第3話 組合の壁
あれから、数日が過ぎた。
リーシャと覚書を交わしたその足で、すぐザイラスのもとへ——とは、いかなかった。金貸しに「金を貸せ」と頭を下げるだけなら、誰でもできる。それでは足元を見られて終わりだ。借りる前に、この街の仕組みを隅々まで掴んでおく必要があった。
幸い、寝る場所には困らなかった。ガロウが受付に話を通してくれたのだ。その夜、俺は礼も兼ねて、ガロウのおごりのエールを前に、片端から質問をぶつけた。
「ガロウさん。ひとつ教えてください。この街には、水を汲む道具も、布を織る機械も見当たらない。みんな手作業だ。なぜです」
「機械? ああ、怪しい研究者たちが作ってるやつか……お前は毎度妙なことを聞くな」
ガロウはエールを呷った。
「いらんのだよ、そんなもの。水汲みなら、水を操るスキル持ちが井戸番をやってる。布なら、糸を操る婆さんが一人いれば、村ひとつぶんを織る。重い荷は、力自慢が担ぐ。機械なんぞこねくり回さなくても、魔法やスキルが片づけちまう」
なるほど、と思った。
——魔法が機械の代わりをしている。だから機械が育たなかった。前世の人間が何百年もかけて発明したものを、この世界は生まれつきの才能で飛び越してしまった。
便利な話だ。ただし、その才能を持って生まれた者にとっては、の話だが。
「じゃあ、スキルを持たない人や、ハズレを引いた人は」
「自分の手でやるしかない。水を汲んで、薪を割って、汗をかく」
ガロウは肩をすくめた。
「15で適性審査を受けて、アタリを引きゃ一生楽に稼げる。ハズレなら——まあ、あのベンチの娘みたいになる」
「適性審査」
「知らんのか、あんた。15になると、誰でも一度、神官に視てもらう。どんなスキルを授かったか鑑定するんだ。火を出すとか、傷を治すとか、いいのを引きゃ食うに困らん」
傷を、治す。俺はその言葉に引っかかった。
「治癒のスキルは、珍しいんですか」
「滅多にいない。だから病人も怪我人も、たいていは薬師の世話になる。で、薬師が使うのが——」
「薬草、ですか」
「そういうことだ」
頭の中で、線がつながった。
——この世界には、薬を"作る"技術がない。化学も工場もない。だから、薬の元になる薬草そのものに人の命がかかっている。治す才能を持つ者は一握りで、残りの人間の健康は、ぜんぶ土から生える草に委ねられている。
その草の流通をまるごと握っているのが、採集人組合だ。
——医療を人質に取ったカルテル。これは想像以上に根が深い。
「ガロウさんは、アタリだったんですか」
「俺か? 『腕力増強』だ。可もなく不可もなく、傭兵にはちょうどいい」
ガロウは笑って、それからふと俺を見た。
「そういうあんたは、何のスキル持ちだ。さっきから、やけに物を知ってる口ぶりだが」
「私は受けていないんです。適性審査を」
「は? 15はとっくに過ぎてるだろう」
「私のいた国には、その儀式がなかったので」
嘘ではなかった。神官に視てもらったことなど、一度もない。
ふと考えた。もし今、この世界の神官に鑑定されたら、俺には何が映るのだろう。「無」と出るのか。それとも、読めないと言われるのか。あるいは——。
頭の隅に置いておくことにした。今は、それよりやることがある。
「もうひとつだけ。薬草を採っても組合に売れない者は、どうやって食ってるんですか」
「裏で密売人に売る。市場の十分の一で買い叩かれてな。その密売人も、組合の息がかかってる」
ガロウは声を低くした。
「採る者も、売る者も、買う者も、ぜんぶ組合の掌の上だ。あんた、まさか、あの娘でそこに割って入る気じゃ——」
「半分は、当たりです」
俺はエールを一口含んだ。
「ですが今はまだ、入り口を探しているだけですよ」
ここまで聞ければ、十分だった。
◇
翌日、俺はひとつ、危ない橋を渡った。組合員の一人に、それとなく声をかけたのだ。リーシャに推薦状を書く気はないか、と。相手は鼻で笑って立ち去った。それでよかった。試したのは、相手の答えじゃない。組合の網の目の、伝わる速さだ。
案の定だった。
その日の夕方、ギルドの扉が、外から勢いよく開いた。
四人の男が、入口を塞ぐように立っていた。先頭の大男は、丸太のような腕を組んでいる。革の上着に、組合の徽章。
「おい、よそ者」
大男が言った。
「妙な話を聞いた。ハズレのリーシャに推薦状を書かせようと、嗅ぎ回ってるやつがいるとな」
リーシャが、俺の後ろで息を呑んだ。この数日、彼女は俺のそばを離れなかった。革袋を抱える手が固くなる。ガロウが慌てて前に出ようとしたので、それを手で制した。
——三日。声をかけてから、ここへ来るまで、たった三日。情報は組合の中を、水みたいに流れている。
「採集人組合の方ですね。ちょうど、お会いしたかったんです」
大男が、わずかに眉を動かした。脅しに来た相手が、怯えるどころか、待っていたように応じたからだろう。
「お会いしたかった、だと?」
「桐生隼人と申します。失礼ですが、お名前を」
「……バルクだ。組合の若頭をやってる」
バルクは、組んだ腕を解かなかった。
「名乗ったところで、何も変わらん。掟は掟だ。入会金、金貨50枚。組合員二人の推薦状。それのないやつは組合員になれん。孤児のハズレなら、なおさらだ」
「ええ。その推薦状の件で、お会いしたかったんです」
俺は一歩、前に出た。四人の視線が、いっせいに集まる。
「推薦状は、買えますか」
一瞬、誰も言葉の意味を掴めなかったようだった。
「……何だと?」
「組合員のどなたかに、リーシャさんの推薦状を書いていただきたい。お一人につき金貨5枚、お支払いします」
ギルドのざわめきが、ふと引いた。バルクの後ろの三人のうち、いちばん若い男の喉が、こくりと動いた。金貨5枚。その額を口の中で繰り返したのが、見えた気がした。
——一人。四人いれば、取り分に不満を持つ者が、たぶん一人はいる。掟で守られた組合の、その内側に。前世で嫌というほど見てきた構図だ。
「組合のためのお願いじゃありません」
俺は、その若い男のほうをあえて見ないようにして言った。
「推薦状は、組合が書くものじゃない。書くのは、組合員のあなた方、お一人おひとりだ。つまり——あなた個人の、お話なんです」
バルクの顔から、笑みが消えた。今のは、まずいところに触れたらしい。組合の結束の、いちばん触れてはいけない一点に指を伸ばした。
バルクが、ぬっと距離を詰めた。俺の胸ぐらを片手で掴み上げる。爪先が、わずかに床から浮いた。
「桐生さん!」
リーシャが、悲鳴のような声を上げた。
「よそ者」
バルクの声は、低かった。
「組合を内側から割る気か。金もないくせに、口だけは達者だな。その金貨5枚、今ここに出してみせろ」
出せなかった。今の俺には、銅貨一枚もない。
「……ないんだろう」
バルクは俺を放した。たたらを踏む俺を見下して、笑った。
「夢を見るのは勝手だ。だが、その夢にその娘を巻き込むな。リーシャ。お前の居場所は、そこのベンチだけだ。妙な男に乗せられて、それすら失くすなよ」
四人は嘲るように笑って、ギルドの奥へ消えていった。若い男だけが、去り際にもう一度こちらを振り返った。その目には、さっきの金貨5枚が、まだ揺れて残っていた。
俺は、乱れた襟を直しながら息を整えた。
「桐生さん、大丈夫、ですか」
リーシャが、おそるおそる俺の袖に触れた。
「うん。殴られなかっただけ、上出来だ」
俺は少しだけ笑ってみせた。
「それに、収穫があった」
「収穫……?」
「あの若い人。名前は知らないけど」
俺は、四人が消えた奥を見やった。
「あの人は、組合の取り分に満足していない。金貨5枚に、目が動いた。いつか、こちら側に来てくれる人かもしれない」
リーシャは、信じられないという顔で俺を見た。胸ぐらを掴まれた直後に、もう次の手を読んでいる男を。
「でも、その前に」
俺は、襟を正しきって言った。
「金貨50枚の入会金に、推薦状の代金。それに、しばらくの食い扶持。ざっと、金貨65枚は要る。何もかも、そこからだ」
殴り込まれて、はっきりした。組合は、リーシャを本気で潰しにかかる。なら、こちらも本気の金を用意するしかない。
「ザイラスさんのところへ行こう」




