17 肉羹
明けて、臧洪は堂の几に手を置き、程恭と李猛を呼ぶ。二人は甲を締め、言葉を要さずに拱手した。
「元直、仲固。呂奉先殿の元へ赴き、援兵を請え。必ず生きて戻り、言を伝えよ」
臧洪の声には、いまだ熱がある。二人はそれぞれにうなずき、速やかに城を発った。
使いを出してほどなく、外輪の気配が変わる。帷幕が近づき、旗は位置を詰め、鼓が打たれた。昼のうちは矢が疎らに来、暮れには盾の鳴る音が絶えず続く。梯はまだ寄らぬが、息を詰めるほどに囲みは固い。説得の手は引かれ、包囲は刃へと傾いたのである。臧洪は、官吏と兵、城に残る民を呼び集めた。
「これは俺の復讐だ。俺に付き合ってお前たちが共に果てることはない。大義の上からいって、俺は死をまぬがれるわけにはいかぬ。だがこのままでは、お前たちはなんの因縁もないのに、いたずらにこの災禍をひきかぶることになる。城が落ちぬうちに、妻子をつれて脱出せよ」
言は正面から打たれ、やがて人々の列の中から声が上がった。戸長が拱手し、兵の一人が前へ出る。涙は見せぬが、声に熱がある。
「子源様は袁紹と、本来なんの怨みも仲違いもございませんでした。それが朝廷と郡将のことより、みずから破滅を招かれたのでございます。われら官民とて、どうして子源様を見捨てて立ち去ることができましょうか」
列はうなずき、誰も動かぬ。臧洪は束の間声を失っていたが、人々が自身を見上げる眼差しを見て、分かった、とその想いを受け止める。
城内では直ちに手順が改められた。倉の札は結び直され、門の盾は内へ引かれ、井戸の縄は夜番が見た。合図の火は風下へ向け、角は鳴らさず、見張りの交代は刻を違えず。女と子は奥へ下げ、病む者には寝台を与えた。みなの足音が石の上に均しく響く。
日が巡るうちに、城は飢え、腹の音が刻を告げた。兵は堞の陰で草の根をほじり、子は土を掻いて鼠の穴を探る。皮の帯は煮て柔らげ、弓弦の端に残る筋までも火に当てて噛んだ。角は削いで大鍋に入れ、湯は濁っても口へ運ばれる。誰も嘆きを面に出さぬが、頬はこけ、唇の色は褪せていった。
ある刻、主簿が几前に進み出た。
「内の厨に米三斗がございます。御身の養いに半を割き、残りは日を分けて粥に」
臧洪は首を振る。
「馬鹿なことを言うな。俺だけがこれを食べて何とする」
主簿はなお言を継がず、拱手して待つ。臧洪は束の間黙し、やがて命じた。
「大鍋を出し、粥を作れ。みなに行き渡るようにせよ」
倉の鍵が移り、升の計が立つ。臼にかけ、杵でほぐし、女は竈にうずくまって風を扇いだ。香りは薄く、湯気が堂の梁に触れる。
粥が上がると、番ごとに器を持たせた。老人には先を譲り、病む者に多く盛る。子には水を足して熱を和らげ、兵には口に触るほどの稀にした。臧洪は列の端に立ち、最も薄い一杯を受けて口を湿らせた。
「すまんな」
それだけ言うと、器を返してまた列を見る。人々は音を立てずにすすった。器の底がのぞくのは早かったが、胃の腑に溜まる温かさは力となる。堞の上へ戻る者は弓の背を撫で、門の番は脚を揉んで立ち直った。夕刻、倉の札に新たな印が加わる。
日に日に、井の綱はささくれ、汲む手の掌は裂けた。水は澄んでいるが、腹へ落ちれば風のように通り過ぎる。粥を支えるのは水であり、人であった。わしに先はない、と老いた者が笑い、若い兵は目を伏せて器を差し出す。吏は簿に記し、斗と升の線の上になお線を連ねた。
臧洪は私蔵を禁じ、器の底を改めさせた。見つかった穀の屑は倉へ戻し、隠した者にも杖は振るわず、その代わりに列の端に立たせて粥を薄くする。誰も異を唱えず、頭を垂れて器を受けた。火の明かりに浮かぶ湯の肌は、きわめて頼りない。それでも人は、列から離れぬかぎり弱らぬと知る。
更に主簿は鍵束を腰に付け、眠らずに竈の火を見守った。交代の合図は乱れず、角笛は鳴らさず、見張りは衣の襟を正して持ち場を動いた。列は崩れず、粥一杯が夜を支える。
陽が昇り、また落ち、列は崩れぬまま朝夕を越えた。
采蓮は帛で器の縁を拭い、歩を進める。細い影が榻の手前で止まり、臧洪は目を上げた。
「子源様。わたくしは戦の具にもならず、弓も張れませぬ。みなが粥を薄め、骨まで力を削っております。どうか、わたくしも役に立たせて下さい」
声は儚いが、芯は揺れぬ。臧洪は黙し、首を横に振った。采蓮は拱手し、顔を上げる。
「けれど、城に在るものはみな、城のためにございます。わたくしもまた、ここに置かれた一つにすぎませぬ。どうかお連れ下さい。みなの行くところへ」
灯の火は小さく痩せ、芯が赤く露わになっていた。外の風が堞を撫で、遠くで犬の吠える声が一つ切れる。臧洪は掌を握り、ゆるめ、また握った。やがて采蓮の頬を慈しむように撫でたのち、堂の外に声をかけ、厨の吏を呼ぶ。
その日、羹が上がった。大鍋は湯気を高く吐き、粥よりも幾分か温をもっている。番ごとに器を持たせ、老人と病む者に先を譲るのはいつもと変わらぬ。兵は列に付き、器の底に映る自分の姿を見た。
臧洪は列の端に立ち、器を受けることはせず、黙して配りを見ていた。湯の肌が揺れるたび、梁の煤がかすかに震える。羹は減り、大鍋の内に湯気ばかりが残った。
やがて誰もが気づいた。臧洪の側にいた采蓮の姿がどこにもない。器を持った手が震えるのを抑え、唇を湿らせるだけで飲み込めぬ者もいる。湯気が目に入ったのか、涙が落ち、器の縁に丸く広がった。
「子源様」
年を経た兵が一歩進み、膝をつく。
「この恩は骨に刻みます。城が尽きるまで堞を離れません」
声はかすれていたが、堂の隅々まで行き渡った。
若い兵が続く。
「俺たちの命は、もとより臧太守の器の内にあります。羹の一滴も無駄にいたしませぬ。矢の尽きるところまで、弦を離しません」
戸長は拱手し、言を継ぐ。
「城の者はみな、同じ器からいただきました。子のある家も、老のある家も、今日の羹を胸に抱いて持ち場に戻ります。たとえ倒れても、列は乱しませぬ」
主簿は簿を閉じ、大鍋の傍で頭を垂れた。
「斗も升も、もはや書く数字がございません。粥は稀に、羹は本日限り。されど心は折れておりませぬ。印は今しるし、最後まで守り抜きます」
臧洪は人々の言を遮らず、黙って聞いていた。采蓮の名を呼ばぬことが、彼女への礼であった。臧洪は大鍋の縁に指先を置くと、愛おしそうに湯の温もりを確かめる。




