第21話 票読み
ヨナスが夜の中へ消えた、その翌朝。ギルドの隅の卓に、いつもの顔が揃った。
リーシャ、ハンナ、テオ。籠を届けに来たペトルとマルコにも、足を止めてもらった。
俺は、昨夜の報せをそのまま伝えた。
「——組合員が采った薬草は、すべて組合の買い取りを通す。組合を通さない売り買いは、相手が誰であれ、掟破り。寄り合いで、この一文を掟に書き足すそうだ」
最初に口を開いたのは、マルコだった。
「待ってくれ。それじゃ、おれたちがミレナ先生に納めてる薬草は」
「改定が通れば、納めるたびに掟破りになる」
「……資格を、取り上げられるのか」
「最悪は、そうなる」
ペトルは何も言わなかった。ただ、膝の上の籠の縁を握る手に、節が白く浮いていた。
「寄り合いは、いつなんだ」
「六日後」
マルコが、声を失った。
「私も、ですか」
リーシャが、静かに訊いた。
「きみもだ」
リーシャは目を伏せて、懐の銅の組合員証に手を当てた。あの札を受け取って、まだ半年も経っていない。掟は資格をくれた同じ口で、今度はその使い道を取り上げにくる。
「ちょいと待ちなよ」
ハンナが卓に身を乗り出した。
「宿場のヤン先生との約束はどうなるのさ。月二度、届けるって決めたんだ。あの人の患者は、うちの薬草を待ってるんだよ」
「改定が通れば、あの荷も掟破りの品になる」
「冗談じゃないよ」
「通るのか、それ」
テオが、口を挟んだ。
「ヨナスさんの読みでは、通る」
「読みじゃなくて、数で知りたい。寄り合いってのは、頭数で決めるんだろ」
俺はヨナスから聞いた組合の顔ぶれを、覚えている限り並べた。テオはそれを紙に書き取り、線を引いて分けていく。山に入って采っている現役と、歳や足で山に入れなくなった者と、入っても腕の上がらない者だ。
書き終える前に、テオの手が止まった。
「……数えるまでもないや」
紙が、卓の真ん中へ滑ってきた。
「十人いたら、こっちの言い分を聞きそうなのは二人。あとの八人は、一律買取がなくなったら干上がると思ってる人たちだ」
「説いて回るのは、どうだろう。質に値がつくほうが、結局は皆の実入りも増える。ミレナさんの所の帳面を見せて、数字で示せば——」
言いながら、半分は自分で答えが見えていた。テオが、にべもなく首を振る。
「無理だね。怯えてる人間は、儲け話をいちばん信じない」
その通りだ。前世で、嫌というほど見てきた。相場が下がり続ける朝に、どれだけ正しい数字を並べても、客の手は動かない。不安は、理屈より速く走る。
「……わしも、あと十年もすれば、山に入れなくなる」
ペトルが、初めて口を開いた。低い、独り言のような声だった。
「あの八人を、笑えん」
卓が、静かになった。紙の上の八人は、敵ではない。この卓に座る誰もが、いつか行く側だ。
「それにさ」
ハンナが腕を組んだ。
「そのバルクって人は、あの人たちの言葉で喋ってるんだろ。直売りを許せばお前らの薬草は誰も買わなくなるぞ、って。あんたの言葉はまだ、あの人たちに届く所まで行ってないよ」
耳の痛い話だった。十年かけても弁が立たなかった男が、六日で目覚めたりはしない。
なら、喋らないで動かすだけだ。
「——票は、奪わない」
口に出すと、皆がこちらを見た。
「説き伏せるのは、やめる。六日で、あの人たちの暮らしをひとつ変える。山に入れなくても、薬草で銭が入る道があると、目の前で見せる。手を挙げてもらうのは、その後だ」
「銭は、どう払うんだ」
テオが訊いた。
「働いた分の出来高で。誰にいくら払ったかは、ぜんぶ台帳に載せる」
「……なら、いい。隠れた銭は、疑いのもとになるからな」
「六日で?」
ハンナが目を丸くした。
「六日で」
ハンナは呆れた顔をして、それから、にやりと笑った。
「言うようになったのは、テオだけじゃないね」
◇
午後、俺はリーシャが籠をあらためる場に立ち会った。
ペトルとマルコの籠は、この頃ひと回り大きくなった。宿場行きの束も作らねばならない。リーシャは朝から、一度も手を止めていなかった。
「昼は食ったのか」
「……あとで」
見かねたマルコが手を伸ばし、葉の束を持ち上げては、困った顔で置き直す。
「だめだ、おれには分からん。どれも同じに見える」
「同じじゃ、ありません。それは三日早いです。こっちは、乾かせば持ちます」
リーシャの答えは淀みなかった。採り時の見極めは、声を聞くこの子にしかできない。
だが、その手前はどうだ。土を落とす、傷んだ葉を取り分ける、陰干しにする、束ねて荷にする——下ごしらえなら、声が聞こえなくてもできる。山に入れなくても、できる。
頭の中で、数式が組み上がった。
「リーシャ。洗いと干しと束ねを誰かに任せられたら、きみの手はどれだけ空く」
リーシャは手を止めて、少し考えた。
「……半分。いえ、もっとです。でも、任せられる人なんて」
「いる」
票読みの紙の、八人の側に。山に入れなくなって、一律買取に守られていると信じるしかない人たちが。
「その人たちの手が、空いてるんだ」
◇
問題は、誰が最初に来てくれるかだった。
よそ者の俺が小屋を回って頭を下げても、戸は開かない。組合に干された者ほど、組合の外から来るうまい話を疑う。二年ベンチに座る娘を、見向きもしなかった街だ。
要るのは、あちら側の、誇りのある証人だ。
一人しか、いなかった。
「明日、ガレオさんの所へ行く」
夕暮れの帰り道で、俺はリーシャに言った。
「足を悪くして、山を下りた人だ。山に入れない者の暮らしがどこで詰まるか、誰より知ってる。——あの人が首を縦に振らなければ、この六日は、たぶん負けだ」
「ガレオさん……」
リーシャが、足を止めた。
「私の推薦状を、書いてくれた人です」
「ああ。きみの薬草を、二度と投げ売りさせるなと言った人だ」
あのとき、金は要らないと言った老人の顔を思い出す。誇りで動いた人には、誇りで返すのが筋だ。
「今度は、あの人の腕に値をつける番だと思ってる」
リーシャは黙ってうなずいた。それから、革袋の口を少しあけて、中を覗いた。
「聖薬草が、何か言ってるのか」
「……『分の悪い賭けは、あんたたちのお得意でしょ』と」
「手厳しいな」
まだ采れない者には、采れるようになる道を。
バルクに切った啖呵が、ようやく形を持ち始めた。あの約束を果たして見せる場所は、向こうの土俵のど真ん中にある。
六日で、あの紙の線を引き直す。




