まだまだお部屋デート!
そんなこんながありつつ、食事もほとんど食べつくし、あとは沙由菜がスープを飲み切るのを待つだけになった。
俺はお茶を啜りながら、
「そういえば、さっき佐藤が図書室でずっと勉強してたって言ってたが、佐藤ってそんな勉強するタイプだったのか?」
と、沙由菜の疑惑の言動はおいておいて、純粋にビッチギャル佐藤と思っていたので、突っ込みたかった話のうちの一つだ。
「え、あんた知らないの? 佳乃ってあぁ見えてっていうと失礼だけど、定期考査だけじゃなくて、模試とかも全部ずっと学年一位なんだよ?」
「な、なんだってー?! あんなエロにしか興味ないエロ大魔神がが、学年一位!?」
驚愕の新事実だ。いや、こういうのを本当に驚天動地というんだろう。俺は驚きすぎて、勢いよく席を立ち上がり、思い切り食卓にふとももを打ち付けてしまう。
ついでに食卓もグラグラと少し動いてしまう。
「確かに、あの子は見た目派手だし、彼氏もいるけど、一体いつ会ってるのってレベルで勉強してるんだよ。たぶん、ああいう言動してああ見えて佳乃も、経験はないわ……」
なんだその絵にかいたようなビッチで経験豊富と見せかけた上で経験すらないって。どこのエロゲから舞い降りてきやがったんだ。
「なんか、私の身の回りってすごい人ばっかりだなぁー。美里も本気出さないだけでなんでもこなすドエリートだし、佳乃は勉強できるし、あんただって……」
美里、というのは今日の体育の前にギャルと一緒にやってきた黒髪ポニーテールの小日向のことだ。
小日向に関しては俺も結構知ってる。なにせ、多数の部活を掛け持ちして、一年のうちに全部の競技で全国大会へ出場し、優勝とまではいかなくてもかなりの好成績を残したって話はよく耳にする。
運動神経抜群で、勉強もできないわけではない。だが、小日向には欠点が一つあって、それが努力をしないということだ。いつも面倒くさいと顔にかきながら生活しているレベルで何もしない。
頼まれて入ったから仕方なくやってそれなのだ。努力をすればおそらく何をやらせてもオリンピックに出場し、金メダルをかっさらっていきそうなくらいだ。
「小日向はなぁ、めんどいって言わなければ本当にすごいと思うんだが……」
沙由菜はそっちじゃないという目で俺を見てくる。そう、俺は俺の話題に触れてほしくないからあえて、小日向の話題を振ろうとしたのだ。
「沙由菜、知っての通り俺はもう、そういうのではないんだ」
タイミングが来たのかもしれない、そろそろ本心を打ち明けるタイミングなのだろうか。
俺は逡巡する。あまり、気持ちがまだそれを言うのに向かっていない。
「沙由菜、悪いちょっとトイレ」
このトイレの間に決めよう。沙由菜は一年間、そのことにあまり触れないでいてくれた。もちろん、話してほしそうな顔をすることは幾度もあった。
俺はまったく、沙由菜に話そうともせず今みたいにはぐらかしてきた。
そう、だからこそ、わかる。沙由菜もやはり先ほどは俺のことをはぐらかそうとしたはずだ。このやり方は俺が沙由菜に教えたようなものだ。
沙由菜はあまり嘘がつけない。俺とは違い、顔に現れることすらある。俺が沙由菜の顔を見るだけで思っていることを理解できるくらいには顔に現れるのだ。
だが、俺はきっとそれ自体を隠すことはできる。単純に沙由菜は人の気持ちの機微に敏感だからこそ、わかっているだけで。
俺の唯一のトラウマが、苦しみが、きっと大人にいったら大したことないといわれる出来事が心を苛む。
トイレに行き、用を足す。それだけなのに、激しく息切れをしそうになる。あのことを思い出すことは多々ある。でも、こんなに苦しくなることもたまにある。
締め付けられたような、肺も心臓も苦しい。そういえば、雪野冬菜もこういう感覚だったのだろうか。なぜあのタイミングでそうなったのか、俺にはわからない。
だが、俺自身も過呼吸になってしまいそうなくらい、苦しい。
トイレを流し、その流れている水の回転する光景を見てめまいを起こしそうになる。勢いよく流れる勢いに意識が持っていかれそうになる。
トイレから出て、キッチンに向かう。洗面所で手洗いをしてもよいのだが、洗い物もあるからキッチンで手を洗い、ついでに食器を洗うのがベストだ。
大丈夫、大丈夫だ。一体、何分経ったのかもわからない感覚、しかしキッチンの光景を見るだけでそれなりには長くトイレに引きこもっていたことを知らせる。
先ほどまで使用していた食器はすでに洗われ、きれいに水切り棚に並べられていた。俺はひとまずその事実を受け入れ、手を洗う。
「大丈夫? なんかよくないもでもあったのかな……」
と沙由菜は少し心配そうな声色で俺に話をかけてくる。
いや、沙由菜の作る料理は全て美味かった、おなかを下したわけですらない。
「あ、あぁ、大丈夫だ」
「そっか。じゃあ、私そろそろ帰るね?」
沙由菜は、今回も俺が促されても話すことはないだろうと悟ったのか、時間もかなり遅くなっているのもあり、そそくさと帰ろうとする。
だが、俺が沙由菜を引き留める。玄関へ向かおうとする沙由菜の腕をつかむ。
「プリン、プリンあるから食べて行けよ」
俺の喉から出てきたのはどうしようもなく臆病を映したように本題ではなく、デザートの提案であった。
「でも、もう23時になるし。無理しなくていいよ、そーま」
しかし、沙由菜はゆっくりと俺を諭すように優しい表情でそう言う。
これは帰る時間を気にしているわけではない。俺に気を遣って帰ろうとしているだけだろう。
俺は沙由菜の腕を放さない。沙由菜も別に抵抗をするわけでもない。
室内の時計の秒針がかき鳴らす音と蛇口からこぼれる水の音だけが周りを包む。時間の感覚はそのリズムのおかげで失いそうにもない。早くしないと本当に夜も遅くなってしまう。明日がつらいだろう。
今ここで沙由菜を帰らせないために、そういうしかないと悟り、やっとの思いで、
「話したい事があるんだ」
と告げた。
沙由菜もどこか緊張した面持ちで、
「わかった、じゃあ後ちょっとだけね」
と俺の願いを聞き届けてくれた。俺は冷蔵庫から一つだけプリンを取り出すと沙由菜に渡す。
「え、一個しかないの? あんたの分は?」
「え、あ、あぁ。アイスでも食うか」
と俺は冷凍庫の引き出しを開けてみるが、アイスは入っていない。そういえば、あゆみがこの前来たときに出して食べたのだ。
微妙な沈黙が再び流れる。その沈黙を打ち破るかのごとく、沙由菜は笑いながら、
「へへん、じゃあ、昔みたいに私があーんってしてあげるからシェアしましょ」
と恥ずかしそうな顔を浮かべながら切り返して再び食卓へ戻る。
俺は断固としてそんな恥ずかしい思いをしてたまるか、と先ほどの緊張感を一度捨て、皿とスプーンを二本持ち、食卓へ就いた。
沙由菜はスプーンをひったくり、プリンを開封する。そして、わなわなと少し震えた手つきで、プリンを掬い取り、俺の口の方へ、
「あーん」
と寄せてくる。せっかくの俺の緊張感がすべて吹き飛ぶ。こいつは本当になんというか、あほだな。
いや、むしろ、究極に空気が読めるから、こうしてわざとこういうことをしているのだろうか。
たまには沙由菜のその頑張りにも報いてやろう……。
俺は勢いよく、プリンをほおばる。いや、どうせ自宅だし誰も見てないから、恥ずかしくない。恥ずかしくないさ。プリンは口の中でとろけ、咀嚼するまでもなく喉の奥を通っていく。
「だが、これっきりだ。普通に取り分けるぞ」
俺はもう一つのスプーンでプリンを半分だけ別ざらに映し、沙由菜にそのスプーンと共に渡す。
俺が口にしたスプーンともともとのパックに入ったプリンをひったくり、俺は一気に掻きこんだ。
沙由菜はぷっくっくとこみあげてくる笑いを止められず、俺を見つめてくる。
「まぁ、なんだかんだで変わらない部分もあるよね」
「そうだな、沙由菜は昔っからすぐに人の顔色伺って自分の意見言わなくなるし」
「なによ、あんただって、もっと大人しくて気弱な感じだったけど、私に対してだけは結構強気な態度取ってたじゃん」
よくある昔話。
「そうだったか?」
「だって、そもそもあんた自分の一人称なんてぼくだったじゃん。それに、私がアイスあーんってしてあげたとき、恥ずかしがってさゆちゃん嫌いとか言ってたもん」
正確には割と最近まで僕だったんだけどな。弱気なのもたぶん今でもそこまで変わらない。きっと、あの子が俺のことを変えたから今はこうなだけで。
「私がそれで泣きそうになったときに、あんた今みたいに耳真っ赤にしてぱくんってアイス食べてたわよ」
沙由菜はその時のことをまだはっきり覚えているのか、過去の俺を用いて今の俺をからかってくる。なんてやつだ。
許さん。
「俺が気弱なのはおいておいて、沙由菜がもっとじめじめしてたからだろー」
「なっ」
俺は沙由菜が転校してきた当初のことを思い出す。今とほとんど変わらないツインテールで、色味が薄い栗色の髪の毛。
小学生ながらも、初めて見た印象は髪の色はともかく透明。だが、その表情は常に暗い表情で、今みたいな底抜けた明るさなんてどこにもなかった。
どちらかというと遠慮がちというか今それを例えるならどこか一歩引いたような奥ゆかしいイメージがある。
「宿題忘れて先生に怒られそうなとき、すぐ俺を盾に使ってたもんな」
「そ、それは。あれよ、お父さん忙しくて私が代わりに家事したりして疲れて忘れてただけだもん。あの年ごろなんて怒られるのは誰だって怖いわよ」
「待て、それは初めて聞いた」
と俺が言うと、沙由菜はあっというような自分の失言を後悔しつつ、
「まぁ、そうよ。だから、私は料理が上手なのよ」
とある意味開き直ったかのように胸を張る。まぁ、家庭事情は人それぞれだが、それは本当に初めて知った。
「なんか、あれだな。俺たち、結構長く一緒にいるようでそんなにお互いのことあんまり知らないのかもな」
「そう、かもね……。性格が性格だから、きっと」
沙由菜は少し自嘲気味に、でも何か満たされているような満足げな笑みを浮かべる。
沙由菜の言う通り、俺たちは俺たちで仲はいいからこそ余計な心配はさせまいと腹を割って話す機会も少なかったのかもしれない。
「だから、わかった、一つだけ沙由菜に話しておこうとおもう。俺とお前が離れてる間の昔話だ」




