表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
25/30

第25話 寄り合い

 集会所の窓に、油灯の明かりが並んでいた。


 組合員たちが、一人また一人と戸をくぐっていく。リーシャ、ペトル、マルコ。ガレオは選り場の婆さんと爺さんたちを連れて、いちばん最後に入った。


 俺は、入れない。


 組合員でない者は、寄り合いに立ち入れない。掟だ。この街に来てから、嫌というほど学んだ言葉だった。


「あー、もう。中の声、ちっとも聞こえやしない」


 ハンナが戸の前を行ったり来たりしている。テオは壁にもたれて、動かない。


「票は、数えたら終わりだ。外でうろうろしても、増えない」


「分かってるよ。分かってて、うろうろしてんの」


 テオは、それきり黙っていたが、しばらくして、ぼそりと言った。


「言っとくけど、おれの読みじゃ、まだ負けだからな」


「知ってる」


「……外れてほしい読みなんて、初めてだ」


 俺は、暗い広場の隅に立っていた。


 ——前世でも、こうだった。俺の解雇を決めた会議に、呼ばれなかった。決定はいつも、ドアの向こうから来た。


 今夜も、外にいる。


 ただ、今夜は違う。ドアの向こうに、俺の見つけた人たちがいる。



 ◇



 リーシャは、集会所の後ろの壁際に立っていた。


 油灯の煙と、年寄りの咳と、低いざわめき。二年間ベンチに座っていたギルドとは、別の建物だ。組合員証を持って、この戸をくぐるのは、今夜が初めてだった。


 正面の台に、白髪の事務官が立った。


「議題はひとつ。掟の改定だ」


 紙を広げ、感情のない声で読み上げる。


「——組合を通さない売り買いは、相手が誰であれ、掟破りとする。この一文を、掟に加えるか否か」


 バルクが、立ち上がった。


「皆、知っての通りだ」


 大男の声は、怒鳴ってもいないのに部屋の隅まで届いた。


「わしらの組合は、腕の立つやつのためにあるんじゃない。山に入れなくなった親父たちと、連れ合いを亡くした婆さんたちと、まだ腕の上がらん若いのと——全員で食うためにある。だから一律買取がある。皆を同じ値で、最後まで買う」


 年寄りたちが、深くうなずくのが見えた。


「直売りを許せば、目利きと銭のあるやつだけが太る。残りは、痩せた籠を抱えて捨てられる。わしは、それを許さん。——以上だ」


 嘘のない声だった。だから、怖かった。


 事務官が、部屋を見渡した。


「述べたい者は」


 リーシャの膝が、震えた。


 革袋の中で、聖薬草が言った。


 ——『ほら、あんたの番よ。二年も座ってたんだから、今が立つ時よ』


 リーシャは、手を挙げた。


「……リーシャです。『植物の声が聞こえる』の、リーシャです」


 部屋中の目が、こちらを向いた。二年間、誰にも向けられなかった目が。


 ベンチの二年間、覚えているのは人の顔ではなく、足ばかりだった。目の前を通り過ぎていく、誰のものとも知れない足。顔を上げても、誰もこちらを見ていなかったから。


 いま、全員がこちらを見ている。怖い。怖いが——見られない二年間のほうが、ずっと怖かった。


「私は二年、ギルドのベンチに座っていました。掟は、私を守ってくれませんでした。……でも、バルクさんの『守る』が嘘だとは、思いません」


 バルクの眉が、わずかに動いた。


「ただ、聞いてほしいんです。選り場で働いたお婆さんが、籠ひとつ銅貨5枚の手間賃を受け取るのを見ました。帳面に、自分の名前が載るのも。守られて生きるのと、働いて値がつくのは、違いました。顔が、違ったんです」


 声が震えた。それでも、最後まで言った。


「間違っているのは、私たちじゃありません。……値段のほうです」


 部屋の真ん中あたりで、しわがれた声が上がった。


「……銭をもらえるのは、いまだけだろう」


 振り向くと、痩せた年寄りが、すがるような目をしていた。


「そのよそ者が飽きたら、消えたら、どうなる。わしらにはもう、組合しかないんだ」


 バルクと、同じ問いだった。リーシャは、息を整えた。


「約束は、できません」


 正直に言うしかなかった。


「でも、あの帳面は、誰でも見られます。銭の出どころも、行き先も、全部。……嘘が混じったら、すぐに分かります。私たちに約束できるのは、隠さないことだけです」


 年寄りは、何も言わずに座った。納得した顔ではなかった。それでも、目だけは逸らさなかった。


 ガレオが立った。


「わしは四十年山を歩いて、足をやって、干された。掟がわしに何をくれたかは、皆が知ってる」


 しわがれた声が、低く響いた。


「選り場は、わしに仕事をくれた。それだけ言いに立った」


 選り場の婆さんが、おずおずと立ち上がり、布きれの包みを掲げた。


「あたしゃ、難しいことは分からないよ。けど、亭主が死んでから初めて、薬草で銭をもらったんだ。誰かの世話じゃなく、あたしの手間賃をだよ」


 最後に、ヨナスが立った。


「一律買取が守ってるのは誰の暮らしか、一度くらい、帳面で確かめてみたらどうだ。——おれたちの組合は、それを見せてくれたことがあったか」


 事務官が、紙を置いた。


「採決する。改定に、賛成の者」


 手が挙がった。多い、とリーシャは思った。怯えた顔のまま挙がっていく手は、ひとつひとつが重かった。


「反対の者」


 ペトルが挙げ、マルコが続いた。ガレオ、ヨナス、婆さんと爺さんたち。


 そして——戸口の近くで、見覚えのある顔が、ためらいながら手を挙げた。選り場を半日、黙って眺めて帰った年寄りたちだった。ひとつ、またひとつ、迷っていた手が挙がる。


 事務官は無言で数え、眉ひとつ動かさず、もう一度数え直した。


「——改定は、成らない」


 部屋が、静まり返った。


「掟は、変わらない。以上だ」


 歓声は、なかった。賛成に手を挙げた年寄りたちは、安堵ではなく不安の顔のまま、のろのろと立ち上がった。


 バルクは、長いこと動かなかった。それから、低く言った。


「……掟は、掟だ」


 それ以上は、何も言わなかった。



 ◇



 戸が開いて、人々が黙って出てきた。


 リーシャがまっすぐこちらへ歩いてくる。その顔を見て、結果より先に、胸の奥が緩んだ。


「……否決、です。差は、ほんの少しでした」


「言えたんだな。本当のことを」


「はい」


 ハンナが飛びついて、リーシャを抱きしめた。


「あんた、やったねえ」


「く、苦しいです」


 テオが、ふいと横を向いた。


「……読みが、外れた」


「悔しいか」


「初めて、嬉しいよ」


 勝鬨は、どこからも上がらなかった。当然だと思う。組合は割れた。怯えた顔は、怯えたまま家路についていく。票で勝っても、あの怯えは消えない。


 最後に、バルクが出てきた。


 俺は、歩み寄った。


「バルクさん」


 大男は足を止め、無言でこちらを見下ろした。


「次の寄り合いに、こちらから掟の案を出します。采る者にも、采れない者にも、同じ仕組みの中で食える掟を。——あなたの言う『守る』を、入れた掟を」


 バルクは、長いことこちらを見ていた。


「……見せてみろ」


 それだけ言って、夜の中へ歩き去った。


 掟の隙間で勝つ時代が、今夜で終わった。


 明日から、掟を作る。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ