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第19話 台帳

「いいか、テオ。帳面ってのは、一冊だと嘘をつくんだ」


 ギルドの隅の卓で、俺は新しい紙の束を広げた。テオは、警戒半分、興味半分の顔で、卓の向こうに座っている。距離は、まだ卓ひとつ分。それでいい。


「きみの倉庫の主人を思い出してくれ。帳面が一冊で、書く人間が一人なら、その一人がごまかせば、それで終わりだ。誰にも確かめようがない」


「……ああ」


「だから、書き方を変える。銭がひとつ動いたら、必ず、二つの場所に跡を残す。出ていった側と、入った側。リーシャに薬草代を払ったら、俺の銭が減った印と、リーシャの取り分が増えた印を、両方書く」


 テオの目が、紙の上を素早く動いた。


「それと、帳面は二冊、同じものを作る。一冊は俺が持つ。もう一冊は、書いた本人じゃない誰かが持つ。月に一度、二冊を突き合わせる」


 テオは、しばらく黙っていた。頭の中で、何かが組み上がっていく沈黙だった。


「……それ、ごまかそうとしたら、二冊ぜんぶ、同じに書き換えないとならない」


「そうだ」


「で、持ち主が別なら、書き換えられない。両側に跡が残るなら、片側だけ消しても、ずれが出る。——ずれが出れば」


 テオは、顔を上げた。


「おれが、視つける」


「そういう仕組みだ」


 前世では、何年もかけて覚える仕組みの芯を、この子は一呼吸で掴んだ。俺は内心で舌を巻きながら、努めて平らに頷いた。


「あんた、なんでこんな仕組み、知ってるんだ」


「前にいた国じゃ、当たり前だったんだ。どこの店も、こうやって帳面をつけてた」


「……変な国」


 テオはそう言ったが、その手はもう、紙の束を引き寄せていた。



 ◇



 台帳は、五日でできあがった。


 リーシャの薬草、ペトルとマルコの籠、ミレナへの納め、ハンナの宿場の売り上げと運び賃、ザイラスへの返済。ばらばらだった銭の流れが、テオの几帳面な字で、一冊に並んだ。俺のたどたどしい書きつけとは、出来が違う。


「いつでも、誰でも、見ていい」


 俺がそう決めると、最初に覗きに来たのはハンナだった。自分の名前のページを見つけて、にやりと笑う。


「あたしの名前のところ、ちゃんとあるね」


 次に来たのは、ペトルだった。無口な男は、自分の籠の数と払いの欄を、指でゆっくりなぞった。それから、ぽつりと言った。


「……雇われた先の帳面なんてものを、見せてもらったのは、初めてだ」


「あなたの働きの記録です。あなたに見えないほうが、おかしいんですよ」


 ペトルは何も言わなかったが、帰り際、テオの頭を無骨な手でひとつ撫でた。テオは、ひどく居心地の悪そうな顔をした。


 マルコは、自分の欄をしげしげと眺めて、にやりと笑った。


「籠の数まで、ぜんぶ書いてあるのか。——これじゃ、もう、ちょろまかせないな」


「視えるから、やめとけ」


 テオが顔も上げずに言い、マルコは肩をすくめて退散した。冗談の形をしていたが、あれで詫びのつもりなのだろう。


 最後に来たのは、リーシャだった。自分のページを開き、ザイラスへの返済の欄を、長いこと見ていた。


「……減ってる」


「ああ。毎月、確かに減ってる」


「あとどれだけかが、いつでも、見えるんですね」


 リーシャは、革袋を抱き直した。それ以上は何も言わなかった。だが、分かった。彼女が数えているのは銭じゃない。俺の腕に徴が出るまでの、残りの距離だ。ベンチの二年は、何も数えられない時間だった。いまは、減っていく数字を、自分の目で確かめられる。


 帳面が一冊あるだけで、人は、これだけ安心するものらしい。



 ◇



 月末、ザイラスへの返済の日に、俺はテオを連れて行った。


「今月分です。それと——こちらの台帳と、おたくの受け取りの控えを、突き合わせさせてもらえませんか」


 ザイラスの落ちくぼんだ目が、すっと細くなった。


「私の帳面を、疑うか」


「疑うのが、仕事だから」


 答えたのは、テオだった。ザイラスの視線が、初めてテオに向いた。


「……帳面の主がいちばん怪しいって、おれは知ってるんだ。あんたの店なら、あんたがいちばん怪しい」


 店の空気が、固くなった。ハンナがいたら、慌てて取りなしただろう。だが、ザイラスは——笑った。喉の奥で、短く。


「言うじゃないか、小僧。いいだろう。見ろ」


 控えが運ばれ、テオが二つの帳面を並べた。目が、紙の上を走る。読むのではなく、なぞる速さで。


 指が、止まった。


「……ここ。ふた月前の受け取り。こっちの台帳じゃ、銀貨で四十払ってる。あんたの控えには、三十五しか入ってない」


「何だと」


「銭函に入る前に、五枚、消えてる。受け取った人間が書いたのは、この字だろ。あんたの字と、違う」


 ザイラスは、控えを引き寄せ、長いこと見ていた。それから、店の奥へ静かに声をかけた。呼ばれた手代の顔色が、主人の手元の二冊を見て、紙より白くなった。


 俺は、テオの肩が強張っているのに気づいていた。言ってしまった、という強張りだった。殴られる、と身体が覚えている強張りだ。


 だが、ザイラスは手代を奥へ下がらせると、銭函から銀貨を五枚数え、卓の上をテオへ滑らせた。


「拾った銭の、正味の払いだ。受け取れ」


 テオは、銀貨と、ザイラスの顔を見比べた。


「……怒らないのか。おれ、あんたの店の、恥を見つけた」


「恥は、抜いた者の恥だ。見つけた者の恥じゃない」


 ザイラスは、にこりともせずに言った。それから、俺のほうへ目を移した。


「礼を言っておくぞ、お前さん。五枚のずれは、放っておけば、お前さんたちの返済の遅れとして残るところだった。——お前さんの、命の勘定だ。ずれて困るのは、お互いさまだろう」


 軽い口ぶりだったが、軽い話ではなかった。ずれの五枚が積もれば、三年の期限が狂う。期限が狂えば、徴は俺の腕に出る。帳面のずれと俺の命は、誓約紙一枚で、まっすぐ繋がっている。


「私は、数字には公正だと決めている。でなければ、金貸しなどやれん。——小僧。その目、気に入った。うちで働く気はないか」


「うちの数える人ですので」


 俺は、口を挟んだ。我ながら、少し早口だった。ザイラスは鼻を鳴らして、それ以上は言わなかった。



 ◇



 帰り道、テオは銀貨を握ったまま、ずっと黙っていた。


 日が暮れかけた頃、ぼそりと言った。


「……殴られなかった」


「ああ」


「ずれを見つけて、言って、礼を言われた。銭まで、もらった。——そんなの、初めてだ」


「これからは、それが当たり前になる。少なくとも、俺の帳面の周りではな」


 テオは、返事をしなかった。ただ、握った銀貨を、一度だけ確かめるように開いて、また握った。


 ——あの子の目は、今日、知らないうちに俺の命の番をした。本人には、まだ言っていない。いつか、言える日が来るだろう。


 機構に、心臓が入った。あとは、それを正式な形にするだけだった。


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