第18話 粗探し
次の日から、俺は毎日、市場の北の搬入口へ通った。
口説きはしなかった。同じ屋台で干し果実を買い、今度は一枚の間違いもなく払う。テオは遠くからそれを見ていて、見ていないふりをしていた。
四日目に、初めて向こうから口を開いた。
「……今日も、合ってる」
「合ってるとも。きみに見られてると思うと、財布の紐まで姿勢がよくなる」
「なんだよ、それ」
テオは顔をしかめたが、逃げなかった。俺はそのまま、足もとに腰を下ろした。立ったまま見下ろして話す相手じゃない。
「テオ。荷数えじゃなくて、帳面の仕事を頼みたい。報酬は銀貨で払う」
「銀貨?」
テオの眉が、不機嫌に寄った。
「多すぎる。荷数えは、銅貨一枚って決まってる」
「その相場のほうが、間違ってるんだ」
俺は言った。
「きみが粉屋の揉めごとを数えで収めたとき、救われた銭は銀貨でも利かなかった。なのに払いは銅貨一枚。あれは、安すぎる買い物だ。——俺は、品物の値打ちどおりに払う。それだけだよ」
テオは、長いこと黙っていた。値踏みする目で俺を見て、それから、ぼそりと言った。
「……仕事の中身、先に見せろ。話は、それからだ」
◇
ギルドの隅の卓に、俺は書きつけを並べた。
採集人への払い、ハンナの運び賃、宿場の売り上げ、ザイラスへの返済。頭の中の帳面を、この数日かけて、この世界の文字に書き直したものだ。我ながら、たどたどしい字だった。
テオは、立ったまま、それを上から眺めた。
一枚目、二枚目。目の動きが、読むというより、なぞるのに近い。そして三枚目の途中で、指が止まった。
「ここ、合ってない」
「どこが」
「マルコってやつの、十日前の籠の分。二度、入ってる。日付が違うだけで、数が同じだ。これじゃ、払いがひと籠分、多くなる」
俺は書きつけを引き寄せて、確かめた。テオの言う通りだった。頭の中の帳面から書き写すときに、同じ籠を二度、書いていた。
——リーシャに救われた取り違えの、次はこれか。やはり、俺一人の頭は、もう当てにならない。
「ほんとだ。あんた、すごいね」
横からのぞき込んだハンナが、素直に声を上げた。
テオの肩が、びくりとはねた。怒られると思ったのだろう。だが、ハンナは目を丸くして感心しているだけで、リーシャも、小さく頷いている。
テオは、落ち着かなげに目を泳がせた。間違いを見つけて褒められたことが、ただの一度もないのだと、その泳ぎ方で分かった。
「……べつに。視えただけだ」
「視える、って、どんなふうに見えるんだい」
ハンナが、遠慮なく身を乗り出した。テオは半歩引いたが、問いそのものは、嫌いではないらしかった。
「……うまく言えない。合ってない場所だけ、にじむんだ。濡れた字みたいに。近くまで行って、数えて、確かめると、ほんとうにずれてる。——気味が悪いだろ」
「悪くないです」
即座に答えたのは、リーシャだった。テオが、驚いた顔で彼女を見た。
「私は、葉っぱの声が聞こえます。審査でそう出ているのに、だから何だって、ずっと、誰も取り合ってくれませんでした。薬草の善し悪しが分かると言っても、ハズレの娘の言うことだからって、聞く耳を持たれなくて。……途中から、人に言うのを、やめました」
「あたしもさ」
ハンナが、からりと笑った。
「あたしの『物持ち』も、お役人さまのお墨付きだよ。それでも、しょうもない取り柄って笑われて、便利に使われて、それでおしまいさ。——だからさ、テオ。ここじゃ、その手の話は、誰も笑わないんだよ」
テオは、二人の顔を順に見た。何かを探すような、長い間だった。
「その『視えただけ』を、ずっと探してたんだ」
俺は、書きつけの間違いを、その場で直した。
「テオ。倉庫番の話、聞いてもいいか」
テオの目が、すっと冷えた。長い沈黙のあと、吐き出すように話し始めた。
◇
倉庫番の小僧になったのは、成人の儀のすぐあとだったという。
「孤児で、字が読めて、数に強い。安く使えると思われたんだろうけど、おれは、嬉しかった。生まれて初めて、向いてるって言われた仕事だった。荷の出入りを数えて、書きつける。一日じゅう数えてても、飽きなかった」
声の調子は平らなままだった。平らにしないと話せないのだろう。ハンナが昔の男の話をしたときと、同じ平らさだった。
「……そのうち、視えた。帳面と、蔵の中身が、ずれてるのが」
「主人に言ったのか」
「言った。正直に言えば、褒められると思った。——ずれてたのは、主人が荷を抜いて、横に流してた分だった」
テオは、自分の膝を見ていた。
「次の日、おれは盗人にされてた。帳面をいじったのは、おれだって。殴られて、放り出されて、それで終わり。市場のやつらは、みんなあの主人の取引相手だから、おれの話なんか、誰も聞かない」
「……そうか」
「分かったろ。おれのこれは、外れなんだ。役人の言った通りだよ。視えたって、直せない。言えば、殴られる。黙ってれば——」
「黙っていれば、きみを盗人にした帳面が、正しい顔をして残る」
テオが、顔を上げた。
「テオ。きみは何も間違えていない。間違っていたのは、ごまかしで回っている帳面のほうだ。きみが殴られたのは、きみの目が確かだったからだ。——殴られた理由が、そのまま、きみの値打ちなんだよ」
「……意味、分かんない」
「俺の商売はね、ごまかしたら終わりなんだ。リーシャの薬草に外れが一本混じれば、全部が疑われる。帳面も同じだ。一箇所のごまかしで、全部の信用が死ぬ。——だから、ごまかせない帳面には、ごまかせない目が要る。きみが言えば言うほど、俺の商売は、壊れるどころか強くなる」
テオは、書きつけの束を見て、それから俺を見た。
「……おれが、合ってないって言っても、怒らないのか」
「怒るどころか、銀貨を払う。それが仕事だ」
「変な仕事」
テオは、ぼそりと言った。けれどその声から、棘がひとつ、抜けていた。
「……試しに、やる。銭は、働いた分だけでいい。──あと、おれは、あんたのことも疑うからな。帳面の主がいちばん怪しいって、おれは知ってるんだ」
「願ってもない」
俺は笑った。監査役が最初に疑うべきは、金庫の鍵を持つ男だ。十五の子供が、誰に教わるでもなく、そこに辿り着いている。
それから俺は、銀貨を一枚、卓に置いた。
テオが、眉を寄せる。
「働いた分だけって、言った」
「働いた分だ。さっき、籠ひとつ分の払い間違いを見つけてくれた。あのまま気づかなければ、出ていった銭と、狂った帳面の尻拭いで、銀貨一枚じゃ済まなかった。——これは施しじゃない。きみが見つけた値打ちの、正味の払いだ」
テオは銀貨を睨んで、しばらく動かなかった。それから、ひったくるように取って、握り込んだ。
「……次も、見つけたら、もらうからな」
「何枚でも」
——三人目が、机についた。まだ、半分だけ。それでいい。残りの半分は、この帳面が、殴られない場所だと知ってからだ。




