表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/18

第15話 腐らない荷

 三日後の朝、俺とハンナは、東へ向かう荷馬車に乗った。


 聖薬草を二十本。リーシャが、ありったけの目利きで選り抜いた特上ばかりだ。布でくるみ、ハンナの膝の上に載せる。彼女の手のひらが届く範囲に収めておくのが、唯一の条件だった。


「ねえ、ほんとに、あたしのそばに置いとくだけでいいのかい」


 ハンナが、心配そうに包みを抱え直す。


「それだけでいい」


 俺は、もう丁寧な言葉を使うのをやめていた。並んで荷を運ぶ相手に、よそ行きの言葉は、かえって邪魔だ。


「きみの手が届いていれば、薬草は二日、声を保つ。リーシャが請け合った。きみの力をいちばん知ってるのは、あの子だからね」


 ハンナは、少しくすぐったそうな顔をした。



 ◇



 街道は、思ったより人が多かった。行商の隊列、巡礼、荷を負ったロバ。ハンナは、すれ違う物売りのほとんどに、片手を上げて挨拶した。


「知り合いか」


「半分はね。市にいると、いろんな町の行商と顔見知りになるんだ。あの髭のは、北の塩売り。あっちの親子は、月に一度、革を売りに来る。——誰がどこで何を商ってるか、頭の中に、地図みたいに入ってるのさ」


「なら、ひとつ聞いていいか」と俺は言った。「これから行く宿場と、その向こうの町。いま、何が足りてない」


 ハンナは少し考えて、指を折った。


「宿場は、傷薬が高いね。去年、街道に野盗が出てから怪我人が増えて、ずっと品薄さ。向こうの町は、逆に、子どもの咳止めを欲しがってる。冬に流行り病があったから。——でも、どっちも組合の縄張りで、よそ者は入れないよ」


 足りないものが、すでに値踏みされて、頭の中に並んでいる。俺の算盤が、勝手に鳴りはじめた。どこへ、何を、いくらで持っていけばいいか。商いでいちばん難しいのは、本当はそこなのだ。この女は、その答えを、世間話のついでに抱えていた。


「ハンナ。きみは自分で思ってるより、ずっと、とんでもない宝を抱えてるよ」


「またそれかい」


 ハンナは笑ったが、まんざらでもなさそうだった。



 ◇



 日が落ちて、俺たちは街道沿いの安宿に泊まった。


 ハンナは、夜のあいだも薬草の包みを抱いて離さなかった。火の前で、彼女がぽつりと言った。昼間の明るい声とは、別の声だった。


「もし、保たなかったら、どうしよう。——あたしの力で、ほんとに二日保つのか。自分でも、信じられないんだ。今までずっと、しょうもないって言われてきたから」


 俺は、しばらく考えてから言った。


「リーシャもな、二年間、自分の薬草を、銅貨三十枚の外れだと思い込まされてた。本当は、その三十倍の値打ちがあったのに」


 ハンナが、顔を上げる。


「値打ちってのは、自分じゃ、案外わからないものなんだ。誰かが正しい場所に置いて、初めて見える。——明日、きみは、それを自分の目で見ることになる」


 ハンナは何も言わず、包みを、もう少しだけ強く抱きしめた。



 ◇



 東の宿場町に着いたのは、二日目の夕暮れだった。


 例の薬師——ヤンの店を訪ねると、男は俺たちの差し出した包みを見て、眉をひそめた。


「二日かけて運んだだと? 聖薬草が、保つわけが——」


 言いかけて、ヤンは布を開いた手を止めた。


 葉が、張っていた。採れたての、艶のまま。ヤンは信じられないという顔で一本をつまみ上げ、灯りにかざした。


「……どういうことだ。これが、二日前の?」


 声が、震えていた。あとで聞けば、この男もミレナと同じだった。一律で届く薬草の半分は使い物にならず、つい先月も、効く一本がなくて、熱の子どもを一人、見送ったばかりだという。


「同じ品です」と俺は言った。「ベルクハイムのミレナの診療所が認めた聖薬草を、この人が、傷ませずに運んできた」


 ハンナが、にっと笑って胸を張る。


 ヤンが値を口にしかけた、そのときだった。


「ヤン、よその草に手を出す気か」


 戸口から、肥えた男が顔を出した。この宿場の薬種をまとめて握る商人だという。


「うちから仕入れときゃ間違いないものを。どこの馬の骨とも知れん草で客が死んだら、お前の名に傷がつくぞ」


 脅し慣れた口ぶりだった。——どこの町にも、同じ顔の壁がある。


 俺が口を開く前に、ハンナがずいと前に出た。


「あら、薬種屋のボルグさんじゃないか。先月、奥さんの腰の薬を切らして、うちの市まで探しに来てたろ。覚えてるよ」


 肥えた男——ボルグの顔が、引きつった。


 ハンナは、にこにこと続けた。


「この宿場で、いい聖薬草を待ってる人、あたし、何人も知ってるんだ。産婆のネルさん、北通りのご隠居。あんたが止めても、品は、欲しがってる人のところへ流れていくよ。——止めるより、組んだほうが得だと思うけどねえ」


 ボルグは、しばらく口をぱくぱくさせて、それから舌打ちして出ていった。


 ヤンが、呆気にとられた顔でハンナを見て、それから俺を見た。


「……あんたら、何者だ」


「腐らない薬草を運ぶ、ただの行商ですよ」


 ヤンは、聖薬草二十本を、一本残らず買い取った。一本、銀貨十五枚。締めて、金貨三枚。同じ二十本が、ベルクハイムの密売なら銅貨六百——いま手にした金貨三枚の、五十分の一にしかならない品だった。


「次は、いつ持ってこられる」


 ヤンが、身を乗り出した。もう、よそ者を疑う目ではなかった。


「月に二度。同じ品を、同じだけ」と俺は答えた。「ただし、ミレナの診療所が認めたものだけだ。一本の外れも、混ぜない」


「頼む」


 ヤンは、即座に頷いた。——一度きりの取引が、続く取引に変わった。ベルクハイムと宿場を結ぶ管が、その場で、一本、太くなった。



 ◇



 帰りの荷馬車で、ハンナはまだ少し興奮していた。


「あたし、役に立ったかい」


「役に立ったどころじゃない」


 俺は、正直に言った。


「あの男を黙らせたのは、俺の理屈でも、リーシャの薬草でもない。きみが、この宿場の誰が何を欲しがってるかを知っていたからだ。きみがいなけりゃ、俺はあそこで、突っ立ってるだけだった」


 ハンナは、しばらく黙って、それから、ぐすっと洟をすすった。


「……あたしさ。生まれて初めてだよ。『役に立った』なんて、言われたの」


 夕日が、街道を赤く染めていた。空になった布包みを、ハンナは大事そうに畳んでいる。


 ——供給を、リーシャが。品質を、ミレナが。そして運びと売りを、ハンナが。ばらばらだった糸が、一本の管に縒り合わさっていく。ベルクハイムの外へ、初めて、太い管が伸びた。


 あとは、この人を正式に迎えるだけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ