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22針目.あなたの卑しい過去

 美しい陶磁器のティーポットを傾け、メイ・リサは紅茶をカップに注ぐ。


 応接テーブルの上は、おびただしい数のフルーツや高級菓子で埋められ、その上でティーカップが渡された。


 「どうぞ。お菓子も食べてね、明日も頑張るんでしょう?」

 「・・・お気遣いありがとうございます」


 口を付けた紅茶からは、バニラの甘い香りと微かなスパイスの風味がする。


 「お口に合う?」

 「・・・とても」

 「それは良かったわ、お父様が東洋から仕入れたもので私のお気に入りなのよ」


 フルーツが盛られた銀の食器に手を伸ばしぶどうを一粒もいで口に運ぶメイ・リサを、まるで動く人形だとシオンは思った。


 ブラックダイヤをはめ込んだ大きな瞳は完璧なアーモンドの形。


 通った鼻筋にバラの花びらでできた魅惑的な唇。


 くっきりとした顔立ちを更に引き立てる絹糸のような漆黒の長い髪。


 この容姿と家柄に生まれて、謙虚な人間として生きられる女はそういないだろうと考えながらシオンがメイ・リサを見つめていると、メイ・リサも得意の微笑みで返す。


 「・・・公爵夫人がお一人で夜間に外出なんかして大丈夫なんですか」


 相手を刺激しない言葉を選びながら、シオンはにこにこ笑うメイ・リサの出方を伺う。


 「大丈夫よ。夫は私がする事には理解があるし、私を信頼してくれているの」

 「いい御主人ですね」

 「ふふっ、そうでしょう」


 社交辞令の水面下で緊張が走り続ける。


 ただのお茶会のつもりでこの少女が自分を招いてはいないことくらい、シオン本人も理解していた。


 「あなたの作ったドレス、本当に素敵だったわ。私が着たかったくらいよ」

 「光栄です」

 「ダイアナ様が羨ましいわ・・・王都の貴族にとってね、自分に似合う服を作ってくれる服飾商の存在って本当に大きいのよ」


 メイ・リサは、シオンを真っ直ぐに見つめ切り出した。


 「ねえ・・・あなた、私専属の服飾商にならない?」


 部屋中に、腹の内を探る沈黙が漂う。


 「・・・どうしてそんなご提案を?」

 「もちろん、あなたの才能と仕事が素晴らしいと思ったからよ」


 黙るシオンに、メイ・リサは甘い声で続ける。


 「ためらうのも無理はないわよね・・・でも私が誰だか分かるでしょ?王都一の美女と呼ばれ、お父様は王都の商業ギルドの代表を務めるウィンチェスター商会の会長。夫の家は由緒正しいバーネット公爵家。バーネット公爵家の六代前の御当主は妹君が当時の国王陛下の八人目の王子殿下の妻だった方よ」


 素晴らしいプロフィールをスラスラと誇らしげに語るが、残念ながらシオンはというと


 (・・・つまり王家とは他人だな・・・)


 と、他の誰もが騙される話術を一蹴する。


 しかしそんなことには気付かずメイ・リサは続けた。


 「そんな私の専属だなんて、服飾商なら大金積んででもなりたいと思うのが当たり前よ」

 「・・・すみません、誰かの専属じゃなくて自分の店を王都に持つのが夢なんですよね」

 「あら、もちろんお店だって持たせてあげるわ。私には簡単なことよ」


 覚えた苛立ちを抑えるために、再度シオンは沈黙する。


 「ねえ、断る理由なんてないでしょう?ダイアナ様を気にしているの?」

 「それはまあ・・・、色々と力になって貰っているので」

 「義理堅いのね、感心だわ・・・。でも優先すべきは御家族の方じゃない?」

 「・・・どういう意味ですか?」


 メイ・リサは笑顔で身を乗り出す。


 「あなた、養子なのでしょう?ウィリザヘラ革命でご両親を失って・・・。でも、おかしいわね?ウィリザヘラ新政府は全ての孤児を国内で養子縁組させたそうじゃない。なのにどうしてあなたは隣国のラネル王国に住んでいたエリスニア人の家族の養子になっているのかしら・・・」


 独り言のように呟きながら優雅な手付きで、ティーカップを持ち上げる。


 「敗北したウィリザヘラ国王派の人間は一族郎党みんな捕虜になって、その後解放されるまで新政府の奴隷だったんですってね」


 シオンの目が、自分を睨み付けるがメイ・リサは意にも介さない。


 まさか父親の秘書のガートルードが持つネットワークから、こんな情報に辿り着けるとは夢にも思わなかったのだ。


 「ごめんなさい、どこにこんな逸材がいたのかと不思議になって調べちゃったの。あなたの両親が国王派で、あなたが脱走した奴隷かも、っていうのは推測だったんだけど・・・」


 思い出したくない、封じた過去の蓋がこじ開けられる。


 無数の死体。


 二度と会えなかった父と母。


 子どもにも容赦なく向けられる暴力と恥辱の日々。


 生き延びるために、あの時握っていたのは、はさみではなくナイフだった。


 余計な詮索を防ぐためにあえて養子の事実は公言していたが、ここまで悪意を持って素性を暴こうとする人間に出会ったのは初めてである。


 「・・・まあ事実ですからね。別に今更バレたところで捕まるわけでもない」


 開き直るとメイ・リサも言葉を続ける。


 「そうよ、大丈夫。私はそんなことで差別したりしないわ、むしろ応援したいの。あなたが・・・」


 王都一の美女は再びにっこり笑って


 「罪に塗れた奴隷の子どもを育てた、養親の恩に報いることができるように」


 そう言うと、カップに口を付けた。


 湧き上がる怒りを、必死に押しとどめるシオン。


 宝石の様に美しいチョコレートを食べながら、獲物を弄ぶメイ・リサ。


 しかしなびかないと見るや、次の攻撃が仕掛けられた。


 「それにあなたは早く独り立ちしたほうがいいわ、ダイアナ様はいつまでもあなたのモデルはできないもの」


 その一言でシオンの表情に一瞬の崩れが浮かぶのを、メイ・リサは見逃さなかった。


 「気付いてなかったの?ダイアナ様は貴族よ。再婚しても他家の貴族の奥方だし、しなくても彼女はブラン公爵家の当主を継ぐのよ。王都には来れないわ」


 そして、トドメの一手を放つ。


 「どちらにしてもあなたの卑しい過去が知れれば、ダイアナ様は一緒にいてくれないわよ」


 シオンは今初めて、エリンが言う“蛇”の意味を理解した。


 この女は、相手の息の根を止めるまで諦めないのだ。


 案の定、更にメイ・リサは脅しを付け加えた。


 「うちは貿易商よ。他国の安い小麦をこの国に一気に流入させればブラン領の小麦農家は壊滅しちゃうことを覚えておきなさい」


 足元が崩れるような感覚に襲われ、この場から逃げ出すためにシオンは声を絞り出す。


 「・・・少し考えさせてください」


 足早に部屋に戻ると、テーブルの上にはヘーゼルが残した“隣の部屋にいる”という書置きがあった。


 耳を澄ますと、壁越しに微かな笑い声が伝わる。


 エリンが持ってきたカードゲームで三人が遊んでいるのだ。


 ダイアナが笑顔でゲームに興じる姿を思い浮かべた瞬間、メイ・リサが仕込んだ毒が巡る。


 『あなたの卑しい過去が知れれば、ダイアナ様は一緒にいてくれないわよ』


 『うちは貿易商よ。他国の安い小麦をこの国に一気に流入させればブラン領の小麦農家は壊滅しちゃうことを覚えておきなさい』


 (クソッ、足元見やがって・・・!)


 湧き上がる強烈な苛立ちを抑えられず床に置かれた空き箱を蹴飛ばし、椅子に座って頭を掻きむしる。


 そのまま項垂れながら深呼吸を続け、なんとか冷静を取り戻し呟いた。


 「・・・あんな女選ぶクズなら離婚して正解だろ」



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