第28話 落とし前
寄り合いまでの日々は、静かに過ぎた。
選り場には、等級の札が並び始めた。ミレナの書いた基準を、ガレオが手と目の言葉に直して、婆さんたちに仕込んでいく。戸口で眺めるだけだった年寄りが、一人、また一人と、中に入るようになった。
票の感触は、悪くない。ヨナスの耳にも、テオの読みにも、風向きは出ている。
一度だけ、ミレナが前触れなく選り場に現れた。挨拶もそこそこに、札の付いた束を勝手に三つ選び、葉を一枚ずつ確かめていく。選り台の婆さんたちは、息を詰めてその手元を見守った。
「……いいでしょう」
ミレナはそれだけ言って、帰っていった。
戸が閉まったとたん、婆さんたちが一斉に息を吐いた。ガレオが、にやりと笑った。
「いまのが、等級ってやつだ。誰かが抜き打ちで確かめに来る。だから、値が信じてもらえる」
静かすぎるのが、気になった。
「ドレンの声が、ぱたりと止んだ」
ヨナスが言った。
「吠えてるうちは、まだいい。静かになった犬が、いちばん嫌だ」
◇
寄り合いを二日後に控えた、夜のことだった。
真夜中、戸を激しく叩く音で起こされた。マルコだった。
「納屋だ! 火を付けられかけた——」
駆けつけたとき、騒ぎはもう終わりかけていた。
納屋の前で、ガロウが男を一人、地面に組み伏せていた。少し離れて、もう一人が縄で転がされている。三人目を膝で押さえているのは、ヨナスだった。
戸口の脇の壁板が黒く焦げて、まだ薄くくすぶっている。足元には、油の壺が転がっていた。
「火付けだ」
ガロウが、男の腕を捻り上げたまま言った。
「壁に油を撒いてるところを、押さえた。——上がった賃金の分は、働いたろう」
「……充分すぎます」
組み伏せられた男が、顔を上げた。痩せて、目の落ちくぼんだ顔。間近に見るのは初めてだった。若頭の、ドレン。
「離せ……よそ者が。よそ者の分際で」
それだけだった。演説も、理屈もない。ただの火付けだった。
納屋の中では、テオが控えの束をあらためていた。
「端が少し焦げた。……写しがある。朝までに引き直せる」
二冊に分けておいた帳面が、初めて命拾いの仕事をした。荷と紙。ドレンが狙ったのは、その二つだ。等級も積み立ても、燃えてしまえば絵空事になる。敵ながら、急所は正しく見えていた。
遅れて駆けつけたリーシャが、納屋を一目見て、裏手へ回った。畑だ。
戻ってきたとき、その顔から力が抜けていた。
「芽は、無事です。……でも、この子たち、怖がってます。土の下まで、煙のにおいが届いたって」
「明日には、抜ける」
「はい。そう、伝えました」
騒ぎを聞きつけた選り場の年寄りたちも、夜着のまま集まってきていた。焦げた壁を見る目が、ひとつ残らず険しい。あの壁は、もう俺たちだけの壁ではないらしかった。
人垣の向こうから、大きな影が割って入ってきた。
バルクだった。
夜着のまま、肩で息をしている。焦げた壁を見て、油の壺を見て、最後に、地面のドレンを見た。
「……ドレン」
声が、低かった。
「バルク、違う。これは組合のためだ。あの紙が通れば、組合は終わる。だから——」
「黙れ」
一喝で、ドレンの言葉は途切れた。
バルクはガロウに目をやり、それから、俺を見た。
「……町の咎人として、突き出すか。火付けだ。それだけのことを、された側だ」
「いえ」
俺は、首を振った。
「組合の人です。組合に、お任せします」
バルクの目が、わずかに見開かれた。それから、何かを噛みしめるように顎が動いた。
「——組合の恥は、組合が拭う」
バルクはドレンの縄を掴み、引き起こした。
「沙汰は、わしが発議する。事務官の前でだ。……覚悟しておけ、ドレン。お前が好きに振り回してきた掟は、こういう時のためにあるんだ」
それから、集まった年寄りたちをぐるりと見回した。
「皆も、見ての通りだ。これが組合のやり方であって、たまるか。——沙汰は隠さん。明るみでやる」
大男は捕り物の三人を引き連れて、夜の中へ歩き去った。その背中を、俺は黙って見送った。
掟で勝つ、と言った男の言葉は、嘘ではなかった。そして、隠さずにやると言った。あの男はもう、半分、新しい掟の中の言葉で喋っている。
◇
夜が明けて、ヨナスが報せを持ってきた。
「ドレンは、除名だ。バルクが発議して、事務官が認めた。立ち会った連中も、誰一人、庇わなかった」
「ドレンは、何か言いましたか」
「最後まで『組合のためだ』と言ってたよ。誰の心にも、届かなかったがな」
ヨナスは、肩をすくめた。
「組合のため、組合のためと言いながら、組合の若い者から上前をはねてきた男だ。皆、知ってたのさ。口に出さなかっただけで」
「手下の二人は」
「買取停止と、罰金。……それとな」
ヨナスは、妙な顔をした。
「バルクのやつ、あの案の紙を、懐に入れて歩いてるらしい。出しちゃ読み、出しちゃ読みしてるもんだから、折り目が擦り切れてきてるとよ」
「……そうですか」
「嬉しそうだな」
「いえ」
頬が緩んでいたなら、直しておく。読み込まれた紙ほど、強いものはない。前世で、何百枚も提案書を突き返されてきたから分かる。突き返されない紙は、もう半分、相手の物だ。
焦げた壁板は、朝のうちにガレオと爺さんたちが張り替えた。手伝いを申し出た俺は、婆さんに追い払われた。
「あんたは紙の仕事をしな。壁は、うちの壁だからね」
新しい板の色だけが、壁の中でそこだけ明るい。
「いい色だ」
ガレオが言った。
「新しい板ってのは、目立つ。……それで、いいのさ」
夕方、テオが台帳を閉じて、珍しく票読みの紙を出さなかった。
「読みは、言わない」
「どうして」
「明日のは、外れてほしい読みじゃなくて、当たってほしい読みだ。……願いを足しそうになるから、数えない」
寄り合いは、明日だ。




