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エピソード6 真里 略奪スタート

モスグリーンのドイツ車で、氷美は真里を自宅まで送っていくところだった。


「氷美さん、あやりんの体調が悪いのに、送っていただいて、ごめんなさい。」


「いや、いいんだ。真里さんも、あや↑を心配しすぎて体調を崩しかけている。少しは眠らないといけないよ。」


「氷美さんに、心配していただけるなんて、私は嬉しいですわ。」


「えっ?」


「だって、氷美さんのように、素晴らしい方が、気にかけてくださるなんて。」


「素晴らしい?僕が?」


「雲の上の方ですから、、氷美先輩の愛車に乗せていただいて送っていただくなんて、きっと、私は天罰を受けなくてはなりませんわ。」

真里は、少しだけ顔を赤くして、長い睫毛の目を伏せた。


「真里さん、そんなに大袈裟に考えなくても、僕は雲の上じゃなくて、あなたの隣にいるのだから。」


真里は俯いたままだ。

手をぎゅっと握りしめ、肩が震えている。


僕は心配になり、路肩の広い場所を見つけ、ハザードをつけ、車を道路脇に停めた。


「大丈夫ですか?」


こちらを向いて、顔をあげた真里の目は、うるうるとし、今にも涙が溢れそうだった。

胸の奥がキュンとした。


「大丈夫?」


「氷美先輩は、大学院の時から、憧れでした。でも雲の上の方。彩が羨ましくて、でも私のような、目立たない下々の普通の子は、憧れて見ているだけしかできなくて。」


「真里さん、君は、初めて見た時から華やかで綺麗だった、下々だなんて、目立たないなんて、そんな事を言ってはいけない。」


「氷美さんに選ばれたのは、彩だから。」

真里の目から、はらりと涙がおちた。


胸の奥が、ドキンとした。

こんなに綺麗で華やかな女性が、僕に憧れて涙している。

それに引き換え、あやはなんだ。

この数日、触るな離せ、手をふれても、振り払う。電話に出ない。僕を見ると、毛虫をみるような顔をして、頬へのキスさえ拒む。

何で、あやを婚約者にしたんだ。

親が決めただけだ。愛してなんか、、、


親が決めただけじゃないか。


氷美は、頭によぎった事を口にしてしまった。


「真里さん、僕のこと、好き?」


真里の両目から、涙が溢れた。

僕をまっすぐに見つめてくる。


「ごめんなさい、どうか許してください。私は、氷美先輩を、ずっと、お慕いしていました。」


肩をふるふると震わせて、泣き声をこらえている。


僕は、真里の肩に手を置いて、そっと引き寄せようとした。

「だめ、だめです。彩を裏切れないっ。」


僕は手を離した。

「彩を裏切れない、、こんなに愛していても。」ハラハラと涙が落ち続ける。


あやから、愛していると言われた事はなかった。

婚約が決まった時も、食事会を早々に切り上げ、研究室に戻ってしまった。

婚約指輪さえ、一緒に見に行こうとしなかった。

愛なんて、なかったんだ。


真里を見た。

柔かそうな頬、ふっくらと艶めく唇。白い肌。少し毛先がクルンとしたロングヘア、愛らしい目、長い睫毛、抱きしめたら壊れそうな華奢な肩。


いつも、髪を団子にしてまとめているあやの髪に触れた事なんてあったのか?

いつもすっぴんで、寝不足で目の下にクマを作って、机でよだれを垂れて。

あれが、僕の婚約者か?

思い出すほど、腹が立ってきた。


僕は、もう一度、真里の肩に手を置いた。

「だめっ、先輩は、雲の上の方だから。」


「そんなことはない。真里っ。」

僕は、あらがう真里を、ぐっと引き寄せ抱きしめていた。

抱きしめても、真里は抗っていた。華奢だから、抗っても、僕の腕からは逃げられない。


「一緒にいよう。真里。」


「先輩、私、とんでもないことを、、あやに、、許されない、、、」

それ以上、真理を罪悪感に晒したくなかった。

キスした。

真里は観念したように、僕に委ねてくれた。


しばらくして、僕は真里に言った。


「婚約は解消するから、少しだけ時間をくれっ。」


真里は、期待しない顔で、寂しそうに頷いた。

また涙がハラハラと落ちていく。

真里は、僕を諦めるつもりだ。

だめだ、こんなに愛してくれているのに。


僕は、車をスタートさせた。

FMラジオから、凄いうるさい曲が流れはじめた。

「あの、この音がつらいので、、、」

「かえて、、、まりっ↑」


真里が何回かボタンを押していくと、

世界の歌姫のラブソングが、聞こえてきた。

これでいい、真里を見たら、美しい微笑みで、僕を見つめてくれていた。

僕は、真里の手を握った。真里は少し躊躇うように、そっと握り返してきた。可愛い。


ラジオの歌姫特集を聴きながら、ナビ通りに走り、手を繋いだまま、しばらくドライブを楽しむと、小高い丘の上に立つ、城のような建物が見えてきた。

冬冷の屋敷に負けず劣らず美しい建物だ。

「あ、あれが、うちです。」


そう言えば、真里の苗字もご実家が何か聞いてなかった。あやの聖ソフィア学院幼稚舎からの親友だ。あとで聞けばいい。


門を入り、車寄せに車を停める頃には、使用人が出迎えに揃っている。


僕は車を停め、先に降りて、助手席をあけて、真里の手をとった。


「真里お嬢様、おかえりなさいませ。」


「ただいま、帰りました。鈴木、こちら、大学院の先輩で、冬冷氷美様です。お送り頂いたの。」


「氷美様、おつかれでしょうから、お茶にお誘いしたいのですが、、 」


「しかし、突然で、悪い。」

さすがに、初めて来た家に約束もなく不躾に訪ねるものではない。当たり前のマナーだ。


「冬冷様、お嬢様のお送り、遠い道のり。当家の執事として御礼申し上げます。ひととき、おくろぎを。」


さすがに立派な屋敷を持つだけあって、うちの高見と変わらぬくらい良い執事だ。


「では、お言葉に甘えさせていただく。」


車のキーを預けて、屋敷の中に案内された。

エントランスに入る前に気づいていたが、

車寄せの奥に、黒塗りのオーダーメイドの国産最高級車が、一台停めてある。きっとここの主のだろう。


「氷美様、私、お着替えがありますので、少し失礼しても?」


「かまわないよ、疲れただろうから、ゆっくりどうぞ。」

真里は、ばあやらしき年配の女性とまわり階段を優雅に上がって行く。後ろ姿も綺麗だ。

あやときたら、虫好きで、木登りはうまいが、いつまで経っても、お転婆が直らなかった。何であんな、、、


それに引き換え、真里は、する事なす事、エレガントで綺麗だ。

僕は、すでに、真里しか見えなくなっていた。


応接のサロンに通された。

「冬冷様、こちらでしばらくお待ちくださいますように。」

僕は頷いて、ソファに座った。座り心地がいい。

壁に何枚か絵画が飾られている。趣味がいい。


ふと、壁の絵が、目に止まる。

あれは、、、あのジャガールは本物か。

立ち上がって、絵に近づいた。

どうみても、本物だ。数年前にオークションに出たと聞いていたが、まさか日本にあったのか?


「その絵にご興味を?さすが冬冷家のご子息。お目が高いですな。」


主の声に振り向いた。

どこかで見た顔だけど、初対面のはず。

たぶん、休んでいたのだろう。来客用のガウンを羽織って、急いで出てきた感じだ。


「こんなところで、名刺を出すのは無粋ですが、、ご容赦を。

真里の父、凄水 無一朗です。」


いくら世に疎い研究者の僕でも、いや研究者だからわかる。医師の端くれだから知っている。日本、いや世界に名だたる《凄水製薬グループ》くらいは知っている。

3年前に凄水製薬グループの会長が退いて、全てを引き継いだグループの総帥だ。

前会長は、真里の祖父になるんだろう。


「冬冷氷美です。夜分にご連絡もなく、押しかけて、失礼をお詫びいたします。」


「いやいや、こんな場所まで、娘を送ってくださって。迎えの車を呼べと、常に言い聞かせてあるのですが。」


「いえ、うちの屋敷に見舞いに来ていただいて、時間も遅くなりそうなので、私が無理にお送りしたいと。どうか、真里さんを叱らないでください。」


「そうでしたか。まあ、おかけに。」


僕らが挨拶を済ませた頃、お茶が運ばれてきた。


一口飲んで、うまい、と思った。

僕の好みを知っているような、アールグレイの茶葉が使われている。


「素晴らしい香りですね。フランスの茶葉では?」


「ほう、紅茶を嗜まれるのですか。偶然にも、紅茶は、真里が凝っていまして。紅茶マイスターの資格をとってからは、イギリスやフランスに行くたびに、真里が、色々と持ち帰ってくるので、茶葉棚を作らせました。あとで見てやってください。」


「そうでしたか。良い茶葉です。香りが染み込んで、気持ちが楽になります。」


「お口に合ったようで、良かったです。御礼がおそくなりましたが、真里が大学院でお世話に、ご指導いただき、なんとか卒業できました。なんせ兄弟の中で、真里は一番出来が悪くて。」


「お父様っ、氷美様の前で、私の悪口なんて、ひどいですわっ」


音もなく開いた扉から、真里が、姿を現した。何と美しい。僕の女神だ。

アイボリーの総レースの部屋着のドレスだった。母が着ている物に似ていた。母とも、きっと話が合いそうだ。


「真里、お前の頭の悪さは、一族でも一番だ、隠しても仕方がない。」


「お父様は、ひどすぎます。」

拗ねた顔もかわいい。

しかし、真里は、あやと同じ聖ソフィア学院から、東愛大学大学院までストレートで卒業した。

出来が悪いと言っても、あやと変わらないわけだ。さすがに天下の凄水では、東愛大学なんて、大したことはないのだろう。


「氷美様、お紅茶はお口に合いまして?」


「僕の好きな味と香だ。ありがとう。」


「まあ嬉しいですわ。春休みにフランス旅行で、先輩のお顔が浮かんで、マリアフランの本店でブレンドさせましたの。」


「ほう、、、もう一杯、いただけるかな?」


「では、お湯を、準備してまいります。」


真里はワゴンを押して、サロンを出た。

今しかない、僕は凄水氏に、言わねばならない。

僕は、ソファから立ち、床に正座した。


「凄水様、突然ですが、単刀直入に申し上げます。真里お嬢様と、結婚させて頂きたい。婚約者のある身で、大変なご無礼を申しているのは、わかっておりますが、帰り次第、冬冷の父と慈優家に話し、婚約破棄をします。

本来なれば、婚約解消してから、お伺いするべきところ、筋を外れているのも、重々承知の上で、お願いしております。」


「氷美君、気持ちはわかったよ。まずは、その床の正座をやめて、座りなさい。落ち着いて話をしよう。」


「申し訳ありません。」


「君の気持ちは変わらないのか?慈優彩さんは、幼い頃からの許嫁と聞いていたが。」


「親同士が決めた婚約です。しかも、僕を含めた三兄弟の中の一人と結婚する話で、僕と彩の間に愛情はありません。真里さんのような、細やかな愛情を持つ女性は、今時珍しい素晴らしい女性です。」


「では、君は、うちの真里を真剣に大切に考えてくれているのだね。」


「はい。」


「うちの内情になるが、いま、真里には縁談が山ほど来ていてね。君の家もそうだろうが。

うちは、製薬業だ。真里の婿には、研究者か医者しか考えていない。真里と結婚した婿には、入婿になり凄水姓を名乗り、新しく凄水グループで先進医療ができる病院を作るか、新しい創薬研究所を作ろうと考えている。それに見合った男でなければならない。東愛出身の君の先輩の数人が、候補となっていて見合いもしたのだが、真里が全て拒絶している。政略結婚をするくらいなら、聖ソフィアの修道院に入るとまで言う始末だ。

想い人がいるのだろうとは思っていたが、相手に迷惑がかかると、絶対に言わずに、これまた困っていた。

大学院を卒業してからというもの、私の秘書をさせていたのだが、見合いをさせる度に、食が細くなるし、ほとんど眠らなくなって。。父親としても、会長としても、困り果てていたのだ。まさか、想い人が、冬冷の三男坊だったとは。」


僕は話を聞いて、驚いた。

真里は、彩の親友だ。僕に片思いをしながら、気持ちを伝えられずに、ずっと一人で苦しんでいたんだ。


「凄水様、婚約は僕の身から出た錆。必ず解消します。少し、お時間を頂きたい。」


「氷美君、猶予は、すまないが、一週間だ。」


「えっ?」あまりにも急だ。


「実は、縁談の一つ、先方が是非にと乗り気で、来週末から先方の沖縄の別荘に真里を預けて、二人きりにして、お相手と愛を育んでもらうつもりで、話が進んでいる。」


それってつまり、真里を無理矢理に向こうの男に。


「なりません。無理矢理など。」


僕は、頭が痛く、胸が苦しくなってきた。


「氷美君、大丈夫か、しっかりしなさい。」

意識が遠のくのが、わかった。

凄水氏が、ニヤリと笑った時には、僕は意識がなかった。

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