第9話 太鼓判
あの白衣の薬師を、もう一度訪ねた。
薬師ギルドの裏手にある、彼女の診療所。中をのぞくと、土間に簡素な寝台がいくつも並び、その半分が埋まっていた。咳をする老人。包帯を巻かれた子供。薬の匂いと、熱の匂い。ここが、この街の弱った者たちの、最後の砦なのだと分かった。
名をミレナといった。見た目より若い。それでいて、目の下の隈は、もう何日も消えていないようだった。
「また、あなた」
ミレナは調薬台から顔も上げずに言った。手は、薬研を動かし続けている。
「言っておくけど、この前のは特別。あんな上物ならいくらでも買う。でも、ふだんの仕入れは組合からの一括。等級も選べない。文句があるなら組合に言って」
「その一括仕入れの話で参りました」
俺は台の向かいに立った。
「ミレナさん。手元に届く薬草の、何割が、本当に使い物になりますか」
ミレナの手が、止まった。
「……半分いけばいいほうね」
苦々しい声だった。
「傷んでたり、採り時を外してたり。一律で買って、一律で届く。質なんて誰も見ちゃいない。だから調薬のたびに、こっちで選り分けて、半分は捨てる。捨てた分の銭も、こっちが払ってる」
薬研の音が、また鳴り始めた。怒りを、すり潰すように。
「この前の、熱の子。覚えてる? あの夜、あなたの薬草で熱は引いた。でもね、その前の晩に運ばれてきた子には、効く薬草が一本もなかった。一律で届いた山の中に、使える聖薬草が、一本も。——間に合わなかった」
ミレナの声が、わずかに掠れた。患者を一人、見送ったばかりの声だった。
これは、金の話じゃない。この女にとっては、命の在庫の話だ。
「では、こうしましょう」
俺はリーシャを隣に立たせた。
「彼女が採った薬草を、まずあなたがあらためる。あなたの目で、これは効くと認めたものにだけ、診療所の名で、保証をつける。『ミレナの診療所が認めた薬草』として、患者にも、ほかの薬師にも回す」
ミレナが、初めて顔を上げた。
「……私が、保証する?」
「ええ。売り手が自分で『良い品だ』と言ったところで、誰も信じない。けれど、患者の命を預かるあなたが、自分の名にかけて認めたものなら、皆が信じる。あなたの名前が、品質の証になるんです。もちろん、あなたの診療所には優先的に提供することをお約束します」
俺はリーシャを見た。
「彼女は、あなたが認めるに足るものだけを納める。あなたは、信用を貸す。二人の名が重なったとき、その薬草は、ただの薬草じゃなくなる」
ミレナは、リーシャをまじまじと見た。それから、低い声で言った。
「言っておくけど、これは、組合に喧嘩を売る話よ。薬師ギルドは、長いこと組合と持ちつ持たれつでやってきた。私が抜け駆けで娘から直に仕入れて、おまけに『うちが保証する』なんて触れ回ったら——組合は黙ってない。私の立場も、危うくなる」
「ええ。承知の上で、お願いしています」
「……どうして、私が、そんな危ない橋を渡ると思うの」
「渡らない理由を、あなたはもう、口にしていないからです」
ミレナの眉が、動いた。
「金で安全を買うなら、組合の一律仕入れを、黙って続ければいい。でも、あなたは、さっき間に合わなかった子の話をした。安全より、効く一本のほうが、あなたには重要だ。——違いますか」
ミレナは、長く息を吐いた。隈の浮いた目に、初めて、別の光が差した。
「……いいでしょう。やってみる」
低く言った。
「たった一本の効く薬草が、人の生き死にを分ける。その一本が、確実に手に入るなら、私は、自分の名くらい、いくらでも賭ける。——その代わり、娘さん。リーシャだったわね?」
ミレナは、リーシャに向き直った。
「私が確かめて、一本でも外れがあったら、私の診療所の名に傷がつく。信じて飲んだ患者が、死ぬかもしれない。それでも、毎回、自信を持って出せる?」
「出せます」
リーシャは、もう俯かなかった。
「効かないものは、最初から採りません。私が外れだと思うものを、あなたに渡すことは、ありません」
その場で、取り決めができた。リーシャが採り、ミレナがあらためて認め、診療所の名で保証する。傷みも外れも混じらない代わりに、値は高い。だが、選り分ける手間も、捨てる銭も、何より、間に合わない命も、減る。ミレナにとっても、結局は安い。
——品質の保証。それは、売り手が言い張るものじゃない。信用のある誰かが、自分の名にかけて太鼓判を押すことだ。前世なら、当たり前にあった。格付けも、検査も、保証書も。この世界には、まだ、ひとつもなかった。
その空白に、細い管を一本通す。リーシャが品を、ミレナが信用を、出し合って。
◇
帰り道、リーシャがぽつりと言った。
「ミレナさんが……私の薬草に、名前を貸してくれるんですね」
「名前だけじゃないんだよ」
俺は言った。
「きみが品で応え続ければ、いつか『ミレナが認めたリーシャの薬草』が、誰もが欲しがる名前になる。ミレナさんの保証に、きみの名前が、値打ちを足していくとも言えるんだ。きみはもう、ただの採集人じゃない」
リーシャは、自分の手のひらを、じっと見ていた。植物の声を聞くだけだった、その手を。ハズレと呼ばれ続けた、その手を。
「……私の名前に、値打ち」
小さく、繰り返した。知らない言葉を、覚えようとするように。
その響きを、彼女がどう受け止めたのかは、横顔からは読めなかった。ただ、革袋を抱く腕に、今までより少しだけ、力がこもっていた。守るべきものが、また一つ増えた、というように。




