エピソード26 誓い。
2人っきりになってから、私はドキドキしてきた。
「ドキドキしてるようだな、彩の心臓の音が聞こえるぞ。」
「えっ。」
「冗談だ。ただ、こうするとわかる。」
氷逸兄様が、私の首筋に手を触れる。
ドキドキしているのが、わかる。
「私、ほんとにドキドキしてますね。」
「顔も赤いし、可愛いな。」
兄様の枕の近くに、カブトムシのぬいぐるみがある。
私は咄嗟に、ぬいぐるみを掴んでいた。
「彩、ぬいぐるみに助けを求める気か?」
「だって、、その、、」
「嫌なのか?」
「ち、ちがいます。今日の氷逸兄様、あ、氷逸さん、色気が、、」
「色気?僕が?」
「気がついて無いの?」
「さっきは、怒っていたし、もう我慢出来なかったから、無理矢理キスしたけど、、今はいつも通りだろ?」
「いつもは、ポーカーフェイスで、品行方正ですっ、なのに、、、 」
私はぬいぐるみを胸に、ちょっと兄様から離れようとした。
兄様が、大笑いして、引き寄せられた。
「あれは、医者モードだから。いまは、完全にプライベートだろう。」
「だって、ラボで話した時だって、優しかったし、、」
「あれは、研究者モード。今更、手遅れだ、さっき、父さんが、僕は裏表があると確認したはずだ。だから、飛んで火に入る夏の虫と言っただろう。慈優の義父さん曰く、突撃してきたのは彩だぞ。」
兄様の左手が、私の頬を包む。
「い、あ、そ、ま、、」
「何だ、声も出ないのか?」
「氷逸兄様、ゾクゾクするからダメです。」
「何でも言うこと聞くって言ってたなあ。」
「わかってます。女に二言はありません。」
「彩、もう諦めろ。彩は僕の妻だ。覚悟して押しかけてきたんだろ。」
「は、はい、、えっ?兄様、左手、腫れてませんか?さっきより腫れてます。」
「わ、わかるのか?」
「私、氷逸兄様の手が好きだから。」
「うっ、、、」
兄様が怯んだ。
「いま、怯みましたね?」
「僕を揶揄う気か。」
「からかってません。右手を怪我してるのに、何で左手まで。」
「彩の観察力にはまいるな。顔を真っ赤にして緊張してるはずなのに、僕の手の腫れに気づくか?実は、さっき、氷美を殴った。正確には、平手打ちをした。」
「えっ?」
「僕が彩にキスしてる頃に、父さんが氷美を呼び出して、彩と婚約したいきさつを白状させた。彩が風呂に入ってる時に、父さんと氷美と3人で、話をして、僕が平手打ちをした。殴りたかったけど、左手の指の骨を折るわけにはいかないから、平手打ちで我慢したけど。二度と、彩に指一本触れるなと、言っておいたから、気にするな。」
「氷逸さん、私も、、思い出したのです。」
私はベッドに腰掛けて、カブトムシのぬいぐるみの背中の羽根の部分を広げて、その下の胴体部分の糸を引きちぎった。
兄様が不思議そうに、隣に腰掛けた。
カブトムシのぬいぐるみの中から、私は1通の封筒を出す。
「このぬいぐるみ、ずっとここにあったんだぞ。」
「だから、兄様に預けた日に、ここに入れたの。」
封筒は、カブトムシのシールで封をしてあった。兄様に渡すと、中を取り出して読んで、固まっている。
「私、お昼にも言いましたが、いつ氷美兄様と婚約したかわからなかったし、6歳で氷美兄様に誓約書を書いた記憶もなかった。」
「原本が、あったのか。あの日、大学に入る寸前に、彩が、これを持ってきて預かってほしいと、意味がわからずに預かっていたけど。」
「私が、高校を卒業した春休み、氷美兄様から、僕たちは、6歳から結婚の誓いをしている、と言われて、大学に入ったら、正式に婚約しようと言われたの。でも、私は、この誓約書を持っていたのに、氷美兄様の手には、氷美兄様と私の2通の誓約書があったから、私、どっちが本物かわからなくなって。で、このぬいぐるみの中に隠して、氷逸兄様に預けたの。」
「僕の誓約書がなくなったんだ。英文のファーブル昆虫記に挟んであった。でも、この本、氷美が借りた時があったんだ。」
氷逸兄様は、今日、おじさまと氷美兄様とした話を、全てを話してくれた。
事のおこりは、氷逸兄様と氷美兄様の、兄弟喧嘩と言うか、おじさまも関わる、病院相続の件がこじれた事から、始まっていた。
私が18歳、氷美兄様が、23歳、氷逸兄様が26歳の時、おじさまが、氷逸兄様の専攻が脳神経外科だから、氷美兄様も、脳外を目指していたのに、別の診療科にしてほしいと言ったそうだ。氷美兄様は、かなり頼んだそうだけど、おじさまが冬冷家の為にと、決めつけた。
で、怒った氷美兄様が、じゃあ俺は彩と結婚するから、医者は継がないと言い出して、6歳の誓約書を出してきたらしい。
氷逸兄様は、自分も持っていると探したけれど、ファーブル昆虫記の中にはなかった。
氷美兄様の誓約書には、間違いなく、私のサインがあり、氷逸兄様は、証拠がなく、おじさまが、病院は氷逸兄様、私は氷美兄様と、仮決定したらしい。
その後の事、私が経験した事を思い出していた。
おじさまに呼ばれて、氷美兄様と正式な婚約と言われてパニックして、氷逸兄様が好きと言ったけれど、誓約書がないと言われて、氷逸兄様に忘れられたと思った。
そこからが、ぐしゃぐしゃになって行った。
でも私が18歳の頃、最近、聞いたけれど、氷逸兄様は、キンダ旅行で、タンザナイトを購入していたはず。
ただ、冬冷家では、書類やルールを非常に重んじるところがあり、氷美兄様の持つ誓約書は、間違い無いものだった。
今日、氷美兄様がおじさまに告白した内容は、脳外の医師を禁じられて、氷逸兄様に腹を立てていたから、氷逸兄様が持っていた私との誓約書を真似して作って、困らせたかったと。
すぐにバレると思っていたらしい。が、バレずにここまで来てしまった。
氷逸兄様は、殴っただけで、スッキリしたらしいが、おじさまの怒りの方がすごかったらしい。勘当だ、出て行け、と追い出したらしい。
「彩、僕が、誓約書を、簡単に本の間に挟んだ事から、こんな事に、なってしまった。」
「私も、あの時、この誓約書を出していれば。でも、1通では効果がないと思ってしまったの。自分で6歳の時に、何をしたのか、疑わしくなってしまって。」
「彩は6歳だったのに、この誓約書を守ってくれていた。僕は14歳で、誓約書の扱いを蔑ろにしたんだ。悪いのは、僕だ。まさか、昆虫に興味のない氷美が、英文のファーブル昆虫記を借りたがるとは思ってなかったんだ。」
「燃やされてしまった氷美兄様とのあの誓約書、私が、誓約書のサインの練習をしていた紙だったと思うの。氷美兄様に、氷逸兄様のお嫁さんになるから、サインを練習したいと、氷美兄様の紙も使っていたはず。だから、サインだけは、本物だった。」
「今日、氷美から聞いた内容と同じだな。兄さんが羨ましかった、と言われたよ。」
「明日、お義父さまに話しましょう。氷美兄様だけが、悪いわけではないわ。肩を持つわけではないの。でも、氷逸兄様と私だけが幸せになるわけにはいかないから。」
「氷美を心配してるのか?やっぱり、、」
「違うの、私は氷逸兄様のお嫁さんだから、長男の嫁として、義理の弟の未来を考えるのも、役目でしょう?」
「まだ全てが、僕の妻じゃない。」
「今日の氷逸兄様は、ほんとに意地悪。もう結婚指輪はしているし、全て、氷逸兄様のものよ。」
「全てか?」
「そう、全てです。だって、飛んで火に入る夏の虫なのでしょう?」
私は、氷逸兄様に向かって、文字通り、飛び込んだ。
幸せになれそうです。
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