第10話 外れ者たち
噂は、薬草よりも速く広がった。
「リーシャの薬草は外れがない」——ミレナの診療所でその一本が病人を救うたび、言葉は口から口へ伝わった。ふた月もしないうちに、リーシャの名は、ベンチの娘ではなく、薬師が指名で待つ採集人の名に変わっていた。
収入は、密売の頃とは桁が違った。ザイラスへの返済も、月ごとに積み上がっていくはずだ。誓約紙に紐づいた俺の命は、少しずつ安全な側へ寄っていく。
変わったのは、それだけではない。
ある夕方、ギルドの隅にいた俺のところへ、ヨナスが二人の男を連れてきた。どちらも、日に焼けた採集人の手をしていた。
「桐生さん。こいつらも、話を聞きたいと」
ヨナスは声を落とした。
「おれたちみたいに、上前をはねられてる連中だ。いいものを採っても、一律で買い叩かれて、銭にならない。あんた、リーシャにやったことを、おれたちにもできるか」
——来た。一人の壁が崩れれば、その隙間を次が覗き込む。歪んだ市場ほど、報われずにいる者が多いということだ。
「あなたたちの目利きが確かなら、できます」
俺は頷いた。
「条件はリーシャと同じ。外れを混ぜないこと。嘘のない品だけを納めること。それができるなら、品を認めてくれる薬師との間に、私が橋を架けます」
「銭は……取るのか」
「ええ。あなた方の上がりから、決めた割合をいただきます。タダではやりません」
俺ははっきり言った。
「タダで救われたものは、長続きしないんです。あなた方が稼いで、私も少しもらう。互いに得をするから、この橋は落ちない」
男たちは顔を見合わせ、それから、おずおずと頷いた。
その夜、頭の中で、新しい数式が組み上がっていく。
——一人を見出す。品に値がつく。次が来る。また一人。市場が値を見誤った者を、何人も束ねて、まとめて正しい値に乗せていく。前世で、俺がやりたくてやれなかった仕事だ。誰にも評価されない客ばかり抱えていた、あの最下位の営業マンの——その続きが、ここにある。
◇
だが、橋が太くなれば、それを疎ましく思う者も出てくる。
数日後、ギルドの裏手で、俺は待ち伏せられていた。バルクだった。後ろに若頭が三人。ヨナスの姿はなかった。
「よそ者」
バルクの声は、前より冷えていた。
「ハズレを一人、組合に押し込んだ。それは掟の中の話だ。目をつぶってやった。だが今度は何をしてる。組合の採集人を、何人も、抜け駆けの直売りに誘ってるそうじゃないか」
「掟には触れていません」
俺は静かに答えた。
「組合員が、自分の薬草を誰に売るか。それは本人の——」
「掟の話をしてるんじゃない」
バルクが遮った。
「組合の屋台骨の話だ」
バルクは、一歩、距離を詰めた。
「いいか。一律で買い、皆を同じ値で扱う。それで、腕の落ちた年寄りも、運の悪い若いのも、飢えずに済んできた。お前の『品質がどうの』は、その屋台骨に楔を打つ真似だ。質に値がついた瞬間、采れる者だけが太り、采れない者は捨てられる。お前は結局、弱いやつを切り捨てる気だろう」
胸を、突かれた気がした。
——半分は、当たっている。質に値をつければ、勝つ者と負ける者が分かれる。バルクが守ろうとしているものを、安く笑うことはできない。
だが、残りの半分は違う。一律という名の平等は、いちばん腕のいい者を二年間ベンチに座らせ、いちばん腕の悪い買い手をのさばらせてきた。守られてきたのは、弱者ではない。怠ける権利のほうだ。
「あなたの言うことは、半分、正しい」
俺は答えた。
「だから約束します。私は、弱いやつを切り捨てない。腕のある者には、正しい値を。今はまだ采れない者には、采れるようになる道を。それを、これから見せます」
「け、嘘をつくな」
バルクは吐き捨てた。だが、その目に、ほんの一瞬、迷いのようなものがよぎった気がした。
「次は、掟で済まさんぞ」
低い声だった。
「覚えておけ、よそ者。お前は商売のつもりでも、おれたちにとっちゃ、これは戦だ」
四人は去っていった。
いつのまにか、リーシャが俺の後ろに立っていた。怯えてはいない。固い目で、バルクの背中を見送っていた。
「桐生さん。大丈夫、ですか」
「ああ」
俺は笑ってみせた。
「向こうが戦だと思ってくれたなら、上出来だ。本物の脅威だと、認めたってことだからね」
本心だった、半分は。残りの半分で、俺は知っていた。ここから先は、もう商談だけでは済まない。命を一枚、賭けてある。その重みが、ふいに胸の底で疼いた。
それでも、引く気はなかった。俺の側には、もう一人じゃない。リーシャがいて、ヨナスがいて、ガレオがいて、名前を取り戻し始めた者たちがいる。
「さあ」
俺はリーシャに向き直った。
「次の薬草の採り時を教えてくれ。戦は、銭がなけりゃできない」
リーシャは、初めて自分から、小さく笑った。
「——はい。明日の朝が、いちばんです」




