説得
戸が開く音と同時に、ばたばたと足音が近づいてくる。先に飛び込んできたのはバル婆で、その後ろからレンが不安そうに覗き込んでいた。……あの様子、全部話されちゃったかな。さっきの自分の言動を思い出して、思わず苦笑が漏れる。
「さっきから様子がおかしいって聞いたよ。まだ辛いのかい?」そう言いながら、迷いなく腹に手を伸ばしてくる。――だめ。
「……触らないで!」思ったより強い声が出た。自分でも一瞬息をのむ。バル婆の手がぴたりと止まる。
「……なんだい、そんなに痛いのかい?」眉をひそめる顔は怒りじゃない。完全に心配だ。
でも、引けない。「……そこ、押されると……痛いの」言葉を選びながら続ける。最初で、決まる。
「温めるのも、だめ」
「はあ?」今度ははっきりと怪訝な声がわたしに向かってくる。「腹が冷えてるかもだろう?いつもみたいに温めて寝てれば……」
「違うの」かぶせて言う。言葉を続けようとするたびに喉が焼けるように緊張する。でも止めない。「温めたら……もっとひどくなるの」
部屋の空気がぴたりと止まる。
レンが不安そうに、わたしとバル婆を交互に見ている。バル婆は唇をかんで腕を組んだ。「……テン」
「誰にそんなこと聞いたんだい?」
答えられない。質問だけど、質問じゃない。誰にそんなことを教わったのか、探ってる目だった。でも、それに答えてる時間はない。元いた世界の自分のことを話して、信じてもらえると思えない。変に思われるだけだ。
「……あのね」視線を逸らさずに言う。「ここ……押して」
震える手で、自分の腹の一点を指す。「強くじゃなくていいの。ゆっくり」バル婆は少しだけ黙って、それから布団の横に座った。
「……ここかい」脇腹のあたりを押される。
「……もう少し下」指がずれる。
分かっていたけど「っ……!」息が詰まる。体が勝手に跳ねた。さっきと同じ場所。鋭い痛み。
バル婆の目が、変わる。「……そこだけかい」「……うん、いまのところは」短く答えるのがやっとだ。
バル婆はもう一度、軽く周りを押す。もっと優しく。その差を、確かめるみたいに。そして、手を離した。「……ただの腹痛じゃないね」ぽつりと、そう言った。
「……これね、放っておくと……どんどん悪くなるの」
「もっと痛くなるし、熱も出るはず……」バル婆とレンが、さらに心配そうな顔でわたしを見る。呼吸が乱れる。
それでも続ける。「そのあと……今日か明日中に腹の中で破ける」レンが息を呑む音がした。
バル婆は黙っている。その沈黙が、怖い。
耐えきれずに言葉を重ねる。「……破けたら、終わり」静かに言い切る。「助からない」
しん、と部屋が静まる。外の風の音と、わたしたち三人の息づかいだけが聞こえる。
バル婆は、目を大きく開いて何度かまばたきした。息を吸って、ゆっくり吐く。それから唇をぎゅっと結んで、じっとわたしを見る。
さっきまでとは違う目で。「……テン」低く、落ち着いた声。
わたしは頷く。「……うん、助からないの」もう一度、はっきりと言った。
「……助かるには?」即答だった。……信じてくれたの?本当に?
バル婆はすぐに布団から腰を上げて、エプロン代わりの布を手早くたたみ、ベルト代わりの紐に引っかけて動きやすい格好になった。「……今日か、明日中に……!」その場で一歩踏み外しそうになるけど踏みとどまる。「まったく……時間がないじゃないか……!」乱れた息のまま、わたしを見る。
「で、どうする。次は」怒鳴るみたいに言ってから、すぐに問い直してくる。そのまま続けられる。
「薬か……腹を開くか……どっちか」伝わるかわからないから、できるだけ噛み砕いて言う。「このままだと……間に合わない」
バル婆は目をぎゅっと閉じて頭をかきむしった。白髪がぼさぼさになる。今のこの数分で、一気に老けこんだみたいに見えた。
「ごめんなさい」思わず口から出た。
バル婆がぎゅっとわたしの頭を抱きしめた。それだけだった。すぐに離して、レンに向き直る。
「レン」振り返って声をかける。「う、うん!」状況は全部わかっていないはずなのに、その顔だけは妙に真剣だ。
「あたしはこれから薬師様と相談役のところに行ってくる。そのあと父さんと母さんの仕事場にも行ってくるからね。すぐに薬師様が来るはずだ。レンはお茶とお菓子を用意して待ってるんだよ?」そう言いながら、バル婆は貯蔵庫から必要なものを手早く取り出していく。「うん!」レンが勢いよく駆け出す。
「走らない!間に合えばいいんだよ。じゃあ、すぐ戻るからね!」背中に声を投げて、バル婆は部屋をあとにする。
その背中を見送る。ふいに足を止めて、振り返る。「……あんた、あとで全部聞くからね」低く言う。……あとで、どう説明しようか。
扉が閉まる直前、振り返らないまま言う。
「勝手に死ぬんじゃないよ」




