第7話 掟は、掟だ
組合の事務所は、ギルドの向かいにある、いかつい石造りだった。窓には鉄の格子。扉は、人ひとりぶんの重さがありそうな、樫の一枚板だ。入る者を選ぶ建物だな、と思った。
俺とリーシャが二枚の推薦状と入会金を持って扉をくぐると、奥から出てきたのは、よりによってバルクだった。
「……てめえか」
俺たちを見て、すぐに察したらしい。
「孤児のハズレを、組合に入れる気か」
「ええ。手続きに参りました」
俺は受付の台に書類を置いた。革袋の口を開け、金貨を五十枚、数えられるように並べていく。硬い音が、石の床に響いた。
「入会金、金貨50枚。組合員二人の推薦状。掟に定められた通りです」
バルクは推薦状をひったくった。署名を睨みつけ——その目が、止まった。
そこに並んだ名を、彼は知っていた。一枚はヨナス。もう一枚は、干された老採集人のガレオ。
バルクの顔が、ゆっくりと朱に染まっていく。後ろに控えた若頭のなかで、ヨナスが目を伏せた。気配を殺すように、半歩、下がる。
「ヨナス。てめえ……」
「待ってください」
俺は間に入った。バルクの視線がヨナスに突き刺さる前に。
「誰を推薦するかは、組合員の権利でしょう。掟のどこに、若頭の許しがいると書いてありますか。書いていないなら、彼は何も破っていない」
バルクの拳が震えた。殴りたい、という衝動が、はっきり伝わってきた。丸太のような腕に、血管が浮く。だが、その拳は止まった。
止めたのは、後ろの白髪の事務官だった。
「手続きは揃っている」
事務官は、帳面から顔も上げずに、淡々と言った。長年この台の向こうで掟を捌いてきた男の、感情のない声だった。
「金も推薦状も掟の通りだ。これを撥ねれば、掟そのものが意味をなさなくなる。バルク、お前がいちばん、それを言ってきたんじゃないのか。掟は、掟だ、と」
バルクの顔が、朱から、別の色に変わった。
掟は、掟だ。新参者を、孤児を、ハズレをはねるために、彼らが振りかざしてきた言葉。その同じ言葉が、今、彼らの手を縛っていた。そして同じ言葉が、ヨナスの「推薦する権利」も守っている。バルクは、裏切り者を罰する筋さえ、掟に奪われていた。
——カルテルの鎧は、外から殴ってもびくともしない。だが、その鎧は、自分たちの掟という鋲で留められている。鋲を内側からひとつ外すだけで、隙間ができる。俺がやったのは、それだけだ。
バルクは長いこと俺を睨んでいた。それから、絞り出すように言った。
「お前は、何もわかってない」
その声には、怒りとは別の、苦いものが混じっていた。
「一律で買う。等級を見ない。それを、ただの怠けだと思ってるんだろう。違う」
バルクは、台に並んだ金貨を、見もしなかった。
「腕で値がつくようになったら、どうなる。歳を取って手元の鈍った爺さんや、生まれつき運の悪い若いのが、真っ先に買い叩かれて、飢える。昔、それで冬を越せずに死んだ仲間を、おれは何人も見てきた。だから組合は、誰の薬草も同じ値で買うと決めた。皆を同じ値で買うから、誰ひとり見捨てずに済んできたんだ」
意外な言葉だった。この男は、ただ既得権にしがみついているのではない。彼なりに、弱い者を守っているつもりなのだ。歪んだやり方で、けれど、本気で。
——ふと、ガレオを思い出した。山を下りた、あの老人を。バルクの言う「守られる弱者」の中に、あの人は、入っていなかった。
「ご立派な志だ」
俺は静かに答えた。
「だが、その仕組みは、いちばん腕のいい採集人から飢えさせている。この娘を、二年間。あなたが守ってきた一律買取に、この子の居場所は、ありましたか」
バルクは答えなかった。答えられなかった、というほうが近いかもしれない。
事務官が、銅の小さな札を台に置いた。組合員の証だった。
「リーシャさん。ここに、名前を」
リーシャは、台の前に進んだ。震える手でペンを取り、名簿の空いた行を見つめる。その一行に自分の名を書くことが、どれほど遠かったか——二年間ベンチに座り続けた彼女には、俺なんかより、ずっとよく分かっているはずだった。
リーシャ、と、彼女は書いた。
二年間、誰にも呼ばれなかった名前が、組合の名簿に刻まれた。彼女は銅の札を両手で受け取った。ずっと壊れ物のように扱われてきた娘が、初めて、世界から確かな形のものを手渡された。
「私……組合員に、なれたんですか」
「なれたよ」
俺は頷いた。
「もう誰も、きみを追い払えない」
リーシャの目から、涙がこぼれた。今度は、悲しみの涙ではなかった。札を握る指に、力がこもる。落とさないように。誰にも奪われないように。
バルクは何も言わず、奥へ消えた。去り際、その視線がヨナスを、ひと刺ししていった。短いが、確かな一刺しだった。
——もう、知られている。掟がヨナスを罰から守っているとはいえ、それは表向きの話だ。バルクのやり方は、掟の外にもあるだろう。ヨナスを守る次の手を、急がなければならない。
だが、それは今日の仕事ではなかった。今日はただ、二年ぶりに、ひとりの娘が世界に居場所を得た。それで、十分な一日だった。




