第1部 第7話「継承と誓い(2)」前編
CH1
-路地裏-
夜の街。
割れたガラスの破片が街灯の光を受け、足元で瞬いていた。
カイルは壁に背を預け、呼吸を整えながら無線機を耳に当てる。
「こちら第1チーム、カイル・アシュフォード。
CIAR前で正体不明の襲撃を受けました。
標的はアレン・ホルムズで間違いありません」
短い雑音のあと、
低く落ち着いた声が返ってきた。
「負傷者は?」
「軽傷です。
アレン本人と婚約者のシオン・グレイ、双方の無事を確認しました」
「襲撃者の特徴は?」
「……忍者のような装束でした。
全身黒で、体格は私より一回り以上大きい。
両手に金色の小刀を2本。
振るうたびに異常な火花を散らしていました。
ただの人間とは思えません」
無線の向こうで、わずかな沈黙が落ちる。
次に返ってきた声は、いつもより硬かった。
「金色の小刀……了解した。
婚約者も狙われる可能性を考慮する。
アレンとその婚約者を近隣のセーフハウスへ誘導しろ。
第2チームに迎えを出す。
お前は護衛兼監視として同行しろ」
「了解しました」
「カイル。油断するな。
そいつは、もう一度来る」
「……承知しています」
通信が切れた。
カイルは無線を下ろし、夜空を見上げる。
雲の切れ間から、わずかに月がのぞいていた。
その光を受け、地面のコンクリートに残る浅い切り跡が、金色に浮かび上がる。
「忍者、か……。
まさかこの時代に、そんな言葉を口にすることになるとはな」
小さく息を吐き、カイルはTSRの柄を握り直した。
薄い金属音が、夜気の中に静かに沈んでいった。
CH2
-ゴーストのセーフハウス-
夜気の冷えがまだ路地に残る中、
セーフハウスの鋼製の扉が静かに閉じた。
内部は簡素だが、造りは堅牢だった。
白い照明の下、監視カメラの赤いランプが一定のリズムで点滅している。
金属の匂いに、わずかな消毒液の匂いが混じっていた。
扉の向こうには、すでに2人の影が待っていた。
黒い戦闘装備に身を包んだ女性――マリナ・ハンターが腕を組み、にこやかにこちらを見下ろしている。
その笑みには、戦場慣れした余裕と親しみが同居していた。
隣には、大柄で筋肉質の男、ルーカス・ヴェイン。
寡黙だが、その目は穏やかで、隙がない。
さらに背後の薄暗がりでは、細身のダリル・コナーが端末を操作しながら、裏口の監視を続けていた。
マリナは肩越しにカイルを見て、気さくに声をかける。
「やあ、あんたがカイルか。ご苦労さん。
今夜の防衛標的は、この2人ってわけだね?」
カイルは短く敬礼するように会釈した。
「はい。アレンとシオンをここへ誘導しました。報告は済ませています」
マリナはにやりと笑う。
「任せな。ここにいれば、とりあえず安全だ」
顎で周囲を示しながら続ける。
「正面は私。隣の通路はルーカスがカバー。
裏口はダリルが抑える。
3人いれば十分さ。心配するな」
ルーカスが短く手を挙げ、低い声で補足した。
「長居はさせない。
外部と繋がる回線は最小限だ。
侵入経路も限られている」
マリナは頷き、さらに続ける。
「出入口は二つ。
正面は私とルーカス、裏口はダリル。
外からは生体認証でしか開かない仕組みだ。
ハッキング? 無理無理。
三重の防壁で、外部アクセスは完全に遮断してる」
アレンがほっと息をつき、
シオンは安堵の笑みを浮かべた。
「それなら安心ね。本当にありがとう。
今日はここで休ませてもらえる?」
マリナは軽く会釈し、簡潔に返す。
「2階の客室を使って。
食事も湯も用意する。
カイル、あんたは客室前で待機だ」
言葉は命令調だったが、声の端には姉御肌の温かさが滲んでいた。
カイルは淡々と頷く。
「承知しました。配置につきます」
ダリルが無線越しに小さく合図し、
ルーカスは正面扉の影へ移動する。
マリナは一瞬だけカイルの肩に手を置いた。
「無理すんなよ」
その一言を残し、彼女は居住区へと戻っていった。
灯りが遠ざかり、セーフハウスの空気が静まり返る。
カイルは客室前に立ち、TSRの柄を指先で確かめながら、深く息を吸った。
外の闇は、まだ深い。
だが今は、守るべき人がいて、共に立つ仲間がいる。
カイルは短く頷き、夜の警戒へと意識を集中させた。
***
夜が深く沈んでいた。
セーフハウスの内部は息を潜めたように静まり返り、
空調の低い唸りと、機器の電子音だけがかすかに響いている。
カイルは客室の前で待機していた。
背後の扉の向こうから、
アレンとシオンの声がときおり漏れ聞こえてくる。
緊張の余韻を含んだ、抑えた穏やかさ。
廊下では監視モニターの微光が淡く揺れ、
映し出される外周映像に変化はない。
静寂が続いていた。
カイルは無線に口を寄せる。
「こちら第1区画、異常なし」
マリナの落ち着いた声が返ってくる。
「了解。こちらも同じ。……静かすぎて、逆に落ち着かないわね」
通信が切れ、再び静けさが戻った。
そのとき、客室の中からシオンの声が聞こえた。
「少し汗を流してくるわ。すぐ戻るから」
アレンの返事は、わずかに間を置いて返る。
「……うん。無理するな」
バスルームの扉が閉まる音。
それきり、室内は静かになった。
カイルは廊下の奥へ視線を送り、
無意識に呼吸を整える。
(……問題ない。内部にいる限り、侵入は――)
しかし――数分後。
足元を抜けるような冷たい風が、かすかに頬を撫でた。
空気が、どこかおかしい。
音のない場所で、何かが動いている気配。
カイルは視線を上げ、腰のTSRに指を掛けた。
同時刻、裏口の警備コーナー。
モニターを見つめていたダリルが、眉をひそめる。
「……センサーが、一瞬?」
映像が一度だけ揺らいだ。
画面の隅で、照明の反射が歪み、
まるで“空気の層”がずれたように見えた。
立ち上がり、通路を曲がった――その刹那。
乾いた音が響く。
誰かが木槌を軽く打ち付けたような、短い衝撃音。
ダリルの身体が崩れ落ち、無線機が床を滑っていった。
赤い通信灯が点滅したまま、止まる。
崩れたダリルの横を、影が1つ横切った。
裏口のロックパネルが青く発光する。
“ACCESS GRANTED”――
低い電子音が、誰もいないはずの通路に響いた。
ゆっくりと、金属扉が開く。
夜気が流れ込み、
その風の中から、黒い影がひとつ現れた。
大柄な男。
全身を覆う漆黒の装束。
両手には、金色の双刃が淡く光を返している。
音もなく、一歩を踏み出す。
その動きは、まるで風そのものだった。
影は廊下に溶け、
灯りの届かぬ先へと消えていく。
誰も、その名を知らない。
だが確かに――
“何か”が、すでにここへ入り込んでいた。
無線に雑音が混じる。
カイルは、その違和感を逃さなかった。
「……マリナ?」
返事は、なかった。
***
――空気が裂けた。
階下からの衝突音が、廊下の床を震わせる。
金属が弾け、何かが砕ける音。
カイルは即座にTSRを引き抜き、階段を駆け下りた。
一階のホールは、非常灯の赤に染まっていた。
壁には深い斬撃痕。床には散乱した破片と、
倒れ伏すマリナとルーカスの姿がある。
「……マリナ! ルーカス!」
返事はない。
だが、どちらも微かに胸が上下している。――生きている。
その安堵は、次の瞬間に断ち切られた。
低い風音。
視界の端で、空気がわずかに歪む。
――そこに、いた。
黒装束。
大柄な体躯。
両手に握られた双刃が、非常灯の赤を鈍く返している。
(……あのときの奴か)
カイルは即座にTSRを構えた。
影が、一歩、前へ出る。
足音はない。ただ風だけが、頬を撫でた。
「誰だ……お前」
答えはない。
次の瞬間、双刃が閃いた。
金属がぶつかり、火花が散る。
TSRが軋むほどの衝撃。
両腕に伝わる重さは、常人のものではなかった。
連撃。
切っ先が風を裂く。
カイルは受け流しに徹するが、一撃ごとの威力が壁をえぐる。
(重い……。ただの暗殺者じゃない)
体勢を崩されながらも、わずかな間を突いて距離を取る。
呼吸が荒れ、汗が首筋を伝った。
侵入者は言葉を発することなく、刃を構え直す。
その姿勢は、どこか儀式めいて整然としていた。
沈黙が落ちる。
響くのは、互いの呼吸だけ。




