薬師様の診察
テンはお腹の一点に目をやる。痛む場所が分かってから、刺されるような感覚がむしろ強くなっている気がした。
テンは足に力を入れかけてすぐにやめる。……動いたらだめだ。
「……レン」
「なに?」
「……のどかわいちゃった」
レンがすぐにテンの傍らから立ち上がる。ばたばたと走りかけて、走らない、と自分で言い直して少しだけ歩調を落とす。その背中を見て、少しだけ肩の力が抜けた。
戻ってきたレンは、慎重に湯呑を、はい、と差し出す。お湯がテンの喉を通っていく。
「ありがと」
「うん……」
レンはそのまま、布団の端に座り込んだ。テンの顔色をちらちらとうかがいながら湯呑を手元でもてあそぶ。
「レンにね、お願いがあるの」
「なに」
湯呑を動かすレンの手が止まった。
「わたしのお腹……触らないように気を付けて」
「わかった」
「それと……気を紛らわしたいから、なにか面白い話でもしてよ」
テンは笑顔を無理やりつくって言う。
「……なんでもいいの?」
「うん」
レンは、じゃあ、と言いかけて、テンの顔をじっと見る。そして何かに気づいたように話すのをやめた。立ち上がって居間に行ってしまった。
テンが、お話は?と思っていたら、戻ってきた。濡らした布でテンのおでこと首筋を拭いていく。その手は少し震えていた。食器を拭く布だ。だけど、気持ちいい。
「すごい汗だね……」
レンがそう言った後に痛みの波が来た。息を止める。過ぎるのを待つ。レンが汗を拭きながら返事をしないテンを見つめる。
「……大丈夫?」
「……大丈夫」
まだね。
「ほら、お話して?」
どれくらい経ったのだろう。レンは自分が思う面白い話のあとは、最近読んでいる本の内容を話してくれた。でもテンの頭には入って来ない。
バル婆が出ていったのは、少し前のような気もするし、とても前のような気もする。でも、さっきより悪くはなっていない、と思う。
しばらく上の空でレンの話に相槌をうっていたら、足音が聞こえた気がした。
レンがすぐに反応して、見てくる、と言い残して寝室を出る。扉を開けて居間に駆けていく。そしてすぐに、レンとは別の男の声が聞こえてきた。
待っていると、レンが男の手を引いて戻ってくる。
背の低い、白い髭をたっぷりとたくわえた老人だった。見た目は百歳を超えていてもおかしくないのに、足取りは妙にしっかりしている。テンの目が、その顔から、腰にいくつも下がった袋へと落ちた。部屋に入ってきた瞬間、鼻にかかる独特の匂いが広がる。
「……お前か」
低い声だった。見た目よりずっと若い声に感じる。
――来た。
「……薬師様?」
テンを見下ろしたまま、ゆっくりと近づいてくる。視線が、顔から胸、腹へと落ちていく。
「腹が痛いそうだな」
そう言いながら、迷いなく手を伸ばしてきた。腹に触れようとするその動きに、あらかじめ用意していた言葉が出る。
「待って」
薬師様の手が止まる。うんざりしたように目が細くなる。
「……なんだ」
「触ると、強く痛むの……痛む場所も、分かってる」
薬師様は目を細めたまま、テンのほとんど黒に近い深緑色をした瞳を見つめる。二人は少しの間にらみ合った。それから視線をお腹に逸らして、説明しろ、とテンに言った。
「……吐いたわ。それと、寒気、発汗、腹の痛み」
虫垂という言葉が通じるか分からなかったので、違和感のある場所をテンは指さした。
「いつからだ」
「今日の……たぶん朝から」
薬師様は黙ったまま、テンの手首を取って脈をとる。それからちらともう一度テンを見て、腹へ手を伸ばす。みぞおちのあたりを軽く押された。
今度は、止めなかった。
「……ここか?」
「……もう少し下……もう少し」
さらに下へ。呼吸を整える。そして、何度目か分からない痛みに、テンの目に涙がにじむ。薬師様の手が、ぴたりと止まる。
「……ここだな」
テンは頷くのがやっとだった。薬師様は、今度は周囲を軽く押す。さっきよりずっと慎重に。そして、手を離した。
「……なるほど。腹を冷やしたんだろうな。あるいは、悪いものを食ったか……どちらにせよ――」
「違う」
かぶせるようにテンは言った。
薬師様の視線が、すっと鋭くなる。細くなった目は、すぐに通常の大きさに戻って、そこからは何も読み取れなかった。テンは、違うと思う、と言い直す。ほう、と低く返ってくる。
「押したときに、強く痛むの。お腹が冷えたときや食べ過ぎの痛みとは違うと思う……それにだんだん強くなってる。放っておくと悪くなるはず、たぶん……今日か明日には、もっと」
無表情にテンを見下ろしていた薬師様の眉がわずかに動いた。
「……ずいぶん、分かったように言うんだな」
「分かる気がするの……自分の体だから」
「……少し、詳しく診る」
薬師様が言った。冷たい、氷みたいな目がテンを捉える。痛む場所を見ている目じゃない。人を、どこか遠くから値踏みするような目。……気のせいかもしれない。痛みのせいで、変に勘ぐっているだけかもしれない。でも、患者を診る目とは、何かが違う気がした。




