視界を裂く。
衝撃が腕を貫き、骨まで痺れた。
踏みとどまる。
だが、感触が違う。
視線を落とす。
TSRに、小さな欠けが走っていた。
「……嘘だろ。TSRが……欠けた……?」
非常灯の赤を、金色の双刃が鈍く返す。
(硬度が上……TSRを上回る……!)
その刹那。
2階廊下の奥で、客室の扉が開く。
白い光の中、シオンが顔を出した。
「カイルさん、何が――」
「開けるなッ!」
叫びと同時に、視線が逸れる。
紫劉の重心が沈む。
煌刀が一直線に閃き、心臓を狙う。
間に合わない、と認識した瞬間――
乾いた衝撃音が、廊下に響いた。
ペットボトルが、紫劉の側頭部に直撃する。
水が弾け、冷たい飛沫が宙を切った。
一瞬、紫劉の動きが止まる。
顔は動かない。
だが、その瞳の奥で、微かな揺らぎが走った。
次の瞬間、彼は一歩退いた。
そこにあったのは動揺ではなく、“判断”。
静かに刃を引き、短く息を吐く。
戦況を再計算するように、カイルとシオンを一度だけ見据えた。
(……退いた? なぜ――)
考えるより早く、紫劉は身を翻した。
ホールを駆け下り、裏口へ。
風が動き、足音は残らない。
開け放たれた鉄扉の向こうで、夜気が渦を巻く。
黒い影はそこに溶け込み、まるで最初から存在しなかったかのように消えた。
残されたのは、散乱した破片と、床に転がるペットボトルだけ。
カイルは荒い呼吸を整えながら、
TSRを握ったまま、客室のドアへ振り向いた。
「……シオン、無事か」
シオンは頷いたが、表情は強張っている。
震える手でアレンを庇いながら、声を絞り出した。
「だ、大丈夫……。カイルさん、あの人はいったい……?」
カイルは息を吐き、裏口の闇を振り返る。
「……わからない。だが、あの動き……完全に戦士のそれだ」
短い沈黙。
廊下に夜風が吹き込み、床に散った水滴が揺れた。
そのとき、カイルの脳裏に、微かな違和感が残る。
――あの投げ方。
無駄がなく、正確すぎる。
普通の人間なら、あんな角度では投げられない。
(……気のせいか)
そう呟き、視線を落とす。
足元のTSRは、欠けたまま鈍く光を返していた。
***
階段を駆け下りた瞬間、
焦げついたような金属臭が鼻を刺した。
床には削り取られた痕跡が残り、壁面には深い裂け目が走っている。
明らかに、人と人が衝突した痕だった。
「マリナ!」
カイルは声を張り、倒れている影へ駆け寄る。
マリナは壁際にもたれかかるように崩れ、意識は朦朧としていた。
防弾ベストは裂け、左腕から血が滲んでいる。
脈はある――浅いが、確かだ。
すぐ隣では、ルーカスが床に伏せていた。
分厚い胸板が、ゆっくりと上下している。
銃は弾き飛ばされ、床の上に転がっていた。
カイルはポーチから医療キットを引き抜き、
圧迫止血と気道の確保を、無駄のない動きで済ませる。
「……意識はないが、命に別状はない。外傷性ショックだ」
誰に向けた言葉でもない。
ただ、自分に言い聞かせるように呟いた。
廊下の奥、裏口付近でダリルを見つける。
後頭部に裂傷。倒れた際、金属の角に打ちつけたのだろう。
呼吸も脈拍も安定している。
カイルは無線を取り、低く呼びかけた。
「こちらアシュフォード。第2チーム三名を確認。全員生存。意識は混濁。救護を要請する」
雑音が走り、わずかに間を置いて応答が返る。
バニングの声だった。
『了解した。詳細を報告しろ。侵入経路は?』
「裏口です。セキュリティは……破られていました。
外部からの強行痕は確認できますが、手口は不明です」
『……了解。続けろ』
「侵入者は一名。高い身体能力を有し、TSRを破壊しかける金属刃を使用。
名は“東雲 紫劉”と名乗りました」
『……東雲? 聞いたことがないな』
「正体は不明です。すでに退却しました。
目的はアレン・ホルムズ。
“ナノティラス”の知識を継いだ彼を抹殺する意図は明白でした」
『なるほど……人格移植で受け継がれた技術を消すため、か』
カイルは頷き、欠けたTSRを見下ろす。
「はい。紫劉は殺しを避けていました。
マリナたちは戦闘不能にしただけです。……ただし、私だけは明確に排除対象でした」
『護衛であり、最大の障壁だと判断したんだろう』
「ええ。動きに迷いがなかった。
任務そのものが……まるで儀式のようでした」
バニングが低く唸る。
『……状況は把握した。第1チーム全員を招集する。
お前はアレンとシオンを連れて、近隣のセーフハウスへ再避難しろ。
第2チームには医療班を向かわせる。
……第5チームは別任務中だ。応援は不可能だ』
「了解しました。移動ルートは?」
『ルートE-23を推奨する。外部監視網はこちらで一時的に閉じる。
……気をつけろ、カイル。敵はまだ近くにいる』
通信が途切れ、無線機の赤いランプが静かに消えた。
カイルは周囲を見渡し、深く息を吐く。
散乱した破片の中に、かすかな光を放つものが落ちていた。
拾い上げると、それは金色の微粒。
TSRに残る摩耗痕と、酷似している。
(……コーティングの欠片。
あの金色の刃――“ナノティラス”の表層か)
金属片は、指先に微かな熱を残していた。
ほんの数秒前まで、異常な応力がそこを走っていた証だ。
カイルはそれを指の間で転がし、
静かに呟いた。
「ナノティラス……ただの素材じゃないな」




