10 順遂
筆は迷わず走り書簡が束ねられる。どの報もひとつの結びへと寄っていった。青州の里が籍に戻り、散じた者が労に就き、剣より先に律が立った。名は隠さず、功は飾らず、事のみが並ぶ。
袁紹は一文ずつ眼でたどり、最後の行に指を置いた。臧洪の戦の手際と政の骨が同じ根に生えていると見たのだろう。彼は硯の縁を払わせて命じた。文はすぐに用意され、印が押される。
『臧子源を、兗州東郡太守に任ずる。政を正しく行い、兵たちを労え。』
封泥が乾く前に使いは馬へ戻った。書簡は鞍の袋に収められ、令は札から足へ移る。列は東を指して発った。
× × ×
土の色がわずかに変わった。風に混じる匂いも、青州で嗅ぎ慣れたものとは異なる。臧洪は鞍から身を起こし、列の音を耳で数えた。程恭は脇に寄って歩を合わせ、李猛は後ろに付き、周囲をよく見ている。街道は所々で途切れていた。人はいるが、声は薄い。
東郡の吏舎の門は古く、環も磨り減っていた。名が先に伝わっていたのか、吏が列を作って拱手していたが、背はどこか丸い。臧洪は鞍を降りるや、大股に敷居をまたぐ。壁の釘に掛かったままの古い札が風に鳴った。
吏たちは壁際に沿って席を占め、帯は正しているが、目は互いの顔を窺うばかりで、誰も口火を切らぬ。袖の端を指でつまんでは咳払いして、視線はすぐに膝へ向く。簿は積まれていながら、長らく開かれた形跡もない。
その中にあって、列の末にいた若い男が一人前へと進み出た。
「陳容と申します。吏舎に出入りしておりました。見たままを申し上げます。この郡は、里ごとの習いが濃く、郡の命が末端で薄れております。郡境の関では、旧主の札がまだ回収されず、新旧の印が併存します。印の文言が異なるため、渡しや関の取り立てが二重になり、行き来が細りました」
陳容が札を返す。
「里正の交替が届けられず、里の内で名のみが動く例が多うございます。人は在りながら籍が遅れ、籍は在りながら人が空く。これが郡の報告にも響き、徴の算段が合わぬのです」
臧洪は黙して聞いた。
「もう一つ。川筋の渡しに私の札が出回り、郡の札と混じっております。札主は郡の名を語らず、里の名を掲げるため、民は逆らいづらい。渡しの賃は日々で変わり、荷の軽重で言葉を違える。結果、荷が滞り、倉の出し入れが遅れます」
程恭が眉を寄せる。
「伝舎はどうだ」
「滞りがちにございます。亭長は人を減らし、文は郡に二日遅れで着くのが常となりました。失敗を恐れて印を押さず、押さねばまた怯える。声は上に向かい、足は下へ向かいません」
李猛は壁際に立ち、眉間に皺を寄せていた。青州で見た荒れとは質の違う崩れだ。
陳容は続ける。
「倉の粟はまだ尽きてはおりませぬが、貸し借りの札が重なり、返納の期が曖昧です。字を借りる者が増え、戸の中で年長者が名を肩代わりする例も出ております。里の集まりは開かれますが、議は顔を見合わせて散るだけ。罪は増えずとも、心が減る形です」
臧洪は視線を上げ、若者の眼に私がないのを確かめた。事が事として並んでいる。
「仲固」
「分かっている。こちらの道筋は、目で追えば分かるだろう」
李猛の言葉に、臧洪がうなずいた。
× × ×
翌朝、几の前に札が積まれた。臧洪は立って場を見渡す。
「戸に名を戻すぞ。まずは戸籍を当たり、次に納入の道を当たる」
その指示で、怯えで固まっていた吏舎の空気が動き出した。一斉に筆が起こり、札が走る。
里ごとに几を分け、里正と戸長を最前に据え、籍は古い順に開き、名は年長から確かめた。字を借りた者は隣に立ち、本人の印と二人の証で照合する。
次に伝舎。刻を定め、亭から亭への渡し口に木札を下げる。出立の刻と到着の刻、遅延の記し方を一枚にし、名を書いた者が責を負うと告げた。
関と渡しには榜を立て、郡の名で賃を定め、里名の私符を禁じる。賃は一律、荷は三段。日に一度、値を改めるときは印を添え、理由を記す。
程恭は功の見えぬ仕事を受けた。籍の照合台を三つ増やし、筆と砂壺を支度し、人の流れが絡まぬよう几の位置をずらす。倉の戸は横木を改め、栓を厚くした。
「書かれたものは人前で読め。声は腹から出せ!」
読み上げの吏が交代で喉を潤す。
李猛は外を見た。私符を持つ者にはまず札を出させ、里の名で人を縛るやり口を外す。
「札は郡に納めて残しておけ」
彼は舟頭に言い、板の前で賃を読み上げた。民の肩から次第に力が抜けていく。
徴と納は順を踏んだ。兵の名は所在を確め直し、空白は里の議で埋める。奪うことを先にせず、戻すことを先にする。
黄昏時、伝舎の最初の札が刻どおりに戻った。渡しの値は朝と同じで、札の前に口論は立たぬ。
「元直、初日の手触りはどうだ」
程恭は答える。
「なんとか、詰まっていたものが流れ始めたようですね」
臧洪は外に出て、門の外の往還を眺めた。
ここからは手順がものを言う。ようやく規律が動き出し、吏舎は骨を取り戻した。
積んだ札の空きが埋まり、場の全てが一つの拍に収まっていく。私を挟まぬ理がここにある。真に民を想い人を守る温かい手。陳容は臧洪の横顔を見て、筆をもってこの人に仕えたいと強く思った。




