第25話 寄り合い
集会所の窓に、油灯の明かりが並んでいた。
組合員たちが、一人また一人と戸をくぐっていく。リーシャ、ペトル、マルコ。ガレオは選り場の婆さんと爺さんたちを連れて、いちばん最後に入った。
俺は、入れない。
組合員でない者は、寄り合いに立ち入れない。掟だ。この街に来てから、嫌というほど学んだ言葉だった。
「あー、もう。中の声、ちっとも聞こえやしない」
ハンナが戸の前を行ったり来たりしている。テオは壁にもたれて、動かない。
「票は、数えたら終わりだ。外でうろうろしても、増えない」
「分かってるよ。分かってて、うろうろしてんの」
テオは、それきり黙っていたが、しばらくして、ぼそりと言った。
「言っとくけど、おれの読みじゃ、まだ負けだからな」
「知ってる」
「……外れてほしい読みなんて、初めてだ」
俺は、暗い広場の隅に立っていた。
——前世でも、こうだった。俺の解雇を決めた会議に、呼ばれなかった。決定はいつも、ドアの向こうから来た。
今夜も、外にいる。
ただ、今夜は違う。ドアの向こうに、俺の見つけた人たちがいる。
◇
リーシャは、集会所の後ろの壁際に立っていた。
油灯の煙と、年寄りの咳と、低いざわめき。二年間ベンチに座っていたギルドとは、別の建物だ。組合員証を持って、この戸をくぐるのは、今夜が初めてだった。
正面の台に、白髪の事務官が立った。
「議題はひとつ。掟の改定だ」
紙を広げ、感情のない声で読み上げる。
「——組合を通さない売り買いは、相手が誰であれ、掟破りとする。この一文を、掟に加えるか否か」
バルクが、立ち上がった。
「皆、知っての通りだ」
大男の声は、怒鳴ってもいないのに部屋の隅まで届いた。
「わしらの組合は、腕の立つやつのためにあるんじゃない。山に入れなくなった親父たちと、連れ合いを亡くした婆さんたちと、まだ腕の上がらん若いのと——全員で食うためにある。だから一律買取がある。皆を同じ値で、最後まで買う」
年寄りたちが、深くうなずくのが見えた。
「直売りを許せば、目利きと銭のあるやつだけが太る。残りは、痩せた籠を抱えて捨てられる。わしは、それを許さん。——以上だ」
嘘のない声だった。だから、怖かった。
事務官が、部屋を見渡した。
「述べたい者は」
リーシャの膝が、震えた。
革袋の中で、聖薬草が言った。
——『ほら、あんたの番よ。二年も座ってたんだから、今が立つ時よ』
リーシャは、手を挙げた。
「……リーシャです。『植物の声が聞こえる』の、リーシャです」
部屋中の目が、こちらを向いた。二年間、誰にも向けられなかった目が。
ベンチの二年間、覚えているのは人の顔ではなく、足ばかりだった。目の前を通り過ぎていく、誰のものとも知れない足。顔を上げても、誰もこちらを見ていなかったから。
いま、全員がこちらを見ている。怖い。怖いが——見られない二年間のほうが、ずっと怖かった。
「私は二年、ギルドのベンチに座っていました。掟は、私を守ってくれませんでした。……でも、バルクさんの『守る』が嘘だとは、思いません」
バルクの眉が、わずかに動いた。
「ただ、聞いてほしいんです。選り場で働いたお婆さんが、籠ひとつ銅貨5枚の手間賃を受け取るのを見ました。帳面に、自分の名前が載るのも。守られて生きるのと、働いて値がつくのは、違いました。顔が、違ったんです」
声が震えた。それでも、最後まで言った。
「間違っているのは、私たちじゃありません。……値段のほうです」
部屋の真ん中あたりで、しわがれた声が上がった。
「……銭をもらえるのは、いまだけだろう」
振り向くと、痩せた年寄りが、すがるような目をしていた。
「そのよそ者が飽きたら、消えたら、どうなる。わしらにはもう、組合しかないんだ」
バルクと、同じ問いだった。リーシャは、息を整えた。
「約束は、できません」
正直に言うしかなかった。
「でも、あの帳面は、誰でも見られます。銭の出どころも、行き先も、全部。……嘘が混じったら、すぐに分かります。私たちに約束できるのは、隠さないことだけです」
年寄りは、何も言わずに座った。納得した顔ではなかった。それでも、目だけは逸らさなかった。
ガレオが立った。
「わしは四十年山を歩いて、足をやって、干された。掟がわしに何をくれたかは、皆が知ってる」
しわがれた声が、低く響いた。
「選り場は、わしに仕事をくれた。それだけ言いに立った」
選り場の婆さんが、おずおずと立ち上がり、布きれの包みを掲げた。
「あたしゃ、難しいことは分からないよ。けど、亭主が死んでから初めて、薬草で銭をもらったんだ。誰かの世話じゃなく、あたしの手間賃をだよ」
最後に、ヨナスが立った。
「一律買取が守ってるのは誰の暮らしか、一度くらい、帳面で確かめてみたらどうだ。——おれたちの組合は、それを見せてくれたことがあったか」
事務官が、紙を置いた。
「採決する。改定に、賛成の者」
手が挙がった。多い、とリーシャは思った。怯えた顔のまま挙がっていく手は、ひとつひとつが重かった。
「反対の者」
ペトルが挙げ、マルコが続いた。ガレオ、ヨナス、婆さんと爺さんたち。
そして——戸口の近くで、見覚えのある顔が、ためらいながら手を挙げた。選り場を半日、黙って眺めて帰った年寄りたちだった。ひとつ、またひとつ、迷っていた手が挙がる。
事務官は無言で数え、眉ひとつ動かさず、もう一度数え直した。
「——改定は、成らない」
部屋が、静まり返った。
「掟は、変わらない。以上だ」
歓声は、なかった。賛成に手を挙げた年寄りたちは、安堵ではなく不安の顔のまま、のろのろと立ち上がった。
バルクは、長いこと動かなかった。それから、低く言った。
「……掟は、掟だ」
それ以上は、何も言わなかった。
◇
戸が開いて、人々が黙って出てきた。
リーシャがまっすぐこちらへ歩いてくる。その顔を見て、結果より先に、胸の奥が緩んだ。
「……否決、です。差は、ほんの少しでした」
「言えたんだな。本当のことを」
「はい」
ハンナが飛びついて、リーシャを抱きしめた。
「あんた、やったねえ」
「く、苦しいです」
テオが、ふいと横を向いた。
「……読みが、外れた」
「悔しいか」
「初めて、嬉しいよ」
勝鬨は、どこからも上がらなかった。当然だと思う。組合は割れた。怯えた顔は、怯えたまま家路についていく。票で勝っても、あの怯えは消えない。
最後に、バルクが出てきた。
俺は、歩み寄った。
「バルクさん」
大男は足を止め、無言でこちらを見下ろした。
「次の寄り合いに、こちらから掟の案を出します。采る者にも、采れない者にも、同じ仕組みの中で食える掟を。——あなたの言う『守る』を、入れた掟を」
バルクは、長いことこちらを見ていた。
「……見せてみろ」
それだけ言って、夜の中へ歩き去った。
掟の隙間で勝つ時代が、今夜で終わった。
明日から、掟を作る。




