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第17話 荷数え

「数に強いやつ、かい」


 市場の屋台の前で、ハンナは腕を組んだ。


「いるには、いるよ。けど、やめときな」


 珍しい物言いだった。市の誰のことも悪く言わない女が、名前を出す前に、先回りして釘を刺す。


「『粗探しのテオ』。十五の小僧さ。荷数えだけは確かだから、市の連中も、数えごとだけは頼む。けど、それだけだ。誰も、店の中には入れない」


「嫌われてるのか」


「気味悪がられてる、のほうが近いね。あの子の前じゃ、ごまかしが利かないんだとさ。——倉庫番をしくじって、放り出されたって噂だよ。詳しくは、あたしも知らない」


 ごまかしが、利かない。


 俺の探している条件と、寸分違わず一致していた。



 ◇



 テオは、市場の北の搬入口にいた。


 痩せて、小柄で、袖が短くなった上着を着ている。酒屋の荷車から樽が下ろされるのを、少し離れて見ていた。


「小僧、いくつだ」


 荷主が声をかけると、テオは樽の山を一瞥した。指も折らず、唇も動かさない。


「三十六」


「数えてから言え」


「数えた」


 荷主は疑わしげに、手代に数え直させた。三十六だった。荷主は鼻を鳴らして、銅貨を一枚、テオの足もとへ放った。


 テオは何も言わず、それを拾った。


 昼前には、こんなこともあった。粉屋が、運び屋の男を捕まえて、袋がひとつ足りないと凄んでいた。運び屋は青い顔で首を振る。野次馬が集まり、誰かが「テオに数えさせろ」と言った。


 テオは荷台と蔵を行き来して、戻ってきた。


「足りてる。蔵の奥の段の、後ろに二つ転がってる。届いた袋の数は、注文どおり」


 粉屋が蔵を確かめると、その通りだった。運び屋は救われた顔をしたが、テオに礼を言う前に、テオはもう背を向けていた。粉屋は、ばつの悪さを隠すように吐き捨てた。


「……相変わらず、可愛げのない小僧だ」


 誰もテオを好いていない。だが、誰もテオの数は疑わない。


 ——信用の芽は、もう、ここにある。誰も、それを信用と呼んでいないだけだ。


 そして、頭の中の算盤が、もうひとつの数字を弾いていた。さっきの揉めごとで、テオの数えが救ったものを数えてみる。粉の袋がひとつ、運び屋の信用、商いの仲。締めれば銀貨では利かない。なのに、テオが受け取ったのは、足もとに投げられた銅貨が一枚。


 一日じゅう数えて、銅貨が数枚。あの子の目が守っている銭は、桁が三つは違うのに。


 リーシャの薬草と、ハンナの駄賃と、同じ形をしていた。市場の値付けが間違っているときの、あの形だ。



 ◇



 俺は、テオから見える位置の屋台で、干し果実をひと袋買った。


 そして、払いの銅貨を、わざと一枚多く置いた。


 屋台の親父は気づかず、銅貨をしまい込む。俺は袋を受け取りながら、視界の端でテオを見ていた。


 テオは、顔をしかめていた。一瞬だけ俺の手元を見て、それから、見なかったことにするように目をそらした。


 俺は屋台を離れ、テオに歩み寄った。


「いまの払い、合ってなかっただろう」


 テオの肩が、はねた。


「……知らない」


「銅貨が一枚、多かった。きみは気づいてた。顔に出てたよ」


 テオは、上目遣いに俺をちらりと見た。警戒した、野良犬の目だった。


「……分かってて多く払ったなら、聞くなよ」


「どうして、教えてくれなかったんだ」


「言うと、怒られるから」


 テオは、ぼそりと言った。


「銭が多いって言えば、払ったやつに恥をかかせる。少ないって言えば、取ったやつを疑うことになる。どっちにしても、おれが怒られる。——だから、言わない。決めてるんだ」


 十五の子供が口にするには、ずいぶん年寄りじみた処世だった。そして、その処世を覚えるまでに、何度殴られたのだろう。


「ひとつ、聞いていいか」


 俺は、しゃがんで目の高さを合わせた。テオは半歩、退がった。


「品物が二十あって、ひとつ銀貨十五枚で売れた。仕入れに銀貨百二十を払って、残った儲けを、三対七に分ける。それぞれ、いくらだ」


 テオは、俺を見た。罠を探すような間が、一拍だけあった。


「売り上げが銀貨三百。仕入れを引いて百八十。三割が五十四で、七割が百二十六」


 息継ぎほどの間も、なかった。


「割る前に言っとくけど、その分け方、端数は出ない。百八十は十でちょうど割れるから。もし百八十五なら、三割は五十五枚と銅貨五十、七割は——」


 そこまで一息に言って、テオは、はっと口をつぐんだ。喋りすぎた、という顔。リーシャが薬草の話をするときと、同じ顔だった。


 ——速い。そして、正確だ。頭の中に、算盤が、人の形をして立っている。


「テオ、だったな。仕事の話がしたい」


 テオの顔から、表情が消えた。


「……あんた、おれを雇う気か」


「そのつもりだ」


「やめとけよ」


 テオは、じり、と退がった。


「おれを中に入れると、ろくなことにならない。みんな、そう言う。——おれは、視えるんだ。合ってないところが。帳面でも、勘定でも、約束でも。で、それを言うと、ぜんぶ壊れる」


「壊れたのは——」


「うるさいな」


 テオは、俺の言葉を断ち切った。


「大人は、信じない。あんたが銅貨を多く払ったのだって、どうせ、おれを試したんだろ。……そういうの、もう、うんざりなんだよ」


 テオは背を向けて、市場の雑踏に消えた。


 俺は追わなかった。追いかけて捕まえるような口説き方は、できない性分だし、するつもりもない。



 ◇



「だから、やめときなって言ったろ」


 夕方、ギルドの隅で顛末を話すと、ハンナは肩をすくめた。


「あの子はね、誰にも気を許さないよ。市の連中が、さんざん、都合のいいときだけ数えさせて、あとは突き放してきたんだ。あんたの言う『仕事の話』も、どうせその口だと思われたのさ」


「だろうな」


 俺は頷いた。テオは何も間違えていない。あの子の知っている大人は、全員、そういう大人だったというだけだ。


 黙って聞いていたリーシャが、ぽつりと言った。


「……その子、明日も、同じ場所にいると思います」


「どうして、そう思う」


「私が、そうだったから」


 リーシャは、革袋を抱き直した。


「誰も来ないって分かってるのに、ベンチに座るんです。……ほんとうは、誰かが来るのを、待ってるんです。二年、座ってた私が言うんだから、間違いないです」


 ハンナが、何か言いかけて、やめた。代わりに、ふっと笑って俺を見た。


「——で、明日も行くんだろ、あんた」


「ああ。何度でも」


 ——合ってないところが視える。言うと、壊れる。


 壊れるのは、ごまかしで保っている商売だけだ。正直な商売なら、あの目は、壊す側じゃない。守る側に回る。あの子の値打ちが分かる帳面が、まだこの世界のどこにもないだけだ。


 なら、作ればいい。あの目が守るに足る、ごまかしのない帳面を。


 その晩、俺は書きつけの紙を一枚増やした。いちばん上に、この世界の文字で、たどたどしく「テオ」と書いた。


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