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第4話 担保のない男

 ザイラスの店は、ギルドから少し離れた、石造りの建物だった。


 中に入ると、薄暗い。壁という壁に棚が組まれ、そのすべてに帳簿が詰まっている。墨と、古い紙の匂い。窓は小さく、昼だというのに蝋燭が一本だけ灯っていた。光すら惜しむ。そういう男の店だった。


 奥の机に、痩せた男が座っていた。歳は五十くらいか。落ちくぼんだ目だけが、入ってきた俺たちを素早く値踏みした。客の懐の中身を、一目で勘定する目だ。前世でも、何人も見てきた。


「客か。金を借りに来たなら、用件を先に言え。世間話の時間は、売り物でね」


「桐生隼人と申します。お借りしたくて参りました」


「で、担保は」


 挨拶も、座る間もなかった。ザイラスは羽根ペンを置きもせず、それだけを聞いた。


「土地か、家か、商品か。何を置いていく。言っておくが、私は慈善家じゃない。担保のない金は、一文も動かさん」


 俺は、隣のリーシャを机の前へそっと促した。


「担保なら、あります。彼女が、これから稼ぐお金です」


 ザイラスの手が止まった。それから、ようやく羽根ペンを置いた。


「……未来の金だと?」


 初めて、その口元が歪んだ。笑ったのだ。


「頭は大丈夫か、お前さん。まだ稼いでもいない金を、担保と呼ぶ国があるか」


「私のいた国には、ありました。人の将来の稼ぎに、今、値段をつける。それを元手に金を動かす。ごく当たり前の商いでした」


 ——通じないのも、無理はない。この街に、まともな金貸しはこの男ひとり。銀行も、為替も、何人かで金を出し合う仕組みもない。金は、持つ者の蔵で眠るだけで、誰かの明日のために働きに出ることがない。前世なら当たり前だった仕組みが、ここにはごっそり抜け落ちている。裏を返せば——俺の知っている商いは、この世界ではまるごと新品だ。


「ほら吹きか、夢見がちな阿呆か」


 ザイラスは椅子の背にもたれた。値踏みの目は、もう俺から離れている。話は終わりだ、という構えだった。


「で、その娘が、どうやって金を稼ぐ。スキルは何だ」


「植物の声が聞こえる、というものです」


「ハズレだな」


 即答だった。


「知ってる。この街の人間なら、みんな知ってる。声が聞こえたところで、銅貨一枚にもならん」


 ここだ。俺は、リーシャに小さく頷いてみせた。


 彼女は一瞬、迷うように俺を見て、それから革袋から聖薬草を一本取り出した。蝋燭の灯りに、青白い葉がぼんやりと浮かぶ。


「これ……新月の、聖薬草です」


 リーシャの声は震えていた。けれど、薬草を持つ指は震えていなかった。


「ザイラスさん。これ、いつ採ったものか、当ててみてください」


 ザイラスの眉が、片方だけ上がった。商人として、薬草の目利きには覚えがあるのだろう。値踏みの相手が、客から薬草に変わった。手に取り、灯りにかざし、断面を嗅ぐ。


「……二日前。いや、三日前か。悪くない品だ」


「五日前の、新月の夜です」


 リーシャは静かに言った。


「日付は、葉の裏の、露の跡の数で分かります。夜露が乾くたびに、薄い輪がひとつ増える。これは、五つ」


 ザイラスが、葉の裏に目を凝らした。


「それと、この一本は、東向きの斜面で、苔と一緒に生えていたものです。苔のそばの聖薬草は、根が湿り気を分けてもらえるぶん、効きが一段強くなる。だから、五日経っても、あなたが三日前と思うくらい、若く見えるんです」


 店の中が、静かになった。


 ザイラスは、聖薬草とリーシャの顔を交互に見ていた。痩せた指が、断面をもう一度なぞる。それから、革袋からもう一本出させて、確かめるように嗅いだ。今度は、年も、生えていた場所も、口にしなかった。言えなかった、というほうが近い。


「……苔のそば、だと」


 低く呟いた。


「この仕事をはじめて四十年、いろんな話が俺の耳には入ってくるが、そんな話は聞いたことがない」


「植物が、教えてくれるんです」


 リーシャは革袋を抱え直し、目を伏せた。喋りすぎた、と思ったのだろう。けれど、もう遅い。この店でいちばん薬草に詳しい男が、たった今、この娘に目利きで負けたのだ。


 俺は、机の上に指を一本置いた。


「彼女の聖薬草は、品質を保証して正規に卸せば、銀貨10枚になります。けれど今、組合員じゃないから、密売で銅貨30枚にしかできない。三十倍以上の差です」


 ザイラスは、答えなかった。聞いている。それが、答えだった。


「この差は、彼女の薬草の質が悪いからじゃない。たった今、ご覧になった通りだ。質はむしろ、この店に来るどの品より上でしょう。差を生んでいるのは、組合という壁です。壁を越えさせれば、この差はそっくり利益に変わる」


 ザイラスの目つきが、変わっていくのが分かった。よそ者を見下す侮蔑の色が薄れ、代わりに浮かんだのは、算盤の光だった。この男は今、頭の中で桁を弾いている。三十倍。その数字を、何度も転がしている。


「……入会金の、金貨50枚か」


「ええ。お借りしたいのは、金貨65枚」


 俺は続けた。


「内訳をお話しします。組合の入会金が50枚。推薦状を二人ぶん買うのに、10枚。残りの5枚は、彼女が初めての薬草を正規に卸せるまでの、二人の食い扶持です」


「……ずいぶん、こまかいな」


「どんぶり勘定で借りた金は、どんぶり勘定で消えます。一枚ずつ、使い道の決まった金しか、私は借りません」


 それは、前世で、嫌というほど客に言ってきた言葉でもあった。使い道のない金を借りる者から、先に沈んでいく。十年見てきて、そこだけは外れたことがない。


 ザイラスは、しばらく俺を見ていた。それから、指で机を一度だけ叩いた。


「面白い話だ。認めてやる。だが、お前さん、肝心なところを抜かしてる」


 その声に、再び冷たさが戻った。


「その娘が、逃げたら? 病で死んだら? 未来の金とやらは、煙になる。担保が煙なら、私の貸した金も煙だ。——保証は、どうする」


 正しい問いだった。金貸しとして、当然の。


「保証人を、立てます」


「ほう。誰だ」


「私です」


 ザイラスは、たっぷり一拍置いた。それから、初めて声を出して笑った。乾いた、短い笑いだった。


「お前さん。数日前に、どこからともなく現れた、身一つのよそ者だろう。土地もない、家もない、後ろ盾もない。素性も知れん。——そんなお前の保証に、いったい、何の値打ちがある」


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