07 足止
道の片側に灌木が続き、その反対側には溝が寄り添っている。臧洪は手綱をわずかに緩め、馬の呼吸に己の息を合わせた。行き交う流民は目を合わせず通り過ぎ、薪を負う男は腰を屈めて礼をする。
「伯安殿に文を届けたとて、すぐに世が変わるというわけではなかろうが、道の初めは示されよう」
「子源が進むかぎり、並ぶ者は必ず出ますよ」
程恭の言葉に臧洪はうなずいた。視線を上げれば遠くに鳥が二羽、川を横切るように渡っている。
やがて道が上りに差しかかると、馬は首を下げた。臧洪は手綱を撫で、ひと呼吸ごとに力を抜いてやる。坂を上り切ると、大地は再び平になり、視界が開けた。遠くに木々が連なり、その先に屋根がいくつか見える。
川にかかった小橋を渡ると、小さな亭があった。井戸の脇に桶が置かれている。亭に声を掛けると、人の好さそうな亭長が出てきて、桶に水を入れて差し出した。臧洪は馬の顔に水を寄せ、自身も掌に水をすくって喉を潤す。それから塩の粒を指でつまんで、馬の舌へ落とした。
束の間の休息を終えて亭を出ると、水音が背に遠のいていく。道は北へと伸び、やがて風に戦の匂いが混じりはじめる。それは、前方の様相が変わる合図であった。二人は目を見合わせ、拍を乱さぬまま手綱を絞る。
遠見の土壇に上ると、砂煙が幾筋も立っていた。砂の根元は見えぬが、煙の立ち方で、ただ事でないことは知れた。臧洪は馬の首を軽く抑え、程恭は目を眇める。土壇の陰で、行きずりの行商が背負子を降ろし、額の汗を拭っていた。
「この先に大軍が陣を敷いているそうです」
行商はそう言って、肩の紐を握り直す。臧洪は礼を言い、砂煙の立つ方角を眺めた。
道の脇に昨夕の野営の跡がある。灰を掻いた窪みに折りたたんだ柴の残り、それから馬の蹄で抉れた大地の跡。軍はこの辺りを行き来していた。臧洪は視を巡らし、道を探る。されど迂回路はどれも狭く、川筋に近づけば湿地が増えた。橋は手前で押さえられ、見張りの兵が立っていることだろう。
「道を西へ振れば、溝と潟に足を取られます。東へ回るにしても、浅瀬は軍の目が利く」
「危惧していた通りになったか」
二人がどうしたものかと思案に耽っていると、土壇の下から、大きく手を振りながら軽装の者が駆け上がって来た。腰には符の束を差している。地元の里正か、あるいは亭の番の者であろう。
「お二方、先へはお控えなされ。袁本初殿と公孫伯圭殿が、河の手前で軍を合わせておられる。橋は通行を禁じられております」
親切な男に、程恭は礼を尽くして問う。
「どの道も塞がれているのですか」
「日中はこのところずっと通れません。陽が落ちれば、斥候の目が交代するのですが、今は鳥も羽を畳むほどの張りつめようで……」
言い淀み、男は長く息を吐いた。臧洪はうなずき、程恭と目で言葉を交わす。
「しばしここで待つほかないか」
「そうですね。無理に抜けても利はないでしょう」
土壇の上では風が少し強く、草の穂が一度に傾いた。砂煙は数を増し、旗の色が見えかけては、また砂に隠れる。道を押し返す気がこちらまで届く。臧洪は馬の首を撫で、歩度を一段落とした。
「さきほどの亭へ戻るか。休めば妙案も出るかもしれぬ」
程恭はうなずき、里正に礼をした。男は二人の顔を見て、安心したように頭を下げる。
引き返す道は、往きよりも落ち着いている。亭に戻ると、長が薄い粥をすすめ、二人は椀を受け取った。
亭の庇を出入りする風が、戸口の砂をわずかに動かす。臧洪は書簡を確かめ、指先で帷の綴じ目をひと撫でする。
程恭は鞍紐を締め直し馬の耳の動きを見た。外の騒めきに怯むところはない。
「ここで足止めとはよくよく運がない。思えば、昔から子源といると不運な目にばかり遭う」
「そうは言ってくれるな。しかし、孔璋もそのようなことを以前……。元直、孔璋はいま、どこにいる」
問うてから、臧洪は自ら答えに近づくのを感じた。広陵で別れた日の声が胸に明るく響く。冀州を訪ねよ、と笑って去った友。鞠をあらぬ方へ蹴り上げたあの小さな意地。言葉の尻に残った温さがいまも指の腹に残っている。
「孔璋なら、本初殿の陣に違いありません!」
「そうであろう!」
砂煙は絶えぬ。旗は見えずとも、風で鳴る。河の手前で陣が組まれ、橋は閉じ、浅瀬には目が立つ。劉虞へ通じる道は、今日という一日のうちには開かれぬだろう。臧洪は視を細め、胸で順序を並べた。名、義、そして人。書は胸にあり、道は前にある。ならば、人に当たって、道の形を見ればよい。
「元直」
「はい!」
「本初殿の陣を訪ねる。孔璋に取り次ぎを請おう。道を開くぞ」
程恭はうなずいた。
臧洪は鞍に手を置き身を起こす。書簡の所在は変わらず、向かう先が変わる。通ずる道が今日閉ざされているのなら、開く方角の縁へ歩を移すだけであった。
亭の庭に出ると、亭長が庇の下で頭を下げる。二人は礼を返したのち、馬の腹帯を確かめる。
「子源、陣の外縁は斥候の目が利きます。名を告げる刻を誤らねば、話は通るでしょう」
「刻は逃がさぬ。戦の流れが薄くなる瞬間を見よう」
門の閂が鳴り、庇の影が背に落ちて離れた。二人は北東へ馬首を向け、砂煙の筋が最も薄く見える筋を選ぶ。近づくほどに、合図の音は高低を変えた。臧洪は歩度を落とし、掌を開いて胸のあたりで示す。敵意なし、道を問う者の合図である。
やがて、前方の草の陰から、短槍を帯びた斥候が二人、音も立てずに現れた。臧洪は馬を止め、名を告げる。
「広陵太守・張超の吏、臧洪子源。伴に程恭元直。袁本初殿の陣へ参じ、陳孔璋殿にお目通り願いたい」
斥候は互いに一瞥してうなずく。ひとりが先に立ち、もうひとりは背を受ける位置についた。合図の旗が小さく揺れ、草の帯が左右に割れる。臧洪はふっと息を吐き、馬の首を前へと向けた。




